第84話 残花と代償
少女が扉を開ける。
「ダメだ! 入るな!」
入ったら、きっとーー
だが、少女は俺の生死を聞くことなく家へと入ってしまった。
こうなってしまえば、これ以上叫んでも意味を成さないだろう。
先の戦いで、家から少し離れてしまった。
すぐ辿り着くことはできない。
ーーミルナさんは大丈夫なのか?
彼女にもしものことがあったら、少女の命も危うい。
頼ることのできない今、俺が何とかしなくては。
完全に判断をミスった。
追ってくる敵よりも、彼女を追いかけるべきだった。
あの子から離れるべきではなかった。
家の中の状態がどうなっているかはわからない。
もしかしたら、もうーー
どうする?
俺の使える魔法じゃどうにもならない。
かと言って、これ以上速く走るのは無理だ。
何を考えても、どう頑張っても、俺一人の力ではただ走ることが限界だった。
疲れは蓄積され、体も痛む。
喉は完全に乾ききり、呼吸するのが苦しい。
それでもひたすらに走り、走った。
そして、ようやく近くまで来ても、まだ少女は出てこない。
嫌な想像をしてしまう。
思えば、ミルナさんも出てきていない。
すぐに戦闘を終わらせていた彼女が、こんなにも時間をかけるだろうか?
…………。
やっと、扉の前までついた。
開けると自動的に閉まる仕組みらしく、一度少女が開けた扉は閉ざされていた。
だが、開けるのが怖い。
ここまで音漏れはない。
誰の声も、戦っている音すらも聞こえてこない。
その静けさが、かえって勇気を削り落とす。
……とにかく、割れた窓から中の様子を確認しよう。
中の状態が掴めないまま飛び込むのは危険だ。
それを、さっきの武器屋で嫌というほどわからされた。
早く中に入りたい気持ちは山々だが、急ぐだけでは死体を増やすだけ。
こんな時こそ冷静になれ。
今こそ彼女を信じる時だ。
できるだけ音を立てないように移動し、大きく割れた箇所から中の様子を覗き見る。
ーーそこからは、誰の姿も見えなかった。
見えた場所はリビングだ。
そこから、いくつかの部屋も見える。
しかし、誰の姿もない。
ゾンビの死体すらない。
ここからは見えない部屋の中にいるのか?
もしかしたら、どこかの部屋で立てこもっているのかもしれない。
それでも、割れた窓に付着した血液、そして血で描かれた足跡。
それらは、ゾンビがこの家に入ったという紛れもない証拠だ。
それがわかると同時に、再び剣を抜く。
そして、そっと扉に手をかける。
まずは少しだけ開き、中を確認するがやはり誰もいない。
そのまま、次は扉を全開にする。
ーー先に続いていた道は、いくつかの扉がある廊下だ。
だが、どれも少しだけ開いていた。
音を立てないまま一部屋ずつ覗いていくが、やはり誰もいない。
書斎、トイレ、そしてリビング。
どこだ?
いや、間取りもわからないまま探すよりもーー
リビングに入り、さっき覗いた窓に目を向ける。
……思った通り、続いている。
擦れながらも、そこから不規則に残る足跡は奥へと続いていた。
それを辿りながら進んでいく。
この家は、1つ1つの部屋がかなり広い。
この世界の家賃がどれほどなのかはわからないが、かなり裕福な印象を受ける。
そして、外から見た限りーー
「……ここか」
足跡の先には、上へと続いている階段があった。
この家には2階がある。
彼女たちがいるのも、おそらくこの先だ。
その証拠に、階段の前には動かなくなったソレらが転がっていた。
どちらも、首を綺麗に切られている。
だが、そのどちらもまだ腐っていない。
鮮血を流し、生を感じさせるものだった。
これをやったのはミルナさん、なんだよな?
今まで、可能性がある側は殺さずに拘束してきた。
そんな彼女が、今度は彼らの息の根を完全に止めている。
……それほどの状況だったのか?
あの彼女が、切らなければならないほどの。
それに、足音は続いている。
階段1段に1つずつ、赤い足跡が刻まれていた。
それらの痕跡は、嫌な想像を加速させる。
足を重たくしてくる。
だが、それよりもーー
「ーーーーーーっ!」
微かに、音が耳に入っていた。
小さすぎて、なんの音かはわからない。
けれど、聞こえているのは上からだ。
ーーっ!
危険?
襲われるかもしれない?
そんなこと、知ってたまるか!
もう、自分の保身を考えるのはやめだ。
たとえ上で待ち伏せされていたのだとしても、何かの罠なのだとしても、
この上で苦しんでいる誰かがーー
ミルナさんがーー
あの少女がーー
まだ、間に合う。
間に合うと言うのなら、そんな不確かな危険なんて知るか!
そう思いながら、階段を駆け上がる。
すると、さらに音が聞こえてくる。
扉が開き、俺の元へ急いで近づいてくる足音が。
それと同時に、泣き声も響く。
間違えなく、少女のものだ。
「ミカワ君なの?!」
「そうです! 無事なんですか?」
上りきる直前、ミルナさんの声が聞こえた。
ーーよかった!
少女も、ミルナさんも生きていた。
頭に描かれた嫌な想像。
それは起こらなかった。
そして、登った先にはミルナさんが立っていた。
どこにも怪我がなく、正真正銘のミルナさんが。
だが、いつもと違うところが1つだけあった。
……彼女に笑顔がない。
なんなら、その瞳に涙すらも浮かんでいる。
ーーそういえば、まだ質問の答えをもらっていない。
彼女の前に立ち、彼女の目を見ながら再度聞いた。
「無事……なんですよね? ミルナさんは? あの子は!?」
「……うん。無事だよ。私も、あの子も。だけどーー」
明らかに、彼女の返答に元気がない。
何があったのか?
それに応えてくれるように、彼女は歩き出した。
無言のまま、俺も着いていく。
相変わらず、奥からは少女の泣き声が響いている。
しかし、彼女によれば少女は無事とのことだ。
……じゃあ、なんで泣いてるんだ?
少女が家に戻ったのは俺が手を離したからで、それは音が聞こえたからで。
いや待て。
少女が家に戻ったのは……!!
「ーーお母さん!」
ーーっ!
繋がった。
ミルナさんの暗い表情、少女の泣き声。
そして、未だ姿が確認できないあの子のお母さん。
「開けるよ?」
そして、扉を開ける前のこの確認。
この言葉はノックの代わりなどではなく、俺に向けられたもの。
ーー心の準備はいいか? と。
無言で頷く。
すると、扉が開けられた。
「お母ざん!! あがあさん! 死んじゃやだ! 死なないでぇ!」
聞こえてくる少女の悲痛な叫び。
そして、目に映った血だらけの女性。
最後の最後で、嫌な予想が的中してしまった。
その手前には動かなくなったソレがある。
綺麗に首から先と分離されているということは、やったのはミルナさんだ。
だが、ソレの腕には斧が握られたままだった。
そして、エプロンを着ている血だらけの女性の傷。
間違いなく、この斧によるものだ。
見るだけでも痛々しい。
「あなた……が、この子を、守って……くださったの、で、すね」
「え?」
「本、当に……ありがとう、ござ、いま……」
こんな痛々しい傷を負いながら、こんな重傷を負いながらも、この人は生きている。
間に合った……のか?
「喋ったらダメだ! 傷口が開く!! ……そうだ、ミルナさん! 回復魔法は!?」
こんな重傷なら、すぐにでも治さないといけない。
それを彼女に訴えかけるがーー
「ごめん。私の魔力じゃ……」
「じゃあ! すぐにでも運び出してーー」
「私、のために……ありがと、う。……でも、わかる、の」
「何を……?」
「わた、しは、もう助からない」
「お母さん! そんなこと言わないでぇぇ! わだし、もっといい子になるがら! お手伝いもいっぱいじて、もっど優しいなるがらぁぁ!」
「ほら、そんなこと、言って……お兄ちゃんたちを、困らせないの」
「嫌あああ!」
「だから、2人に……お願い、します。……どうか、この子を、無事にーー」
「わかりました。必ず私たちがたちが守ります」
「そして、2人の、目的を、達成……してね」
この人は言っている。
この子の側でずっとこの子を守るのではなく、今の俺たちの目標をーー元凶を止めてくれと。
我が子のことだけではなく、他の人のことまで考えている。
…‥自分はもう助からないというのに。
「ねぇ、ミユ、聞い……て」
「嫌だ! お母さんがいなくなっぢゃうぅ!」
「聞きなさい!! 最後、の言葉になるかも……しれないの」
「う……うぅ、お母さん」
「いい、子ね。ミユは、いつまでも元気に、楽しく、生き、てね。お母、さんは、ミユがいて……くれて、幸せ、だった。ありがとう。お父、さん、に……よ、ろし、ね。……わた、し、の、だいす、き、な……ミユ…………」
ーーそして、
この子のお母さんから力が抜けた。
目から光を失い、何も映さなくなった。
「そんな、やだよ。お母さん! お母さん! 起きてよ!!」
この子が激しく肩を揺さぶっても、何の反応もしない。
そこまで見て、ようやく現実が追いついた。
……この子の母親は、死んだのだ。
「ほら、最後のお母さんのお願い、叶えよ?」
「ヤダヤダヤダ! お母さんとずっと一緒にいる!」
「君のお母さんはね、お星様になってずっとミユちゃんのことを見守ってくれてるんだよ」
「でも、お母さん死んじゃった! 死んじゃったぁ!」
「だからだよ! だから、お母さんのお願いを叶えられるのはあなただけ! お母さんの覚悟を、願いを、無駄にしないで!」
俺は、泣き止まない少女に、何もしてあげることができなかった。
現実が追いつかず、ただ見てるだけ。
ミルナさんは状況を飲み込めているのに、俺はーー
「だから、安全な場所に行こう」
「う……うん!」
そう言って、ミルナさんは少女の手を引いて出口へと向かっていく。
「ほら、ミカワ君も行くよ。……お母さんのお願い、叶えないと」
「……そう、だな」
そう語りかける彼女はまだ気づいていない。
少女に気が行っていて、気づけていない。
この場で唯一気づいているのは、俺だけだ。
少女から目を背けていたから、気づけた。
きっと、まだ現実逃避は続いている。
さっきの人を切ったところから。
俺は考えるのを放棄したんだ。
だから、迷わなかった。
……迷う暇すらなかった。
でも、迷わなかったから、間に合った。
ほぼ反射的に抜いた剣はーー
ーー少女の母親の首にめり込んでいた。
目が塗りつぶされたように黒くなり、子供である少女を殴ろうと立ち上がったその屍の首に。
ーー俺は、この子の母親を切ったのだ。




