竹花咲き
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
みんなは、竹に開花を見たことがあるだろうか? おそらく、いたとしてもそう多くはないと思う。
なにしろ、日本の竹の一斉開花の周期は60年から120年の間。人によっては一生立ち会えないまま、というケースもあるだろう。
日頃、私たちが利用している「竹」と認識されている、地上の「筒」部分。あれはどうやら他の植物でいうところの、「枝」に相当するらしい。
「幹」にあたる部分は地下に隠れ、そこから枝を伸ばしている。タケノコがにょきにょき、土の中から顔を出すのも、そのためだ。
竹は開花すると、その後は枯れる一途なのだという。ひとつの竹林は、おおよそひとつの「幹」でまかなわれているらしいから、開花はつまり竹林の寿命を指すといっていいだろう。
しかし植物の命への執着は、ときに動物さえ上回ることもある。
私の地元に、竹に関する不思議な報告が伝わっていてね。どうだい、聞いてみないかい?
竹はイネ科の植物だ。それがつける花も、稲穂のそれにそっくりな形状をしているらしい。
数百年前、地元に咲いた竹の花は、葉のあちらこちらに穂のような形で、その姿をつけていったという。長さは田に植えるそれよりも短い代わりに、いがぐりのような大きさでまとまり、互いにやや距離を置くような咲き方をしていたのだとか。
当時の子供たちは珍しさと面白さが相まって、どんどんとそれらを抜きにかかったみたいだね。大人たちも生涯ではじめて見るものだし、対処を決めかねていたこともあって、しばらくは子供たちの好きにさせていたそうだ。
それらの中で、とある丘の中腹に位置する竹林のことが、子供たちの間で広まっていく。
なんでも、そこの竹の花たちは、よそのそれに比べてずっと長い身体を持つらしいんだ。
近場の子たちが実際に目にしたところ、確かにそれらは花とはとうてい呼べない有様で、つい顔をしかめてしまったという。
もはや穂で済まされる長さではなかった。束となったそれらは、高いものでは2丈(約6メートル)近いところから、土に着くまで、あたかもすだれのような姿を見せるものさえあったという。他では灰色がかっていた体色も、これに関しては髪の毛に近い、黒色を保っていたのだとか。
ところが、その様子を面白がって子供たちはくぐろうとするも、できない。
長く細く垂れる花と花の間は、そろえた指のようにがちりと閉じられ、子供たちの身体やつついてくる木の枝のことごとくを、かたくなに拒む姿勢を見せてきたんだ。
何かを隠すようなかっこうだが、横から裏へ回り込むことはできる。そこには見慣れた地面と竹の筒、奥まる林の景色が広がるばかりで、目にされて困るようなものはない。
――竹にとっても、なにか思うところがあるだろう。人には分からないだけで。
そう察して、子供たちは次第にそこへ近寄らなくなったのだが、半年ほど経ってから少しずつおかしなことが起こり始めた。
多くの植物にとって、春は芽吹きの季節。
水と日差し、暖かい空気に後押しされて、その背をすこやかに伸ばしていく時季とされる。
しかし竹においては子育てを促される。黄色く色づいた葉たちは、順番に地面へ落ちていき、新しいタケノコがぞくぞくと頭をのぞかせる。
これが数カ月もして秋になると立場が入れ替わり、他の植物たちが落葉していく中、元気に育っていく竹の姿に、お目にかかれるようになっていく。
この葉落ちは、付き従う花たちにも影響を与えた。
葉にくっついている以上、その身は一蓮托生で、竹林のあちらこちらに、転げた竹の花たちが木の実のように転がる。
あの長い花も例外じゃない。葉ごと地面に横たわったその姿は、じゅうたんを思わせる長さとまとまりを見せた。
他の花にはない、黒々とした色合いも手伝って、すっぽりと切り落とした女性の黒髪があるものと、遠目に錯覚するほどだったらしい。
しかし、彼ら花たちが、竹の筒から離れてしまってほどなく。
水を張った田に植えた稲たちが、どんどんと黄色く変色していく様を、村民たちは見た。
当然、いまは収穫の時期にはほど遠い。つける「もみ」さえないままに、首を垂れ始めてしまう。
どこに礼いう相手がいるやら。大人たちがざわつく間に、次は各々の畑も似たような始末に。
ナス、カボチャ、いんげん豆……夏に食べられる野菜の葉たちが、同じように色を失い、しなびて地面へ落ちてゆく。
その葉も長くはとどまらない。土へ触れた先から、漬物石でも乗せられたように、どんどんおのずから地中へ潜り込んでしまうんだ。
さすがに、それを目の当たりにしては黙っていられる奴は少ない。畑にくわを突き立てて、一心不乱に土をかき出す姿が、そこかしこで見られた。
そして数尺をたっぷり掘り返し、彼らがまなこにとらえたのは、同じような光景だったんだ。
あの竹林の、崩れ落ちた髪の毛のような形の花たち。
束ねた姿をそのままに、太い地下茎をほとんど隠すようにして、それらはもろもろの畑の地下を横断していたんだ。
その太さもまた、大人たちの腕を超え、伐り出した丸太もかくやという巨体。それが土を取り除けたいま、はっきりと耳へ伝わる音、目に見える膨張と収縮をもって鼓動する様を、堂々と村民たちへ見せつけていたんだ。
皆は直感する。これらが田畑の作物を直ちに枯らすほど、栄養を吸い上げているのだと。
その証拠とばかり、竹林の近くへ住んでいる者は、ここ数日で急激に増えるタケノコと、更に高さを増す竹の姿とを見ていたという。
地下茎はあまりに巨大で、すべてを掘り起こすことはとうていできそうになかった。燃やそうにも根全体が絶えず湿っていて、効果が薄い。
どうしたものかと皆が頭を抱えていたところ、村を長く留守にしていた行商の男が帰ってきたらしい。
困る皆の事情を聞くや、ならばこれが使えるかもと、老人はとある植物のタネを取り出した。
そばの種子。
当時のそばといえば、少しでも身分が高い者にとって「食膳にも据えかねる」といわれるほど、評価の低い穀物。百姓たちの間でも、せいぜい飢饉のときなどに備え、少し用意しておくかという程度で主流とはいえなかった。
しかし、遠く蝦夷にまで足を運んだという老人は、そこでのそばの生育を思い出しての提案とのことだった。
「皆がこの茎より、竹が養分を吸っとると見るなら、対抗馬を作ってやるのじゃ。
そばは大食らいじゃ。育ちが早い。いまから撒いても、秋には収穫が間に合おう。
とはいえ、こいつは尋常な勝負ではない。我らが、竹の負けるよう、仕組んでやるのじゃよ」
老人の主導のもと、竹対策がなされた。
村民総出で竹林の主だった竹を伐採。すでに露出した畑の地下茎たちは、ところどころを刃物で切りつけて働きを妨げた上で、竹林を中心にそばの種を撒いていったんだ。
それからそばは、村民たちの「ひいき」を受けながら育ち、み月が経つ頃には老人の話した通り、実の黒くなる収穫どきを迎えていた。
竹はというと、根絶とまではいかないものの、いっときの異常な隆盛はなりを潜める。
占有率こそそばに譲るも、そのそばたちに混じる形で何本か背を伸ばしているものもあったのだそうな。
それより、そばの栽培が地元に根付いてね。何年もかけて、件の竹林はそば畑へと姿を変えた。同時に、そばが米と並ぶ主食として扱われるきっかけとなったんだよ。
ここでの戦いには敗れたものの、知っての通り、竹もまだまだ日本中に成っている。
あの異様な成長を見せた茎も、あるいはこの絶滅を悟り、力を蓄えたうえで食事を楽しもうとする、末期の考えだったのかもしれないな。