第42話 警告とすれ違い
ーーそもそも、俺はそんな感情を抱けるような立場じゃないだろ。
レイナに頼み込んでいる立場なのだから。
……いや、こんな閉ざされた空間にいるんだ。ストレスぐらい溜まって当然か。
そんな内心に現れる感情の靄を紛らわすために、再び周囲を見渡す。ーーとは言っても、広い空間にいると本当に暗闇しか目に入ってこない。
この辺りは、目で見るよりも耳で見た方がいい。
いくら目が慣れてきたからとしても、遠くまで見通せるわけではない。
なので、しばらく目を瞑って音を辿る。
勿論、もはや聞き慣れてしまった足音は無視だ。
けれど、やはり何も聞こえない。
僅かに、虫が這いずる音が聞こえるぐらいだ。
まぁ、それでも敵がいないのに越したことはない。
それだけ危険が少ないと言うべきだ。
ただ、それと同時に風の音もしなくなっていた。
つまり、この周辺には来た道以外で外に通じていないということか。
この辺りで迷ったら……本当にやばそうだな。
そんなことを考えながら、このまま目を瞑りながら歩いているのも怖いので瞼を持ち上げようとした時だ。
前方を歩く、レイナの足音が変わった。
……いや、厳密には響かなくなったと言うべきか。
それすなわち、広い空間から狭い空間へと移り変わったということのはずだ。
そんな推測を立ててから、目を開く。
網膜にランタンの僅かな光が取り込まれ、前方の景色が見えるようになっていく。
まず視界に入ってきたのは、思った通りの狭い入り口の洞窟だ。
洞窟の中に洞窟があるというのも変な表現だが、実際にはそうとしか言いようがない。
高さは、3メートルあるか怪しいぐらい。
また、横幅は高さと比べると幾分か広くなっているが、それでも人工的に作られていた遺跡の通路と比べてしまうとかなり窮屈に感じる。
ぎりぎり、剣を振るスペースがあるぐらいだ。
レイナの槍は、もしかしたら引っかかるぐらいじじゃないのか?
それでも、彼女はペースを落とすことすらせずに進んでいく。
まるで、問題ないと主張してきてるような頼もしい後ろ姿があった。
その洞窟の入り口に差し掛かった時、少し入るのをためらってしまったが、意を決してそこへと足を踏み入れる。
その途端、音が反響しにくくなり、かすかにしていた足音も大分聞こえずらくなった。
先ほどは聞こえた彼女の足音も、ここに入ってからはもう聞こえてこない。
狭い空間というのは、広い場所よりも警戒の必要が無くて助かるが、その反面前後から来る攻撃には対処しにくい。
遺跡を住みかとする生物の中には、魔法を使うものもいるーーと、事前に彼女尾から聞いていたが、実際にこういう場面に直面してしまうのならもう少し詳しく情報が聞きたいものだ。
こんなことなら、その時にもう少し詳しく聞いておくべきだった……
以前の自身の判断を呪い、同時に後悔が現れる。
正直、遺跡探索がここまで神経を使うものとは思っていなかった。
地上ではなく、まともな光源はランタンだけの狭い洞窟の中。
しかも、血かを歩いた知ったときでさえも、ここまで大変だとは思わなかった。
せいぜい、夜の部屋を歩くぐらいだとーー
この世界に数日滞在しても、未だにゲーム感覚が抜けきっていなかったようだ。
現実は、どこまでも厳しく、そんなに甘いものじゃない。
それを理解していながら、日本にいた頃に、最も簡単にかかわれる異世界の常識というのに浸ったままでいるのだ。
ーーこの世界は、人間に作られたものじゃない。
それを、再度心に刻み込んだ。
少し歩き続けても、依然と変わらない風景が続いている。
だが、後ろを振り返ると入ってきた入り口は見えなくなっているので、確実に進んでいるということは確かだ。
音が響きづらくなったとはいえ、俺の足音は完全には消せずにいる。
しかも、響きづらくなったということは、敵の音も聞こえにくくなったということに他ならない。
待ち伏せされている可能性も高くなった。
……そういえば、俺の足音がしてるのは靴を履いてるからであってーーそれなら他の生物とかは足音を鳴らすのか?
その考えが浮かび、ふと俺のよく知っている生き物たちを思い出してみる。
犬と猫はーー肉球があってそもそも足音とかしないな。
あれ? じゃあそもそも、ほとんどの生き物は足音なんて立たなくないか?
あのオオカミモドキもそんな音立ててなかったし。
……じゃあ、もしかして足音立ててたのって、グイムレーターだけなのでは?
あれ? ならどうやって敵を認識すればーー
ここまで来て、俺がしていた行動に思わぬ欠陥が見つかる。
確かに、彼女からは音を聞いておけぐらいしか言われてなかったがーー
そもそも、待ち伏せしてる敵なんてのは音なんて出さないんだ。
……もし、この先に音を出さない悪魔みたいなのが潜んでいたら……?
その可能性を1度頭の中で思い描いてみる。
ーー暗闇の中、変わらず暗闇が続いている。
通路が狭いことも相まって、慣れた目でもすぐ先の景色を把握するのでやっとだ。
そんな中、明かりで照らされる先にうっすらと影が見えてくる。
そこで、やっと光が入ったところで視界に飛び込んでくるのは、凶暴な鋭い爪と、獰猛な牙。
もちろん、突然のこと過ぎて剣を抜くも間に合わない。
そのまま、その鋭い牙の餌食となりーー
……自分で想像しといてアレなのだが、帰りたくなってきた。
今のも、想像の話だけで収まればいいが……実際にそうなる可能性があるのが本当に怖い。
そういう敵は前方を歩くレイナが対処してくれると思いたいが、人任せにするのはようくない。
むしろ、俺が守るぐらいの勢いでやらなくては。
とりあえず、脳内でシミュレーションしてみて、気づいたことはいくつかある。
この空間で、重要なのは音なんかじゃない。
些細な変化、そして後ろを確認を怠らないこと。
あとは、その危機に1秒でも早く気付くことだ。
そのためにも、この先をよく見ておこう。
見えない暗闇の中をどうにかしてみようとするのではなく、確実に見えるところを入念にチェックしよう。
そうして、後ろを振り返り、変化がない事を確認する。
次に、視線のすぐ先にある壁。
先ほどとほとんど何も変わらない岩肌で、植物の1つも生えていない。
ゴツゴツしているというよりも、かなり滑らかな直線で構成されているイメージだ。
……ただ、さっきよりもひび割れのような、亀裂の入ったところをよく見かけるようになった気がする。
しかも、不自然に天井と地面にその割れ目が多く、壁にはあまり見受けられない。
狭い洞窟だとこういうことが起こるのだろうか?
なんだか少し不自然だな。
さらに奥に進むにつれ多くなっていくひび割れを目で追っていると、天井に何か尖ったものが出っ張っているのに気づいた。
そこまで大きくはないが、天井とは垂直に生えてきている。
まるで氷柱のようだ。
ーーここは鍾乳洞か何かなのか?
鍾乳洞には、鍾乳石と言われる氷柱のような石が垂れ下がっていることがある。
目の前にあるのも、それかもしれない。
だが、俺の知ってる鍾乳石は、1つだけポツンとあるのではなくてかなりの量が集まっていたと思うんだがーー
「あれは……骨か? いや、死体……?」
それと同じタイミングで、前を歩くレイナから声が漏れた。
その単語も、かなり不穏なものだ。
ーー前に何があるのだろうか。
レイナが見えているということは、きっとランタンの光が当たる中にそれはあるのだ。
死体と呼ばれた何かがーー
すぐ視線を落として奥の地面を確認するだけで、それは視界に入ってくるのだろう。
だが、俺はどうしても下に目を向けなかった。
それもそのはず。
天井から、砂が落ちてきているのだ。
特にひび割れを中心に、細かい砂が降り注ぎ、中には小石も紛れ込んでいる。
聞こえてきたものよりも、今実際に目で見えているものの方が衝撃的で……
まるで、洞窟が崩れる予兆のような現象だ。
それから、俺どころかレイナまで立ち止まり、釘付けとなって見上げる。
万が一崩れれた場合、この狭い洞窟ではまず助からないだろう。
ここに入ったばかりとはいえ、入り口からは少し距離がある。
……けれど、不思議と危機感はあまりなかった。
こういう崩壊に付き物の、大地を揺らす程の振動が無いからだろうか。
現状としては、ただ天井から砂が振ってきているだけなのだ。
突然降り出しただけということは、ただすぐ真上の空間を何か大きなものが歩いているだけかもしれない。
彼女もこの状況に戸惑っているのか、見上げていた視線を下ろして俺の方を振り向いたりと周囲を見渡している。
そんな中で俺は、天井の先にある鍾乳石に目を移していた。
この空間に不自然に生えるそれに、少なからず違和感があったからだ。
そして、砂のシャワーが降り注ぐ中、その周辺を見つめているとーー微かにその鍾乳石が動いた……ような気がした。
周りの景色が揺れていなくても、天井から垂れ下がるそれが動いたということは……やはり気づいてないだけで、この空間は揺れているということにーー
それに気づいた途端、ようやく失くしていた危機感が込み上げてきた。
いつも以上に心臓の音が大きくなり、緊張で力が入って体が硬直していく。
頭の中はありとあらゆる最悪の可能性が浮かび上がり、冷や汗が頬を伝って流れていった。
レイナは別のものに気を取られていたのか、鍾乳石がかすかに動くのを見ていなかった。
ーーつまり、ここが揺れていることにまだ気づいていない。
流石のレイナも、ここが崩れるとなれば逃げないといけないはずだ。
ーーとにかく、彼女に報告するのが先だ!
そう思いながら、急いであげていた視線を元に戻し、前方にいる彼女の方へと視線を移す。
だがその直後、一瞬の内に目を疑うような光景が広がった。
天井と地面がものすごい勢いで割れ、崩壊していく。
地面が盛り上がり、天井が落ちていく振動が一瞬でここまで伝わり、遅れて激しい轟音が鼓膜を震わす。
大きめの瓦礫がすぐ俺の目の前を中心に降り注いでいく。
そこから亀裂が広がっていき、足元が大きくグラついた。
しかし、それは洞窟の崩壊が原因ではないーー否、別の原因こそが、この洞窟の崩壊を招いていた。
目の前に映る視界の先ーーそこには、天井と地面を突き破り、今にも閉じようとしているデカすぎる『口』があった。
まるで、恐竜のような牙を持った口が、今にも彼女を丸飲みにしようとしていた。
ーーこの洞窟の狭さを利用して、洞窟の岩の中に隠れていたのだ。
じゃあ、俺が見た鍾乳石は、あれの牙だったわけで……
めいいっぱいに開かれたその口は、この細長い空間に横から噛り付くように天井と地面を突き破り、離れた上あごと下あごをつけようとする。
しかも、その口の中にすっぽりと、レイナが収まっていた。
その大きく開かれた口が完全に閉じられてしまえば、彼女は終わりだ。
……なのに、彼女は武器すら握れていない。
ーーあまりにも突然に、死の瞬間がやってきた。
声を出す間もなく、俺は彼女に向かって手を伸ばす。
まるで、あの日、悠菜を魔方陣から突き飛ばしたように……
だが、今回は距離が開きすぎている。
ーー俺が、彼女と少し距離を取りたいと思ったばかりに。
間に合わないーー
……間に合わないっ!!
瓦礫が真上から落ちてきているのにも関わらず、俺は走っていた。
だが、そんな俺のことなどまるで気にしないように、牙の生えた口は無慈悲にも閉じていく。
待ってはくれない。
彼女の方は今更になって武器を取ろうとしているのか、腰のあたりに手を伸ばしている。
ーーもう、間に合わないのにも関わらず。
だが、それがどこかでわかっていながらも、俺は彼女の方へとーー大きく開かれた口の中を目指して走っていく。
そんな彼女と、その瞬間が訪れる直前に目が合わさりーー
「てめっ! ……来るな!」
ーーそんな声が聞こえた次の瞬間……俺は吹き飛ばされていた。




