第85話 代償と償い
切った首筋から、血が吹き出す。
反射的に動かしたせいで、うまく剣に力が入らない。
めり込んだ肉の中、首の骨に当たって俺の剣は止まっていた。
ここまで切ったならば間違いなく重傷なはずだ。
そう判断し、急いで剣を抜く。
思った通り、ソレは地面へと倒れた。
ーードサッ
「お母さん?」
「見ちゃダメ!」
その倒れた音に反応して、少女が振り向いた。
ミルナさんが急いで少女の視界を手で覆うが、もう遅い。
「お……母さん?」
少女の目には映ったはずだ。
首を切られた母親の死体とーー体中に返り血を浴びた俺の姿が。
「ヤ……、なんで?」
少女は必死に覆われた手を振り解こうとする。
「ごめん。君のお母さんは、こうしないといけなかったの」
「なんで……お母さん!」
ーーズズッ
何かが引きずられる音がした。
違う。
母親だったソレが、手の力で体を引きずっている。
移動するたびに首が大きく揺れ、血が吹き出す。
どう見ても重傷のはずだ。
普通だったら、動けない。
……こんな重傷でも、ゾンビは動けるのか?
「お母さん! お母さん!!」
少女の声が響く。
今にも母親へ近づこうとしているのを、ミルナさんが必死に押さえていた。
しかし、あの暴れようだと抜けられかもしれない。
ソレが近づいている方向は、俺だ。
子供である少女にではなく、1番近くにいた俺へと向かってくる。
……やはり、もう母親の意思や思考は残っていないのだろう。
「ミルナさん、その子を外に」
「……わかった」
彼女は、暴れる少女を抱えて部屋から飛び出す。
「待って! 戻って! まだお母さんが!」
少女の声が、心を刺さる。
でも、やらなければならない。
ソレは、今にも立ちあがろうとしている。
「こんな傷でもまだ立ち上がれるのかよ」
俺の言葉に反応することもなく、無言のまま向かってくる。
襲うことしか考えていない。
わかってるだろ。
もう助からない。
奇跡なんて起こらない。
この人に頼まれたことを思い出せ!
それに、今切らないと……
そして、剣を振り上げた。
「やめて!!!」
少女の悲痛な叫びを無視し、そのまま振り下ろす。
重心を乗せて、勢いを乗せて、重量を乗せて。
その切りかけだった首を、完全に切断する。
立ちあがろうとしていた体が無様に地面に倒れ、ぐらぐらだった頭も落下する。
剣に、手に、服に、返り血が飛んだ。
ーー終わった。
だが、剣をしまえない。
目から涙が出てくる。
また、切った。
完全に死んだ。
殺した。
これで、助けられた。
「……人殺し!」
「…………」
「お兄ちゃんのこと、信じてたのに! 人殺し! 人殺し!!」
「ミカちゃんやめて! ミカワ君は、私たちを助けてくれたの! こうするしかなかったの!」
「噓だ! お兄ちゃんがお母さんを殺したんだ! 人殺し!」
部屋から遠ざかりながら、少女の声が聞こえる。
全て見られていた。
あの少女だけには見られてはいけない場面を。
残酷すぎる現実を。
「ミルナさん。その子をお願いします」
「でも、君一人じゃ……」
「俺は、もうその子と一緒に入れません。お願いします」
「……わかった。またあとでね。すぐ追いつくから!」
「お姉ちゃん離して! お母さんが! 人殺し! お兄ちゃんの人殺し!」
最後の最後まで、少女の声が響いていた。
あの子のためにも、俺は行動を共にしないほうがいいだろう。
きっと、無駄な争いが生まれる。
それに、彼女に任せておけば大丈夫なはずだ。
ーー人殺し!
あの子の言葉が、頭で繰り返される。
こうするしかなかった。
だって、こうしないと、あの2人がーー
「クソッ、なんでだよ」
手から力が抜け、剣を床に落ちた。
「なんで……こんなことに」
そして、殻になった拳を、思いっきり壁に打ち付けた。
「俺だって! こんなことしたくなかった! 誰が好んで人を殺すんだ! なんで殺さないといけないんだ!」
ーーなぁ、教えてくれよ。
なんで俺なんかを転移させたんだ?
俺なんかより、もっと相応しいやつがいただろ。
もっと強ければ、違う結果になったのか?
……いや、どうせ同じか。
階段の下に転がっていた死体。
ミルナさんがやったのかあの母親がやったのかはわからないが、誰かが殺したものだ。
ーーあの子を守るために。
そうせざるを得なかったのだろう。
それと同じで、今もこれしか手段がなかった。
いくら力があろうと、どんな魔法を使おうとそれは変わらない。
仕方がなかった。
必要なことだった!
だからーー
…‥いや、違うだろ。
ーー俺はただ、殺したという事実から目を背けたいだけだなんだ。
人殺し。
ソレらを殺して、彼女たちを救った。
俺が人殺しになって誰かが助かるなら、無事でいてくれるなら、それでもいい。
俺は人殺しでもいい。
眼の前に転がっている死体に目を向ける。
そして、目を瞑って手を合わせた。
「……あの子には、ミルナさんがついててくれています。なので、俺は俺がやらなければいけないことをやります」
そう言いながら、黙祷をする。
本当に、立派なお母さんだった。
このいくつもの傷ーーきっと、あの子のために最後まで戦っていたのだろう。
本当に、すごい人だ。
それが、俺が殺した人。
名前も知らない、少し言葉を交わしただけの他人。
目の前で首の上下を真っ二つにされ、変わり果てた姿の死体。
逃げてはいけない。
向き合え。
たとえゾンビだったとしても、切ったのは俺だ。
ーーどうか、安らかに眠れますように。
最後にそう願って服の袖で涙を拭った。
随分と長く居座ってしまった。
行かなくては。
そうして、落ちた剣を拾い、この家を後にする。
あの子のお母さんと、さっき切ってしまった男。
彼らのためにも、この事件を解決しなくては。
ーーもう被害者も、俺のような加害者も出さないために。
家から出ると、前よりも風が冷たく感じられた。
周りから聞こえてくる悲鳴もほとんど無くなり、人気が感じられない。
周りを見ても、ミルナさんの姿はなかった。
もう安全な場所まで行ったのだろうか?
……とりあえず、俺はレイナを探そう。
墓地はこの近くにあるらしい。
そこへ行けば、この事件が何なのかわかるはずだ。
誰が考え、誰が起こし、なぜ起こったのか。
どうして、この悲しみの連鎖に囚われなくてはいけないのか。
ーー禁術。
俺がこの世界に来た原因の転移魔法も禁術だ。
誰かが意図的に起こしているのだとしたら、転移魔法についても何かわかるかもしれない。
だから、切ってでも話させなくては。
もう躊躇うな。
躊躇った分だけ、人が死ぬ。
それしか方法がなくなった時、そうする覚悟を持て。
現実を受け入れろ。
どんなに可能性を模索したところで限界がある。
あの時が、そうだったように。
人殺しでもいい覚悟を持て。
あの家から続く小道を少し歩くと、視界のいい大通りに出た。
その中心を沿って進む。
できるだけ死角は作らない方がいい。
ミルナさんが教えてくれたことだ。
道には人の気配がなく、痕跡しか残っていない。
砕けた店の看板、開けっぱなしの扉、割れた窓ガラス。
そして、ところどころに落ちている死体。
見える限りだと、肉が腐って変色しているのが半分、血を流しているのが半分だ。
もうすでに、この道では誰かが戦ったらしい。
ということは、この道を辿って行けば墓地まで行けそうだ。
ーー
ーー。
ーー。
俺も早く合流しなくては。
ーータッ
ーータッ
ーータッタッタッ
ーーあれ?
音がする。
この既視感、間違えなく足音だ。
……だが、あのゾンビはこんな均一な足音など鳴らさない。
第一、早すぎる。
つまりこれは、生きている人の足音だ。
まさかーー
妙に耳に馴染んむ足音、そしてこのタイミング。
「ミルナさん!?」
「や、やっほー。思ったより進んでたね」
足音の正体は、ミルナさんだった。
けれど、あの少女の姿は見えない。
「あの子は?」
「騎士団の仲間に会ってさ、そっちに任せてきた」
「なら、なんでわざわざ俺のところまで走って来たんですか? その人たちと一緒に行動した方がーー」
「君さー、人の心配はするくせに自分の心配はしないよね。少なくとも私は君よりも全然強いよ」
「……いや、そうじゃなくて、あの子の母親のお願いはいいんですか?」
「……うん。うちの騎士団は優秀だから、私1人よりも救護班に任せた方が安全だよ。それにさ、君にまだ伝えてないことがあるから」
「まだ、なんか注意事項的なのがあるんですか……?」
俺がそう言うと、彼女は言いにくそうにしながらもーー
「確かに、ミカワ君はあの子のお母さんを切った。それはきっとあの子にとって辛いことだし、君のことを許さないかもしれない」
「…………」
「でも! 君は間違ってなんかない! あれが正しかった……なんて言えないけどさ、あの時君が動いてなかったら、私たちは死んでたかもしれないから」
「え?」
「ミカワ君は優しい。……優しすぎるんだよ。だから、自分を責めるでしょ? ずっと後悔するでしょ?」
「そんなこと……ないですよ」
「……だから、これが君の呪いにならないように、言っておくね」
そう言うと、彼女は俺の手を取ってとびきりの笑顔を見せる。
「ありがとう。君のお陰で、私は助かった」
「 ……いやだな、呪いだなんて、思って……な、いーー」
気づけば、俺の目からは再び涙が流れていた。
「ほら、嘘つき」
その言葉が耳に入った時、俺は膝をついてみっともなく泣き喚いていた。
ーー俺はちゃんと、救えていた。




