第83話 対価と残花
「あのね、お家の中で隠れてたらお母さんが逃げろって。助けを呼んできてって。だから私、頑張ったの」
「えらいね。絶対に、私たちが助けてあげるからね」
「ありがとう。お兄ちゃんもお姉ちゃんもすごい!」
少女をできるだけ不安にさせないために、会話を繋ぐ。
聞いている限り、間に合うかはだいぶ怪しい。
……何度も、覚悟を決めたことはあった。
武器屋のおっちゃんとの戦い、ゲイルたちとの戦い。
だが、そのどれからも結局逃げ続けた。
人を傷つけることから、ずっと逃げている。
唯一人を刺した記憶は、レイナに裏切られて……怒りに支配されていた時だ。
その時の刺した感触は、そして彼女の顔は忘れることができない。
自己防衛などではなく、明確な悪意を持って刺した。
結局、それで得たものは何だった?
優越感か? 満足感か? 達成感か?
違う。
あの不意打ちで得たものは、後悔と罪悪感だ。
満たされることもなく、スカッとするわけでもなく。
ただ、傷だけを残していった。
……きっと、少し前まで生きていたゾンビを殺しても、俺は同じ感覚に支配されるのだろう。
今でも、転がっている死体を見るたびに胸が締め付けられる。
目を背け、俺とは無関係と思ってしまう。
肉が腐り、皮が変色し、骨が剥き出しになった彼らを切ることですら、俺には辛い。
剣についた血肉を見て吐き気を覚え、それを誤魔化すために彼女たちに縋る。
……押しつけている。
「あそこ! あそこが私のお家」
そう言いながら、少女は指を指した。
赤い屋根で2階建の一軒家だ。
綺麗な外見で、最近建てられた建物のように感じる。
だがーー
「ミカワ君、この子のこと頼める?」
「……ミルナさんも、この子のお母さんをお願いします」
窓は割れていて、その家の綺麗さにはまったく見合ってないかった。
そもそも、この状況で小さい子を1人にする親がいるだろうか?
やはり、この子の母親に何かあったと考えないと、全ての辻褄が合わない。
このことを、この子に悟られないようにしなくては。
「ミル……お姉ちゃんがお母さんを助けてくれるから、お兄ちゃんと一緒に待ってよう」
「……うん。わかった」
それを合図に、ミルナさんは家へと走っていく。
戦闘に関しては彼女の方が圧倒的に得意だ。的確な役割分担だと思う。
彼女に託されたからには、俺も油断はできない。
敵が来たとしても、剣を振れるのは俺だけだ。
助けは期待できない。
「お母さん……大丈夫かな」
そんな言葉が、かすかに耳に入る。
幼い子供が、不安を内心だけに留めておくことは難しい。
だから、口に出てしまったのだろう。
「きっと大丈夫。あのお姉ちゃんはすごい人なんだ。俺も何度も助けてもらった」
「そうなの?」
「ああ。だから、心配しないくてもきっとお母さんは助かるよ」
「本当! よかった、お母さんも助かるんだ」
その言葉が、心を深く抉る。
一旦は安心してくれたが、一時凌ぎにしかならない。
ミルナさんは強い。
彼女なら、ゾンビ相手に手こずることなんてないだろう。
それは事実だ。
だが、それはあくまでも間に合えばの話。
間に合わなければ、意味がない。
魔法により拘束されたゾンビたち。
数時間前までは普通に生活し、命を持っていた運の悪かった人たち。
そんな彼らは、魔法が蔓延るこの世界だとしても元に戻れるかわからないという。
間に合うかどうか……
「お兄ちゃん? どうしたの?」
「……いや、何でもない。それよりも、やっぱり俺たちも は安全な場所に移動しよう」
「でも……まだお母さんが来てない」
そう呟いて、少女は下を向いてしまった。
確かに、大切な人がいないというのは不安に直結するものだ。
だから俺はしゃがんで、少女と目を合わせながら言う。
「お母さんだって、君が怪我をしてたら悲しむと思うんだ。だから、お母さんがいつ戻ってきてもいいように俺たちは安全な場所で待っていよう」
「わかった。お母さんの悲しむ顔、見たくないもん」
「じゃあ、お兄ちゃんと手を繋いて行こっか」
「うん!」
周りを警戒すると言う点でも、手を繋いでいた方が集中しやすい。
それに何より、幼い子を安心させるのにはこれが効果的だ。
だが、手を繋いでいでも尚、その小さな手は震えている。
俺の言葉に素直に従ってくれはいるものの、やはり不安なのだろう。
大切な人を思う気持ちは、痛いほどよくわかる。
だからこそ、今は不安にさせてはいけない。
「じゃあ行こうか」
と、気を紛らわせるために自分から言ってみたが、困った。
安全な場所って、どこだ?
一応、俺たちは墓地へと向かって進んでいた。
詳しい墓地の場所は結局分からず終いだが、何となくの方向はわかった。
なら、ひとまずは逆の方向を進んでいれば大丈夫だろう。
そんなことを思いながら、周りを見渡す。
今のところ他にゾンビは見えない。
それでも、見通しが良くないから安心はできない。
ここに辿り着くまでに、何人か冒険者や騎士とすれ違った。
彼らのやっていることも俺たちと同じだ。
だから、次に彼らを見つけたらミルナさんの助けに入ってもらおう。
そのためにも、ひとまず広い大通りに出なくては。
「そういえば、お母さんってどんな人なんだ?」
「えっとね、すごく優しいの! 今日も、お昼に私の大好きなタレスコットを作ってくれたんだ!」
「いいお母さんだな」
「そうでしょ! だから早くお母さんに会いたいな」
少女の気を紛らわすために話題を出したが、最後の言葉に返すことができなかった。
余計に胸が締め付けられ、嫌な想像をしてしまう。
俺は知っている。
絶望は、いつだって突然やってくるのだ。
期待をするだけ、それが叶わなかった悲しみは大きい。
わかりきった嘘で騙し、束の間の幸せを得る。
……それは果たして正しいのか?
わからない。
「ここからーー」
ーードンッ!
音が聞こえた。
間違えなく、あの家からだ。
何だ?
あの家の中から、ここまで届くような音なんて……
まさか、ミルナさんが!
ーーどうする?
ミルナさんの戦闘で、あんな音は出ない。
襲われているなら、急がなければ。
……でも、今はこの子がいる。
危険な目には合わせられない。
どうすればいい?
助けに行くか、
ミルナさんを信じるか、
その突然の音で、注意が惹きつけられてしまった。
その突然の音で、少女から目を離してしまった。
その突然の音で、俺に迷いが生まれてしまった。
その音のせいでーー
「お母さん! お母さん!!」
少女が俺の手から離れ、泣きながらも家へと向かっているのに気づくのが遅れた。
「行っちゃダメだ!!」
しかし、俺の声は届かない。
……いや、冷静になれ。
まず優先するのはあの子のことだ。
少女の短い歩幅だと、追いつくのは簡単だ。
ーーミルナさんを信じて、少女を回収して、無理矢理にでも安全な場所まで連れて行こう。
そのために走り出そうとしたが、視界の端に影が映った。
あの大きな音に釣られたのは、俺たちだけではなかったらしい。
まだ腐っていない誰かが、俺の元へ走ってくる。
その誰かの目は、塗りつぶされたように黒い。
間違えなくゾンビだ。
それも可能性がある側の。
ソレは無言で近づきながら、どこで手に入れたのかわからない剣を振り回している。
ついに、その時が来た。
迷ってる暇はない。
覚悟は決めたはずだ。
ここで俺が切らないと、少女は助からない。
この剣は何のためにある。
俺は何でここにいる。
彼を、楽にしてあげなければ。
一刻も早く倒すため、ソレへと向かって走る。
少しでも時間があったら、また躊躇ってしまう。
そして、剣を抜く。
長い剣だったとはいえ、デタラメすぎる振り回しを受け止めるのは割と簡単だった。
その力の入っていない剣を軽々と押し返す。
そして、ソレの足を思いっきり蹴った。
狙い通り、バランスを崩したソレは背中から地面に叩きつけられる。
その反動で、握っていた剣も落としてくれた。
だが、痛みを感じないソレはすぐに起き上がろうとする。
ーーその行動を、胸を思いっきり蹴むことにより封じた。
それでも、抑えていないソレの腕は俺のことを襲おうと狙ってくる。
やはり、手段などなかった。
「クソッ……俺に、力がないせいで」
悪態をついたところで、状況は変わらない。
手は、今にも足を掴もうとしている。
「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
瞳からは、涙が出ていた。
こんなことしたくなかった。
でも、しょうがないんだ。
しょうがないんだ。
謝りながら、俺は……ソレの首を切った。
腐っていなかったからか、剣は抜けることなく首の3分の2ほどめり込んだところで止まった。
切った骨と、断ち切った肉の感触がいつまでも残り続けている。
完全に切り落とせなかったが、致命傷だ。
ソレも、だらりと地面に腕を下ろし、動きも完全に止まった。
「クソッ、クソッ……」
俺は、人を切った。
剣が重く、異常なほど空気が冷たい。
目に入ってくる現実が、さまざまなことを思わせる。
……だから、せめて今だけは現実逃避させてくれ。
「ごめんなさい」
死体と成り果てたソレに再度謝りながら、目を逸らす。
そして、少女を探した。
……まだ、間に合うか?
少女をあの家の中に入れるわけにはいかない。
間違えなく危険だ。
それに、きっとこの子のお母さんは……
もう余計なことを考えないようにするために、俺は少女に向かって走り出した。
しかし、そんな努力も虚しく、少女が家の扉を開けるのはそれからすぐのことだった。




