読んだ本の話。川上未映子〜ヘヴン
こういったものは初めて書くので、お手柔らかに。あと、少しネタバレが含まれています。
川上未映子著、ヘヴンについて触れています。
小説というものは、どういった構造で成り立っているのか。それを改めて考えようと思い、本棚からいくつかの本を手に取った。その中に、川上未映子のヘヴンが含まれていた。構造を理解しようとしているのに、イジメを扱っている小説を手にするのはどうなのだろうか、と少し考えたけれど、何というか、読み始めてすぐに、とてもしっくりきた。
この小説は、イジメを受けている斜視の主人公の元に、同じようにイジメを受けているコジマという女の子から手紙が届き、始まる。
〈わたしたちは仲間です〉
それからコジマからの手紙が日々、机の裏に貼り付けられ、そのメッセージに主人公が答えることで、二人の関係が始まる。その二人を中心にして、物語は進んでいく。
コジマは、はさみで物を切る。カーテンの裾や、ほうきの端っこを。不安になったり、安心したり、そうした感情の状態から、「標準」の状態に戻るために。標準標準と言いながらちょきちょきやる。コジマは、その「切る」という行為に意味を与えている。側からみれば、ただ切るだけの行為も、コジマにとって標準に戻るための行為なのだ。
コジマが「しるし」を身につけるのも、意味のある世界にいるためじゃないだろうか。コジマはお父さんとの思い出のしるしとして、臭い体のままでいる。コジマはおそらく、そうして何かに意味を与え続けなければ、この世界に耐えられないのだ。そういった感情は、コジマのセリフの随所から感じられる。そして、このコジマと対照的な存在に、百瀬がいる。
百瀬は、世界に意味なんかないと言う。百瀬は主人公をイジメているうちの一人だが、そのイジメすら、意味なんかない、と言う。とても印象的だったセリフがある。
「子どものころさ、悪いことしたら地獄に落ちるとかそういうこと言われただろう?」
「そんなもの、ないからわざわざ作ってるんじゃないか。なんだってそうさ。意味なんてどこにもないから捏造する必要があるんじゃないか」と百瀬は笑った。
百瀬と主人公の会話はこの前後にもあり、ここまでの話には出てこなかった価値観を植え付けられる。
主人公はちょっとしたキッカケから、斜視の手術が可能なことを知り、そのことをコジマに話す。コジマにとって、主人公が斜視を失う(治す)ことは、しるしを失うことだ。
「その目を治して逃げたいと思っているんじゃないの」とコジマは言う。コジマは意味のある世界で戦い続け、それはラストシーンまで続く。
構造的な部分でいうと、この小説には随所に手紙のやり取りが描かれる。手紙も、文字を読むことで意味を汲みとる、いわば意味の世界で、この小説には欠かせないものになっている。
この物語はどう終わるのだろうか、と僕は思っていたけれど、一言で言えば、大人の介入で終わる。ここだけ切り取れば、意味のある世界なんてちっぽけなものなんだと、そう思われるかもしれないが、それは安全な場所にいるからに違いなく、辛いことや悲しいことがあった時、意味のある世界は、この物語は、絶対に必要な世界だ。
一度読んだだけでは分からなかったことが、今回意識的に読むことで、いろいろなことが見つかりました。理解が足りていないところも多いと思いますが、また小説が好きになる一つのキッカケになりました。
この後に、すべて真夜中の恋人たち、夏物語も読み、そのことにも触れようと思いましたが、今回はヘヴンだけとなりました。いずれの作品も、素晴らしかったです。