第75話 外側と間際
「もうその辺にしとけって」
ゲイルの声が聞こえた。
その声には、少し引き気味な感情を含んでいる。
なぜそんな感情が含まれているのか、わからない。
わからなかった。
だが、何かの液体が頬に飛んできて、ドロッとした少し粘り気のある液体が付着して、ようやくその原因がわかる。
真っ赤に染まった短剣、そして腕。
そこには、ほとんど胴と頭が半分になった死骸が転がっていた。
刺していた場所が同じではなかったため、首には無数の穴が開いて箇所によっては皮膚だけで繋がっているような状態だ。
早い話、俺が倒した。
俺がここまでの傷をつけ、そして勝利を勝ち取った。
そこから出てきた感情は、恐怖ではなく安堵だ。
最初、森の中で戦った時は傷つけることすら躊躇っていたのに、今では驚くほど冷静だ。
躊躇いなど無く、掴み取った生を体全体で感じる。
環境がそうさせたのか、それともただ単にこの生物が気持ち悪いだけなのか。
少なくとも、この瞬間にあるのは達成感だった。
「これで、終わった……」
「そうらしいな。お疲れさん。……けど、ちょっとやりすぎだ」
「…………」
「ま、そんなナイフ1本で大したもんだよ」
「ごめん、この短剣、こんなに汚れて……」
「じゃ、帰ったら洗って返してくれよ。どのみちこっから先はモンスターもいないんだ」
「本当に終わったのか?」
「そんなに怪しいならもう少し歩け。あとちょっとの辛抱だ」
そうして、彼は硬い地面に座り込んでいた俺へ手を差し伸べる。
その手を、俺は汚れていない方の手で掴んだ。
皮膚の厚い手からは、確かな暖かさを感じる。
それが、この勝利の証拠をより引き立てていた。
さっきまで騒がしかった音は、もうしない。
どこかへ逃げたのか、それとも殺し尽くしたのか、どちらにせよ俺たちを阻む障壁は消えた。
彼の腕に引っ張られて立ち上がる。
そして、そこで初めて後ろを振り返った。
「……え?」
「ま、こういう道を塞ぐことは本来は違反なんだが、流石に命の危機だからな」
そんな彼の台詞も、目の前の光景を前にしてしまえば頭に入ってこなかった。
ーー真後ろには俺たちの通って来た通路はなく、そこを塞いでいる壁があるだけだった。
だが、よく見てみるとその壁には血が飛び散り、潰れた肉が数カ所に挟まっている。
それらは既に原型を保ってなく、内臓と肉と骨が混ざり合ったその醜い姿に吐き気すら覚えてしまう。
その気持ち悪さに耐えられず、視線を逸らす。
しかし、その先にあるのは俺が殺した無惨な死骸だ。
「……ごめんなさい」
「ん? なんか謝られるようなことしたか?」
「いや、何でもない」
「そうか。んじゃ、帰るとするか」
そう言って、彼は進み出す。
後ろを振り向くことなく、だが、俺のことを気にしながら。
ある意味、これは決別なのかもしれない。
何かの死で、俺たちは生きている。
やはり、俺も覚悟を決めるべきなのだろう。
ーーいや、もう手に入れた。
今までの戦いで、命の重さと命の軽さを感じた。
手元にあるものなんて、簡単に失う。
だから、それらを失わないために。取り戻すために。
結局、進む以外の道なんて残されていない。
今は着いていくだけでも、いつか俺から進めるようにしないと。
そうして、彼に続き一歩を踏み出した。
ここに残されたものを置いて。
*****************×********
未だ遺跡は続き、見慣れてしまった天然洞窟の姿は現れない。
しかし、周囲は無音というわけでもなく、うるさいという訳でもない。
つまり、ちょうどいい静けさだ。
どこかで虫が動き、どこかで鳥のような鳴き声が聞こえる。
ここに来る前は不気味に聞こえていた音も、完全なる無音を体験してしまった後では安心できる音に変わっていた。
だが、こうも長く聴いていると、流石にこの自然な静けさも嫌になってくる。
進むペースは早く、それこそが敵がいないという証拠だ。
ーーだとしても、長すぎる。
「いくら何でも遠すぎないか? もう結構歩いたと気がするんだけど」
「おかしいな、そろそろ着くと思ったんだけどなぁ」
「いや実際着いてないし、なんならさっきからその言葉しか聞いてないんだけど」
「でも記憶だと確かにこの辺りのはずなんだが……」
あれから、さらに歩いた。
なのに、一向に出口に着かない。
足も体力も限界だ。
というか、おんぶして運んで欲しい。
プライドなんか捨てて、もう頼み込むか?
ありだな。
うん。そうしよう。
内心そう思っていた時。
冷えた空気に触れている肌を生暖かいものが通り過ぎた。
もはや懐かしさすら覚えるその感覚が何かを理解するのに時間はいらない。
「ーー風だ」
「だから言ったろ? もうすぐだって」
ゲイルのもうすぐ詐欺もいいところだが、意識は彼ではなく風の方に向いていた。
もうすぐ、出口がある。
長かった冒険も、もうすぐ終わる。
何より、もう1度彼女たちに会える!
その期待が、疲れ切った足を動かしていく。
より早く、より強力に地面を踏み締め、確実に近づいていく。
すると、闇が続いていた先の通路に光が差し込んだ。
「ゲイル、ランタンの光を消してくれ」
「そうだな。もう必要ないもんな」
そう言って、彼はガラスの中の光を手の中に吸い込むようにして消した。
しかし、僅かに差し込んだ光によってここは明るく保たれたままだ。
そうして得た確証が、また重い足を軽くしていく。
早歩きからやがて小走りとなり、光へと手を伸ばす。
暗く感じていた紺色の遺跡の壁が、光が当たった瞬間から明るくかっこいい雰囲気に感じる。
何より、また明るい世界へと戻ることができる。
もう止まれない。
止まってる暇なんてない。
出口に近づくにつれ、ペースは早まるばかりだ。
だんだんと知っている世界へ戻っている。
明るく、暖かい地上へと。
肌に染みる風が、右手についた血痕を乾かしていく。
空気に土の匂いが混じっている。
そして、その眩しさに目を閉じながらもたどり着いた。
地面の感触が柔らかくなり、日光の確かな暖かさを感じられる。
撫でるように流れた風が、土の他にも草や新鮮な空気な匂いを運んでいく。
そんな光景をしっかりと目に映すため、手で日差しを作ってゆっくりと瞼を持ち上げた。
光に包まれた視界が、少しずつ色付いていく。
そして、映し出されたのはーー青い空に緑の自然と、知っている光景そのものだった。
それを目にしてやっと緊張が取れた。
安堵の息を漏らし、途端に体の力が抜けていく。
「ようやくだな」
「長かった……」
「さ、ケイト。お前はここで終わった気分かもしれないが、まだ終わってないぞ」
「え?」
「決まってるだろ? どうにか龍車を確保してユカ達と合流だ」
その言葉を聞いて、抜けた力が再び入るのを感じた。
ここまで辿り着いて、そして残る最後の目的。
彼女と会わなければ、始まらない。
彼女と話さなければならない。
あんな中途半端な終わり方だと、納得なんてできやしない。
周囲に目を向ける。
そこは見慣れない場所で、確かに入ってきた場所とは違うところだ。
森の中なのにも関わらず、この周辺には木が生えていない。
そして、洞窟ではなく遺跡の部分が地下から露出している。
第4洞窟。
その異様な雰囲気は、入り口を見ただけでも感じ取れた。
だが、その難易度の分、得たいものもきっとここにある。
俺が日本へ帰ろうとする限り、ここにはまた来ることになりそうだ。
それまでに、もっと強くならないと。
レイナのように。
風が、遠くから落ち葉を運んできた。
そして、風の流れから外れ、俺の足元へと落ちる。
その光景を眺めながら、俺たちは再び歩き出す。
こうして、再会への扉は開かれた。




