一日目(3):悪党、拾われる
「さて……それで、いったいどうなった?」
俺、ライナー・クラックフィールドは身体を起こしながら、一人つぶやいた。
馬車の中、である。おそらくは荷馬車だろう。かなり大きなサイズで、幌で覆われていて、そこここに運搬物とおぼしき箱やらなにやらが置かれている。その中に、埋まるようにして俺は倒れていたようだった。
奴隷としてさらわれた、とか、官憲に突き出すべく捕まえられた、という雰囲気でもなさそうだ。その証拠に、なにも拘束されていない。腕も、足もだ。ポケットを探ると、工作用のナイフがそのまま入っていた。武器を取り上げることもされていない。
(てことは、緊急事態ではなさそうだが)
だが、まだ油断していいというわけではない。
窓の外を見ると、相変わらず見知った街道のようだ。『すべての道が通じる都』ファトキアから、『北を仰ぐ巡礼所』ヴァントフォルンまでをつなぐ、『紫の街道』。
神話の時代からずっとそのままの姿を残しているという『くらやみ森』を縦断する、古くからある街道だ。
「しかし不用心だな。人間ひとり放り込んでおいて、監視一人立てないとは。俺が悪党だったらどうするつもりだ?」
まあ悪党なんだけど。そんなわけで俺はそのへんの箱からなにか物色しようとして、
「一応監視はいる」
「うわあああ!?」
後ろからかかった声に、俺は思わず声を上げた。
振り向くとそこには、不思議な女がひとり。
不思議というか、不気味というか。とりあえず髪は黒くて少し長め。不思議な髪留め……髪留め? で上の方にまとめている。右目しか見えないが目の色も黒。左目には無骨な眼帯をしていて、その色は見えない。
服はぶかぶかのTシャツに見えるものをぼさっと被っていて、さらにその上にマントを羽織っている。下になにか着ているのかもしれないが、少なくともシャツの下から伸びる足は素足に見えた。体育座りみたいな感じで馬車の隅に座りつつ、俺をじーっと見ている。
が、それら外見は、俺にとってほとんどなんの重要性も持たないものだった。
(……なんだ、こいつ)
いる。目の前にいる。たしかにいるはずなのに。
この女には、人間がいれば当然あるはずの『気配』というものが、まったく感じられないのだ。
さっきまで、気づいてなかったときに感じていないというのであれば、特に問題はない。だが、いざ当人から声をかけられて目の当たりにしても『いるような気がしない』というのは、さすがに異常だ。
この異常さを説明できるものがあるとすれば。
「おまえ、魔女か?」
「うん」
俺の言葉に彼女は、簡潔に答えた。
魔女。魔法使い。魔術と呼ばれる、神殿にとっての『禁忌』を扱い、それによって魔物を打ち倒すもの。
俺は少し考えて言葉を選び、そして、言った。
「なんか二つ言葉があるよな。魔女と、魔人。どっちが正しいんだっけ?」
「どっちも間違ってない。魔法を使う人は魔人で、それが女なら魔女とも言う」
「あ、そうなんだ」
「けど魔人の方が由緒正しい呼び名。魔女はたしか、ここ二百年くらいで出てきた新しい呼び名だったと思う」
「へえ……」
自分で話題を逸らしておいてなんだが、俺は感心してしまった。博識だ。
……ではなく。
とりあえず相手に敵意はなさそうなので、俺はこいつから情報を引き出すことにした。
「俺はライナー・クラックフィールドだ。ライで通ってる。おまえは?」
「……名前?」
「ああ。名前」
「サリ・ペスティ。サリで通ってる」
「いまなんで俺の真似したの?」
「かっこいい名乗りだと思って」
サリはぼーっとした、本気か嘘かがまるでわからない表情で返事をした。
……まあ、いいけど。悪意はなさそうだ。
「で、おまえが俺の監視役なのか?」
「いまのところは」
「いまのところ?」
「交代制だから」
「あ、なるほど」
「まあ、まだ一回も交代してないけど」
「…………。
ちなみに、俺がここに運び込まれてからどれくらい経った?」
「日が真南から西側へ移動するくらい」
言われて俺は、改めて外を見た。
たしかに時刻はもうそろそろ夕刻に差しかかろうとしているようだった。まだ空の色は変わっていなかったが、木の影の角度でわかる。
「……その間、ずっとここにいたのか?」
「うん」
「暇じゃなかったか?」
「やることあったから」
言ってサリは、ぶかぶかシャツの中からものすごく大ぶりのナイフ……いや、剣か? とにかく、そんな感じの刃物を取り出した。
「お、おい。早まるなよ?」
「大丈夫。わたしは鍛冶屋」
「鍛冶屋?」
「魔法の鍛冶屋。魔人チームの武器を整備するのがお仕事」
「あ、そうなのか」
「うん。だからそのついでにここで監視してただけ。暇では、なかった」
言いながらサリは、ひゅひゅん、とナイフを軽く振り、
「今日の出来はまずまず」
「この馬車はその、魔人の、チーム? が持ってるのか?」
俺の言葉にサリは首を振り、
「違う。魔人は同行しているだけ。この馬車は隊商のもの」
「隊商の?」
「そうだよー」
話に、馬車の前側から割り込んできた声に俺は振り向いた。
「うげ、おまえかよ……」
「失礼ねー」
俺の言葉に、馬車に入って声を掛けてきた女が、腰に手を当てて口をとがらせた。
例の、神殿勤め三人組の一人である。彼女はすぐに笑って、
「サリさん、コゴネルさんが呼んでたわよ。その子も起きたみたいだし、監視はわたしが引き継ぐから」
「ん。了解」
言って、サリは立ち上がり、すぐそばの幌の窓に身体をしゅるりと滑り込ませて外へ飛び出した。
「ちょ……!?」
あわてて駆け寄って窓から外を見る。いない。
「ど、どこいった……!?」
「わかんないけど、無事でしょ。魔人たちは変わり者が多いけど、みんな凄腕だから」
「そういうもんか……?」
あんなシュールな移動、普段からしてるのか……
「さて、そういうわけでキミももうじき移動よ。支度しときなさい」
「移動? どういうことだよ?」
こっそり工作ナイフに手を伸ばしながら、俺は言った。
彼女は肩をすくめて、
「ごはん」
「え?」
「もうじき夕食休憩だから。行き倒れてたくらいだし、おなか、減ってるでしょ? 食べながら話しましょ」