一日目(5):悪党、死にかける
食後、適当に散歩してたらサリが遠くできょろきょろしているのを見つけた。
「なにやってんだ、あいつ?」
「歩哨だよ。危ないのが隊商に近づいてこないか、見張ってるんだ」
「なんだよ。そんなの隊商の警備兵に任せりゃいいだろうに」
「ごもっともだが、魔人とメサイの古い取り決めでね。このふたつが同行するときは、魔人はメサイ側の護衛として働く慣例になってる。今回もまあ、ご多分に漏れず、というわけさ」
「なるほど。ところで聞いていい?」
「うん、なんだね?」
「なんで俺、いきなり背後から首筋に刃物突きつけられてるの?」
冷や汗をかきながら、俺は背後の女(たぶん。声からして)に言った。
女は、うーん、とうなって、
「なんか、自分でも納得できないんだけど、星辰がね。おまえをここで殺しとくべきだってささやくんだよね」
「そんな電波系の理由で殺されても困るんだけど」
「失敬だな。魔女の占星術を電波系とか言うなよ。これはわりと高等技術なんだぞ。神話の力と周囲の状況を観測して分析し、短期間の未来予知を実現するんだ」
「どちらにしても俺は、相手が納得してもいないような理由で殺されたくない」
「んじゃ納得するためになんかむかつくこと言えよ」
「無茶言うな。ていうか、殺されたくないっつってるだろ」
「転生魔法で来世はもっと恵まれた立場になれるとしたら?」
「あいにくだが、いまダメな奴は何度やってもダメだってのがクラックフィールド家の家訓でな」
「あ、なんかその家訓名乗り微妙にむかつく……殺していいかな」
「やめろっつってんだろ!」
「こらこら、暴れるとかえって危ないぞー、ちびすけ」
なんとかして逃れようとする俺を片腕一本で押さえつけて笑う女。なんつー馬鹿力だ。
と、
「まあ、やめたほうが無難だろうね」
と、横合いから男の声が割り込んできた。
女は(後ろにいるから表情は見えないが、たぶん)むっとした感じで、
「なんだよシン、邪魔すんのかテメエ」
「いや、そういうわけではないんだけどね。やめたほうがいいと忠告はしておくよ」
「忠告ぅ? 私相手にこざかしいこと言いやがって。おまえは霊魂技師っつってもだいぶ色物だろが。私が知らないなにかを知っているとでも?」
「やっぱり気づいてないか……」
「あん?」
シンと呼ばれた男は肩をすくめて、
「なら好きにするといい。僕は忠告したよ」
「あ、めっちゃむかつく。いまの気分なら殺してもよさそうだなよし殺す!」
「おいちょっと待った早まるなおい!」
「わはは待てと言われて待つ人殺しがいるかっつーの覚悟しぐぼぉ!?」
次の瞬間。
ナイフを動かそうとした女のみぞおちにサリの拳が突き刺さり、女はもんどり打って地面に転がってじたばたのたうち回った。
「大丈夫? ライ」
「あ、ああ……って、あれ?」
俺は首をさすって切れてないことを確認しつつ、首をかしげた。
「おまえ、ずっと遠くの方にいなかったか? いつの間にここに?」
「走ってきた」
「走ってって……」
もうそれは走ったというより瞬間移動じゃないのか。
俺があっけにとられていると、ナイフを突きつけていた魔女の方が歯ぎしりしながら立ち上がって、
「なんで……なんでだサリ! 私がいったいなにをした!?」
「殺そうとしてたんじゃないの?」
「うん。いや、そうだけどそうじゃなくて、まだなにもやってなかったじゃん!」
女の言葉にサリは淡々と、
「とりあえず殴ったら見えなくなるから」
「…………」
「だから殴った。他に質問は?」
「ある! なんでそのちびすけをかばうんだサリ! 私たちにはなんにも関係ないやつだろう!?」
「……なんの関係もない人を殺そうとしたセンエイに言われても」
サリは困ったように言うと、がしっ! と、そのセンエイと呼ばれた魔女の首根っこをひっつかんだ。
「とりあえずこれは危ないから、ライのいないところに連れて行っとく」
「お、覚えてろよちびすけ! この借りは必ずぅぅぅ……!」
なんだかよくわからない恨み言を吐きながら、センエイという名前の魔女はサリに引きずられていなくなった。
「結局、なんだったんだ、この騒ぎは……」
「魔人、魔女は変わり者が多いからねえ。そう簡単に近づくものじゃないってことだよ」
さらっと言ったのは、一人だけ残っていた男の魔人である。
背が高く、痩せ型だがしっかりと肉がついている。服自体はサリのように奇抜ではなく、ごく普通の町人が着るものと大差のないローブであるが、その表面に複雑な文様が刻まれているのは、魔術による加護を与えるためのものだろうか。武器の類は見当たらないが、おそらくは魔術で戦うのだろう。
「? なにか?」
「ああ、名前を思い出しててな。シンって呼ばれてたか?」
「そうだよ。シン・ツァイ。これでもいっぱしの魔人の一人さ」
「さっきは「でぃあぼろす」とか言ってたよな。あれはなんなんだ?」
「おや、魔人の知識に興味があるのかい? やめた方がいいよ、神殿ににらまれる」
「俺は神殿嫌いだから、どうでもいいよ」
「そうかい。じゃあ簡単に教えてあげよう。魔人には、その専門とする魔術の系統を称号のように名乗る習慣があってね。だいたいは四系統の中から選んで名乗るんだ。霊魂技師は、そのひとつだよ」
「サリとか、あのセンエイとかいうのも同じなのか?」
「センエイはそうだね。サリは魔技手工という別系統だ。まあ……」
そこでシンは苦笑し、
「余分な知識だ。これ以上は知らないほうがいい。神殿が嫌いだからといって、わざわざ神殿を敵に回す必要もないだろう?」
「まあ、そうかもな」
「堅気に生きていくなら、魔術とは関わらない方がいい。神殿は魔術を毛嫌いしている。それはたとえ、魔物を討つための武器としての使用であっても、彼らにとっては許しがたい冒涜なんだよ」
「なんでそうなったんだ?」
俺が言うと、シンは肩をすくめた。
「僕が知りたいよ。なんでこうなっちゃったんだろうね」
「そんなもんなのか」
「まあね。とはいえ……」
シンはまた苦笑して、あたりを見回した。
夕景。あたりはすでに野営支度のために、隊商の使用人たちが駆け回っている。
みんなたいへんそうだが、生きるためにまっとうに生活する、日々が充実した顔をしていた。
「ああいうのがまっとうな生き方なんだろうさ。僕らはたしかに外れている」
「そういうもんか」
「君も、道を踏み外さないようにね。これはセンエイに言ったより、もう少しだけ真摯な忠告だ。そもそも、彼女が星占いで『殺すべき』なんて結果を出すこと自体が、あまりよい兆候とは言えない」
「あの星占いって当てになるのか?」
「普通ならあまり。未来の観測は難しいんだ」
シンは言って、
「だがセンエイ・ヴォルテッカほどの大魔女のものなら話は別だ。さっきは行きがかり上制止したが、正直に言って僕が正しかったのかどうか、判断できない」
「…………」
「繰り返すけど、踏み外すなよ、少年。そこは誰も幸せにならない道だ」
言って、シンはその場を去り、後に俺だけが残された。
俺はもう一度、周りを駆け回る、隊商の働き手たちを見た。
ため息をひとつ。
「……そうだな」
否定しようもなかった。
彼らは幸福で、真っ当で、これが正しい人間の生き方だと思えた。
ここに残ってまともに働けば、給金も生活の保証も得られる。それに、いつまでもそうしていなければいけないわけでもない。あの街でさえなければ、俺も正しい道へと戻って、ごく普通の生活を送れるだろう。
そう考えれば、クランの申し出を断る理由は、なにもないように思えた。
天が与えてくれた転機。これを無駄にしてはいけないのではないか。もしかすると、これが俺にとって、真っ当な人生に戻る最後のチャンスかもしれない――