第19話 移動と魔物
狭い通路の中を、鋭い方向が響きわたった。
体を震わせ、痺れさせてくる。
そんな中、手をかけていた剣を本能的に抜き、前へと前進してきたトカゲに剣を向けた。
正直、剣一つでどうにかなるとは思えないが、後ろを向いて逃げていたらそれこそ丸呑みにされそうだ。
それに、俺にはレイナがついている。
いざとなれば、助けてくれる……かもしれない。
そんな淡い期待を寄せながら、こちらへと近づいてきているトカゲに向けて、剣を振り下ろそうとした時ーー
あの、リードを手にしたおっさんが、薄気味悪い笑みを浮かべてきた。
唇の両端が上へと上がり、歯をのぞかせながら微笑む。
その顔が、今この場において、どう考えても敵意以外の何者にも感じられない。
レイナは……馬車の中にいて気づいていないのか、出てくる気配すらない。
ーーなら、俺がやるしか……
「はっはっはっはっ、お客さん。もしかして、龍車を見るのは初めてでしたかな?」
「へ? あ、はい」
「おやおや、やはりでしたか。これはこれは、珍しい」
向かってくるトカゲ、そして愛想のない笑みを浮かべるおっさん、それらの光景とはまるで合わないような言葉が飛んできた。
龍車? え、馬車じゃなくて? 異世界系によくあるタイプの?
そこまで思ったところで、あのトカゲから意識を逸らしていたことに気づき、すぐさま集中させる。
どちらにせよ、あのままトカゲが進んでいれば、こっちとぶつかるのは避けられないわけでーーって、あれ?
その、あまりにも不思議な光景に、思わず目を疑ってしまった。
なにせーー突進してきたはずのトカゲが、おっさんの持つリードに力負けしていた。
もう少し正確に言うと、トカゲは足を動かしている。だが、全く進んでいない。
犬につないだリードを持つように、前を行こうとするトカゲの動きを完全に阻止している。
それも、たかが人の両腕だけで。
この世界の龍、よっわ!
と、声に出さずとも叫んでしまうほどの衝撃だが、念のためしっかりと確かめたい。
「この龍って、そんな弱いんですか?」
「いやいや、確かにおとなしくはありますがね。野生のものはかなり厄介ですよ。ですが、目を隠していれば襲う心配もありません。前へと進もうとするだけですからね」
「あ、そうですか」
「たまぁに、お客さんと同じように見たことないという方は現れますが、さすがに剣を向けてきたのは初めてでしたよ。はははははっ」
「…………本当にすみませんでした」
「いいってことですよ。この子が吠えるなんてことは滅多にない事なんですがねぇ」
ーーやばい、また……またやらかしてしまった。
何が、俺がやるしかーーなんだろうか。
迷惑をかけないようにしようって決意したばかりなのに……
っていうか、普通に恥ずかしい。
とんでもない間違いをしでかしたという事実に、わずかな羞恥心と死にたくなるような気持ちが込み上げてくる。
とりあえず、このおっさんから一度距離を置こう。
また気まずくなる。
そう思いながら、トカゲに背を向け、龍車の方へ振り向く。
すると、その扉からレイナの顔がのぞかせていた。
「まさか、本当にあれに剣を向けたのか?」
変わらずの無機質な声が、響かないほどの、それでもしっかりと俺のところまでと説く声量で聞いてきた。
否定したいところだが、隠そうにも一瞬でバレる気がするので、素直に頷いてみる。
馬鹿にされるんだろうなぁ……
と、思っていたが、一瞬にも満たない感覚の間に、無表情だった彼女の顔が崩れた。
口の両端が上がり、いつもイラついていたように上がっていた眉が柔らかく下がる。
顔の動いた部位はおっさんと何ら変わらなかったが、結果的な笑い顔はおっさんと比べるのがおこがましいとすら思えてしまうぐらいに、きれいなものーーだった気がした。
いつの間にか、あのいつもの無表情に戻っており、笑ったのが幻だったようにも思えてしまうほどだ。
あれ? もしかしてそもそも気のせいだったか……?
「もし、本当にやばかったら私が動く。しかも…………いや、これは今はいい。とりあえず、さっさと乗ってくれ」
そう言い切ると、彼女は出していた顔を龍車へと引っ込めた。
それに続くように、俺もハシゴに手をかけ、龍車の中に入り込む。
「では、このまま出発という形でいいですか?」
「ああ、出してくれ」
そんな短い受け答えがされると、トカゲが龍車の前方へと進み、そして止まった。
前方に付いている、開閉可能なのぞき窓から様子を伺ってみると、あのおっさんがトカゲと龍車を手綱で繋げている。
いや、こうして初めて『龍車』になるのだ。
そして、その作業はあっという間に終わった。
基本的に馬車と構造は変わらないが、トカゲの長い尻尾が龍車の車輪の左右の間を通しているところが大きな違いだ。
車輪と絡まったりしないか少し心配ではあるが、もしそうであると商売として成り立たなくなるので、まぁ大丈夫なんだろう。
「では。エトレイク森林第2大橋まででよろしいですね?」
そんな、おっさんの気の抜けた言葉とともに、龍車は進み出す。
予想していたよりも揺れは少なく、電車が出発するのとあまり変わりないように感じた。
のぞき窓からは、手綱をしっかりと握っているおっさんの手と、前進していくトカゲが映る。
馬とは違い、手足が体の横に付いているので体をクネながら進んでいくので、見ていて面白い。
ーーだが、突然その景色が遮られた。
隣を見てみると、のぞき窓を閉めた手が、さらにその奥には窓を閉めるために立ち上がったレイナがいた。
「あのトカゲを見るのだけで時間を潰していいのか?」
……。
確かに、彼女の言う通りだ。
見たことない光景に見入ってしまったせいで、せっかく設けてもらった質問タイムを無駄にするところだった。
今後のためにも、色々と聞いておくべきだろう。
そうして、記憶を振り返り、気になったことを思い出していく。
すると真っ先に、ついさっき聞いた言葉が頭に浮かんだ。
「エトレイク森林? だっけ、そこまではわかるんだけどさ、第2大橋とかって何?」
「そうだな、まず大前提として、森林の奥にはかなりの化け物が山のようにいる。だから、森と直接道を繋げてたら、王都にも被害が出る可能性があるだろ?」
「なるほど?」
「で、幸運なことに王都のある大地とその森林とは、区切られるように川が通ってるんだ。逆に言うと、川を渡らないと森林まで行けない」
「じゃあ、そのために橋が掛かってるのか」
「そういうことになる。橋は第1から第5まであって、近い順に割り当てられてる。もちろん、遠い第5付近は完全に森の深部になってくるからな。危険度も同じだ」
「で、今回俺たちがいくのは2番目に近いところっていうことか」
俺が話のざっくりとしたまとめを言うと、彼女は無言で頷いた。
今回2番目って言うことは、それなりに安全なはずだ。
よかったよかった。ーーよかったが、それと同時に疑問も生まれる。
「なぁ、それならなんでその元貴族の人たちは一番安全な場所を選ばなかったんだ?」
「……元貴族達だけじゃない。実際、森の表部で薬草やらを採ったり、使い物にならない魔道具を探したりしてる奴らは少なくないんだ。理由はどうあれ、仕事として実際に成り立ってはいる」
「じゃあ、尚更なんで…………」
「だからだよ」
「えっ?」
「人が多すぎるんだよ。薬草だろうとキノコだろうと、刈り続ければいずれ無くなる。流石に、今のところそんなことは起きてないが、以前よりも収穫量が少なくなってきてるのは確かだ。ーーそれを考えたんだろうな」
「あっ……」
「そうだ。 少し危険度が増す代わりに、より大きいメリットを狙ったんだろ。目先の利益だけを見て、中途半端に頭を働かせるから面倒なんだ」
「そ、そうか。まぁ、気持ちは分かるけど……」
「大体、こうなることを防ぐために人並み以上の金はもらってるはずなのに、なんでそれでも贅沢をしようとするか。はぁ……」
そんな、ため息とともに、彼女の口からため息が漏れた。
確かに、愚痴りたくもなるだろう。
けど、この俺と彼女しかいない空間の中で、こういう雰囲気になるのは避けたい。
何か……異世界と言えばーーあっ!
「ちなみにさ、森にはどんな感じの生き物がいるんだ? オークとかゴブリンとか、ましてやドラゴンとかっていたりする?」
「いるぞ。ーーというか、今この馬車を引っ張ってるのも一応ドラゴンだが」
「え? まじで? あのトカゲが?」
「種名は分からないが、四足龍の一種なのには変わりない」
「四足って……なんか翼が生えてたり、首が長かったりするのはいないかんじ?」
「足に、羽……? 手足と翼が同時についてる生物なんて虫ぐらいしかいるわけないだろ。そんなのはおとぎはなしの中だけだよ」
手足と羽が同時についてる生き物……
確かに、地球にいる生き物を思い返してみても、虫ぐらいしかいない。
そういう根本となる法則は、異世界だろうと変わらないのか。
とはいえ、ドラゴンがあのトカゲかぁ……。
言われてみれば、コモドドラゴンって名前のトカゲも地球にはいたが……
あの弱っちぃのがドラゴン?
「ただ、前足がない代わりに翼が生えてるワイバーンとかはいる」
「まじか! ちゃんとしたドラゴンもいるのか!」
「……倒しにくい上に実害もあるけど、森では深部でもほとんど見かけないな。それと比べて、ゴブリンの方はそこら中にいるぞ」
トカゲドラゴンのところはちょっとアレだったが……ワイバーンにゴブリン、きっとオークとかも、異世界ならではの生き物はしっかりと異世界には実在したらしい。
「ゴブリンって、肌が緑色のやつ……だよな?」
「緑というよりも、グレーに近い気がするが……まぁそんなとこだな」
そんな、イメージと似ている答えが返ってきて、胸を下ろす。
ーーこの世界に来て、最初に戦ったのがオオカミもどき、次に戦ったのが騎士団の副団長、そしてレイナ。
最初辺りは戦いは逃げてただけなので、戦いと呼んでいいか怪しいがーーようやく、ちゃんと異世界らしいものと戦えそうだ。
いや、今はそんなことどうでもいい。
俺でも知っているゲームの知識、それがここで通じたということは、すなわち現代知識無双が使える可能性があるということに他ならない。
正確には現代のゲームの知識なわけだが……細かいことは気にしないでおく。
何より、この世界に来て、初めてチートを使えるような場面に出会した。
きっとこれで……
そんなことを思い、少しワクワクしながら、そしてどこか不安になりながらも、龍車は進んでいく。
何も気付けないまま、すでに簡単には立ち止まれないところまで来ているとも知らずに……。




