第58話 敵と味方
肉が乾燥し、ミイラのようになった頭蓋骨の空洞になった目の部分が、ちょうどこちらを向いていた。
それが、どこか見られているようで、皮膚が無いはずなのにさまざまな感情に捉えられてしまう。
肉の部分が乾燥していたため、幸いにもグチャっとした感触ではなかったものの……触ってはいけないものに触ってしまったーーそれが、精神を蝕んで削っていく。
必死に地面に手を擦り付け、あの冷たく硬い感触を必死に消そうとするが、手が痛くなってくるだけで何も効果がない。
「おい! 何やってんだこんな時に!」
すると、男の声が耳に入り、幾分か冷静さが蘇ってくる。
……そうだ、今は、こんなことしてる場合じゃーー
人工太陽? によって照らされた周囲には、俺が触れてしまった者以外にも何人かの人骨が転がっている。
服を着て全身がしっかり残っていたり、逆にミイラになった腕だけ落ちているものもある。
そして、目の前にある人骨は、かろうじて全身が残っているものの1つだ。
だが、ここにあるのはそれだけじゃない。
グイムリーターらしき骨や、まだ肉が残っている生物の死骸まで、たくさんの死骸が集まり墓場を作っている。
それほどまでの生きとし生けるものを殺してきた大蛇が目の前にいて、まだ動いているわけだ。
危険どころの話じゃない。
気を抜くと、きっとこの骨らの仲間入りだ。
この手に残った感触を取っている暇じゃない。
とはいえ、俺じゃできることなんて……
その時、今までもがいているだけだった大蛇が、行動を起こした。
視線の先にある血を撒き散らす頭部からかなり離れた尾ーー力なく地面に垂れていたはずのそれが、突然浮き上がった。
誰もいないはずの空間をめがけ、止まることも知らず壁へ激突する。
次の瞬間、空間が揺らいだ。
天井から砂埃どころか小石まで落下知るのと同時に、大蛇の尾が当たった壁が崩壊していく。
壁にひびが入り、それが複数の岩へと変わっていき、それらがピンポイントに俺たちのいる方向へ向かってきた。
しかも、濁った砂埃を上げながらーー
「まじかよ! おいっ!!」
そんな光景を、現実離れした光景をただ茫然と眺めていると、急に首根っこを引っ張られた。
バランスを崩し、後ろ向きに倒れるがそれでもかまわず引きずられていく。
首が閉まり、苦しい。
それでも、止まらない。
そのまま、やっと止まったかと思えば首元を急に放され、その場に放置された。
地面の硬さが体から伝わり、閉じてしまった目を開ける。
しかし、視界には砂埃に濁った空間しか入らなかった。
彼らがやっとのことで対策した暗闇という視界の悪さを、大蛇は砂煙という別の形を取って妨害した。
視界が見えないのであれば、状況はさっきよりも悪くなる。
ーーやはり、大蛇は生きていた。そして、俺たちをここで仕留めるつもりでいる。
轟音が耳に入り、その度に半径1メートルほどの空間が光る。
おそらく、またバリアのようなものを張ったのだろう。
そして、この落石から防いでくれている。
……つまりは、彼らからは敵であるはずの俺という存在を助けてくれているのだ。
さっきまでの男の言動からは、正直考えられなかった。
ーーだが、ここまでだ。
彼のバリアの範囲は、さっきよりも明らかに狭まっている。
ということは、彼の使える魔力が少なくなっている可能性が高い。
そして、俺にできることも当然ない。
…-それなら
大蛇もこのバリアの存在に気づいたのか、その胴体に見合わない小さい手を表面に当てる。
そして、壊さんとするばかりに鉤爪を立て始めた。
再びひびが入っていく。
今度こそ、もうーー
「ふざっ、けんなよ!!」
すると、もう一つの聞き覚えのある声が聞こえた。
直後、男は両手でバリアを保ったまま、そして俺の瞳から希望が抜け落ちた時、バリアには張り付いていた腕が力なく落下した。
まるで、そこだけもう生きていないかのように、ピクリとも動かない。
そして、それを確認した男はすぐにバリアを解除し、その両手に風を出現させる。
そのまま、この砂埃の待った空間に解き放ちーーその一直線上の視界が晴れた。
そこから見えるのは、肘から下がきれいに切断された大蛇の腕と、その上空を跳んでいる女の姿だった。
状況の混乱で思い出す暇もなかった彼女が、
最初のバリアから外れていた時点で死んでいるかもしれないーーそう勝手に思って、できるだけ考えないようにしていた彼女が、刀の握られた腕と跳躍に使った足を後ろに出し、エビ反りのような体勢で跳躍していた。
その勢いのまま、足を思いっきり前に出し、刀を振り下ろす。
それが、大蛇の光沢のある鱗を割り、肉を割いていく。
まるで肉を割くときの抵抗が無いかのように、するりと重力に従って刃先を奥へとめり込ませ、それに続いて赤い鮮血が飛び散っていく。
そのまま力いっぱいに押し進み、そこで骨にでも当たったのか、急に動きが止まったーーかに思えば、刺さった刀を抜き取り、距離を取る。
大蛇の胴体の直径の数分の1にも満たない切り傷だが、そこからあふれる血の量を見るに、かなりの致命傷のようだ。
喉には氷柱が刺さり、右手は切断され、胴体に穴も開いた。
ーーさすがに、ここまでやれば……
そう思ったのも束の間、傍にいた男が、耳元に小さく語りかけてきた。
「あの大蛇には目が無い。耳と体温だけで敵を見てる。体温の方はどうにかした。だから後は黙ってろ」
早口でそういうや否や、俺の口元に手を当てる。
……確かに、言われてみれば最初に大蛇に気づかれたのも音が原因だ。
そして、大蛇のこの怪我の状態で、わざわざ気づかれないようにするということは、最後のとどめを刺す準備なのか?
大蛇だけがその大きすぎる胴体を動かし、うめき声とも取れそうな苦しそうな音を上げ、暴れまわる。
その姿は、今度こそ命の灯が消える直前の行動に見えた。
短い時間の中、ひたすらに思考を巡らせていく。
彼らの中ではきっと、もう作戦が出来上がっている。
……いや、すでにその作戦を実行している最中なんだ。
だから、その作戦をどうにかーー
俺ができることなんてない。
そう思っているし、おそらくそう思われている。
この男に。
あの女に。
そして、レイナに。
このまま、足手まといで終われば、きっともうそれを払拭する機会はない。
だから、レイナに……
あんな彼女に、囮として使われることになったんだろ。
だから、考えろ。
彼らが何を待っているのか。
次の行動は、何か。
時計もなく、空間中を支配する砂煙のせいでただでさえ人工のものだった太陽の光すら刺さなくなったこの状況では、たとえ秒単位であってもどれくらいの時間が経ったかわからない。
緊張と恐怖が入り乱れるせいで、一瞬が永遠に感じ、1分すらも1秒のようにも思えてしまう。
そんな中でも、静かにし始めてからかなりの時間が経過したことが分かった。
下手に動けないせいで、ずっとしゃがんでいる足が痛くなってきた。
洞窟に来てから起こったいくつもの戦いのせいで、服も所々に穴が開いてしまい、そこから肌に触れる空気が冷たい。
正直、こんな命の駆け引きが行われている中で、こうやって動かずにいるのは、かなりしんどい。
ここまでの間、彼らの狙いを一生懸命考えてはいたが……一向にわからないままだ。
そうしているうちに、次第に肉体的にも精神的にも限界が近くなっていき、ふと男がどのように待機しているのか気になった。
今まで考え込んでいた思考も一時的に中断し、斜め上あたりに視線を向ける。
すると、少し前よりも砂埃が落ち着き光を通しやすくなっていたため、彼の表情が見やすかった。
彼は、俺のそんな視線にも気づかないまま、大蛇が藻掻いていた方向をずっと凝視している。
風魔法で一次的に開けた空気の穴も、今は塞がってしまいうっすらと映る背景しか見えない。
…………。
ーーこれか?
舞っている砂簿ころは、時間が経つにつれ落ち着いてくる。
何も見通せなかった視界が、次第に透き通っていく。
彼らが待っているのは、それなのか?
確かに、彼は風魔法が使える。
それで、また視界を開くにしても、それは持続的なものではない。
それに、彼はかなり魔力を消耗していた。
男の方がサポートして、女の方がとどめを刺す。
見ている限り、彼らの形はずっとそうだった。
なら、男がサポートできる状態を待っている……そう考えればーー
やはり、俺は必要ない……のか。
まぁ、考えてみれば当然だ。
バリバリ初心者の俺と、何度も困難を乗り越えてきたであろう彼ら。
いくらなんでも、レベルが違いすぎる。
協力すれば、そうすればーーと、その考え自体が甘すぎた。
俺はいつも足手まといで、それでも何かできることがあると思い込んでいた。
ーーそれが、ただの思い上がりだっただけだ。
最初、ミルナさんにも言われたじゃないか。
ーー思い上がるな……と。
何を勘違いしていたんだ。
こんな奴、捨てられて当然じゃないか。
だって、そうじゃないと、レイナは生き残れなかった。
自分の意見を正当化していないと、俺が俺でなくなってしまいそうだった。
だって、こんな感情は今まで持ったことが無かったから。
そうでも思っていないと、ただの身勝手な妄想で、事実もわからない憶測で、やってしまいそうだった。
ーーだから
……だから、
……だからーー
大蛇の苦しそうな鳴き声だけが響くようになったこの空間ーーそこで、明らかに俺たちのいるところに向かって、ガラスのような物が飛んできた時。
それが地面に落ちて、割れて、音が鳴った時。
そして、それが原因で、再び大蛇が動き出す音が聞こえてきた時。
焦りすらも、緊張すらも、恐怖すらも。
他のどの感情すらも凌駕して、強い怒りと深い恨みが湧き上がってきてしまった。
この、人がピンチの状況で、ただ自分のために行動する奴なんて、1人しかいない。
誰かを切り捨てて、犠牲にするーーそのやり口は、まんま彼女のものだ。
この一瞬のうちに起きた出来事で、前に立つ男もかなり焦っていた。
再び、バリアを展開しようとしているのか、杖を前に出して何かを詠唱している。
そして、俺は…………
「ーーレイナぁぁぁっ!!」
男の声をも遮るほど大きな声で、殺したい相手の名前を叫んでいた。
もはや、数時間前までパートナーだったことも忘れ、怒りに燃えていた。
昔の親しくなりたかった仲間はーー
殺したい敵として、再びすぐ近くにいることを伝えてきた。




