第57話 待ち伏せと敵
失敗を知らせる声としてはあまりにもあっさりし過ぎていて、最初その声の意味が何を指すかわからなかった。
だが、その声の直後、今までゆっくりと這いずっていた音がピタッと止まる。
皮肉にも、それで失敗という現実をやっと理解できた。
「おい! 何やってんだユカ!!」
「しゃ、しゃーないだろ! こんなところに骨が転がってるなんて誰も思うわけないじゃんか!!」
「足元ぐらいよく見ろよ!! あー、せっかく何事もなく進めると思ってたのによぉ!」
「おいゲイル、お前がそんなフラグ立てるから悪いんだろうが!! バーカ、ゲイルのバーカ!!」
「ひっ…… ちょっ、そんなことやってたらって……来た!!」
2人がものすごくしょうもない事で言い争っている間、ピタッと止まっていた大蛇のはいずる音が再び鳴りだす。
ーーしかも、さっきよりも大きく、そして速く。
その音は、重いものを引きづるというよりも、地面をえぐるほどの勢いで摩擦をものともせずに向かってきていると言った方が正しいほどだ。
今まで遭遇した生物とは違い、咆哮を上げることもなく、ただひたすら素早く近づいてきている。
まるで、無力でただおいしいだけの餌としてしか見られてないかのようにーー
確実に音が大きくなってきている。
近づいてきている。
……それは明らかなのに、この深すぎる暗闇が先に映る風景を遮り、何も見えない。
この振動で、見えない天井からも砂埃が舞い落ちてくる。
なのに、未だ敵のーー大蛇の姿は暗闇に紛れたまま見えない。
俺たちを翻弄しているのか、それともこの空間がそれほどまでに広いのか、そこまで判断できない……が、どちらにせよやばい事には変わらない
この一瞬が過ぎていく度に、恐怖と焦りが増幅し、心を支配していく。
冷静な思考が奪われ、それこそ逃げることしか能がない餌へと成り下がっていく。
「死にたくないーー」
人前なのも忘れ、頭を抱えてしゃがみこんだ挙句、弱弱しい声音でそう零した。
この鳴り響いている音だけでも、俺なんかに勝てる相手ではないことがわかってしまう。
鳴き声でもなく、何なら意図して大蛇が鳴らしているはずもない音なのに、それだけで絶望が込み上げてくる。
まだ何も見ていないのに、すでに圧倒的な力を目にしたかのようなーー
「少年、挫けるにはちょっと早すぎるんじゃないか?」
「まぁ見てろって」
戦意を喪失し、あろうことか目まで開けられなくなった俺に対しそそ女どころか男までもが軽蔑することもなく、切り捨てるでもなく、ただ語りかけてきた。
でも、わかってしまう。
この1日だけで、あまりにも絶望を体験した今だからこそ、それが透けて見えてしまう。
彼、そして彼女は強気にそう言ってはきたが、それは自信によるものからではない。
……いや、むしろ彼らに自信は無かった。
額には汗が浮かび、顔は少々強張っている。
しかも、刀が握られた右手と、杖が握られた左手は、それぞれ僅かに震えていた。
ーーそれは、彼らですら勝てるか怪しい敵……という証拠としては十分すぎた。
なのにーー
「ユカ! 受け止めるからカバー頼む」
「わかった!」
その言葉と共に、女が真横へ向かって走り出す。
男は、その場にとどまったままずっと杖を前に突き出している。
そして俺は……そんな状況をしゃがみこんだまま横目で見ていた。
この2人に殺されかけたからだろうか。
何度も、野生の動物に恐怖を植え付けられたからだろうか。
ーー恐怖に、抗えなくなっていた。
これまで、どうにか耐えてきたのが、抑えきれない。
見たくもない。考えたくもない。
どうせ、俺じゃ勝てないんだ。
どうせ、死ぬしかできることなんてないんだ。
全てが無駄に感じてしまう。
こんな化け物に勝とうとするぐらいなら、まだ苦しくない死に方を考える方がマシに思えてくる。
諦めてないのが、バカらしい。
それなのに、そう考えて、そう思って、そうわかっているはずなのに……未だに死ぬ覚悟ができない。
諦めきったはずなのに、希望を追ってしまう。
何もできないとわかっているのに、死にたくないと思ってしまう。
きっと、そんな中途半端なことを続けてるせいで。
ーー俺は守られてしかいないんだ。
空間いっぱいに、今までないような轟音が轟いた。
質量のある物体が、何か硬いものにぶつかった音。
顔を上げて見てみると、変わらず見通せない暗闇ーーではなかった。
薄い半透明の緑色の球体が、男と俺を包み込んでいた。
しかし、よくみると前方にひび割れが入っており、それが実態を持つものだとわかる。
そして、問題はその奥。
……何かが、張り付いている。
シワがあって、水掻きのようなものがあって、鱗のようなものが反射している。
しかも、そこからは3つの細いものが伸びており、その先には指の1関節と同じぐらいの長さの爪が付いていた。
「あ……」
それを見た瞬間、足に力が抜ける。
ただでさえうずくまって不安定な体が、ゆっくりと後ろに倒れた。
……見えるのは、やはりどう見ても恐竜のような、大きいトカゲのような手だ。
大蛇って、蛇なんじゃ……?
まさか、この世界の蛇って……腕があるのか?
んな、バカな。
ランタンの光が、その何枚もの鱗で反射している。
そしてそれが、この球になったバリアの外側に、巻き付くように存在していることを教えてくれている。
ーーすでに、逃げる道は閉ざされた。
危機に陥っているのは自分たちだというのにその光景が現実とはかけ離れすぎていて、完全に場違いなことを考えてしまう。
さっきまで考えていたことも、完全に頭から抜け落ちてしまった。
全方位を蛇の体が支配している。
そして、少しずつ強く巻き付いているのか、バリアのひびがじわじわと広がっていく。
しかも、そのできていくひびに鉤爪を立て、引っ掻いてく。
そのせいで、バリアからギリギリという嫌な音が立っていた。
その音がいつ聞こえなくなるか、いつ、あの鋭い爪の先がバリアに入ってくるか……
一瞬のうちに焦りと恐怖が入り乱れ、それすらもついに消えていく。
そして、それの次にやってくるのは後悔だ。
今までの瞬間を、どうして生き延びるために使わなかったのか、という。
何もしていなかったことが、取り返しのつかない事のように思えて仕方がない。
俺が何もしていない時にも、事態は進んでいく。
より、深刻に。
男が作り出した円形のバリアには、さっきよりも大きくひびが入っていて今にも割れそうだ。
このシールドを保つためにも魔力が必要なのか、彼の杖はずっと光りっぱなしだ。
そして、苦しそうに耐えている。
耐えて、耐えて、耐えてーー
終わりのないような時間に取り残され、それでもずっと魔力を注ぎ続けている。
そして、今あるひびが少しずつ広がっていった時ーー何故か、大蛇がシールドにつけていた体を起こし、こちらを向いたまま後ろに下がっていく。
だが、その闇を反射させたような瞳が、確実に諦めていないことを伝えている。
ーーこれは、きっと……
「来る!」
「んなことわかってる!!」
思わず、悲鳴に似た叫びが出た。
その次の瞬間ーー思った通り、その瞬間はやってきた。
光に照らされた暗闇から、微かに浮かび上がるように見えていた大蛇の顔が、一瞬のうちにはっきりと見えるところまでに近づいていた。
だが、その顔に目は付いていない。
口と、その中に大量に並ぶ牙と、それに見合わないぐらい小さい鼻。
それだけで、見えている部分が顔だと判断するには十分過ぎた。
ーーそれが、向かってきている。
しかも、このシールドを丸呑みにできてしまうほどの口を直角を超えるほどに開き、上下に付いた2対の牙もこちらへ突き出している。
そのまま、衝突が加わるまでに時間はかからなかった。
いつの間にか、シールドに突進してきて、その鋭い牙をこの球体に食い込ませる。
衝突の衝撃だけで、持ち堪えてるのが不思議なくらいひびが広がっていたのに、そこにさらに牙が食い込んでいた。
厚い半透明の壁を突き破り、長い牙をこの空間の中に入りこませている。
牙が完全に空間の内部へ入り切った瞬間、そこからひびが生まれていき……すごい速さで他のひび割れと繋がっていく。
そしめ、最後の足掻きと言わんばかりに球体のシールドが大きく潰れーーそのままいくつものかけらが飛び散った。
ーー何か、ないのか?
まだ、この状況を変えれるような……
考えついたところで、もう間に合わない。
そもそも、ここから反面を覆せる手なんて俺にはない。
なのに、このシールドが破られる直前、俺はずっとそんなことを考えていた。
……いや、破られてからも、考え続けてきた。
無駄なのに、無意識にやってしまう。
分かっているのに、分かっていないフリを続けてしまう。
あとは、最後が来るのを待つだけーーだと思った。
「生きたいなら、覚えとけ」
耳に、そんな幻聴が入った。
……いや、違う。
男が、言ったのだ。
「ーーーーー」
続けて、また何か聞こえた。
だが、その声は、幻聴にも聞こえた声は、違う轟音にかき消された。
しかし、その音は最後を知らせる音なんかじゃない。
恐る恐る、いつの間にか閉じていた瞼を持ち上げる。
すると、赤い液体が映った。
何度も見てきた。
血だ。
そして、地面が不自然に隆起している。
「ギエァエエエエェェェッ!!」
そして、絶叫とも悲鳴とも取れるうるさい咆哮が、空間に響いた。
そのタイミングで、男は上空に杖を向ける。
そのまま、短く何かを詠唱しーー
明るく光る物体が、杖から生まれた。
あの光には見覚えがある。
彼らと最初戦った時の、人工太陽みたいなやつだ。
それは、少しずつ上空へ上がっていき、この惨状を少しずつ映し出していく。
周囲には、割れたはずのシールドの破片がどこにも存在しなかった。
魔法で作られたものだから、そういうのは残らなかったのだろうか……?
まず視界に入った景色に頭を働かすも、次に見えた衝撃的な光景が、それすらも忘れさせた。
大きく口を開いた大蛇、そこから鮮血を撒き散らしながらその痛みに身を捩らせる。
そして、最後に映し出されたのは、大蛇の喉へ深々と刺さる、地面から生えた岩の氷柱だった。
それが、大蛇に致命傷を負わせている。
大蛇が踠き、その度に血を吐き続け、奇声に近しい声をひたすらに上げている。
その光景を見て、言葉を失った。
そして、あの時聞き逃したはずの言葉が、自然と脳裏に浮かんでくる。
「生きたいなら、覚えとけ。戦うにしても、逃げるにしても、タイミングを逃すな」
そう。
彼は、その言葉の通りタイミングを見極め、そしてトドメを刺したのだ。
だった1人で。
あの、無理だと思っていた大きすぎる『絶望』に。
……いや、違う。
トドメを刺したはずなのに、未だ大蛇の咆哮は終わっていない。
もう、あの生物は生きられない……そう思うのは、俺の先入観からか?
一気に、不安が押し寄せる。
そのタイミングで、上昇していた人工太陽が天井まで辿り着き、その場所に留まった。
動かなくなった影が、上を見ずともそれを知らせてくれる。
そして、この空間に残った動くものは、俺たちと大蛇だけになった。
……大蛇は、まだ止まる気配がない。
ーーいや、……あれは!!
大蛇は、あり得ない量の血を撒き散らしながら、より活発に動くようになっていた。
最後の力を振り絞っていたような弱々しい動きが、ただ痛みに抗っているだけの力のある動きに……
何より本能が、語りかけていた。
ーーまだ、終わっていない。
後ろに倒れ座っているような体勢で、1歩、また1歩と手を使って後ろへ下がる。
立つ時間すらも、惜しく感じた。
そして、もう数歩行くと、後ろに出していた手が何か硬い物に触れる。
反射的に大蛇から目を離し、手に当たった物へ目を向ける。
所々割れて穴が空いていて、綺麗な白色じゃない。
それでも、本物じゃない模型は何度も見たから、それが何かわかった。
……わかってしまった。
人間の、それも、まだ完全に白骨化しきっていない頭蓋骨が落ちていた。
「ーーっ」
叫んだつもりが、声も出ていなかった。
それも、そうだ。
だって、よく見たらーー
そこら中に、転がっている。
力なくその頭蓋骨から手を離し、汚れた手を地面に擦り付ける。
落ちない感触が、落ちるまで。
必死に地面に擦り付け、感触を消す。
そんな中、まるでそんな姿を見ているかのように、上の方ーーそれも太陽がある位置とは別のところから、光が反射していた。




