三日目(7):悪党と聖典の世界
直後。
「うわ……!」
ぼぼぼっ、と、その大広間にあったたいまつが一斉に青白く燃え始めた。
照らし出されたのは、絢爛たる壁画。
さっきの広間にも壁画があったが、あれよりも二回りほど大きい。それ以上に、雰囲気が違った。
さっきの広間の壁画は岩巨人たちの生活や伝承などを描いているようだったが、こちらはそういった動的な雰囲気がなかった。
ただ、事実だけを書いたような絵だった。
左手の方角の果てにあるのは、絢爛たる大きな建物。城塞のようなそこを出ると、一面の荒野が広がる。
その荒野を抜けると、大きな川。そこには立派な橋がひとつかかって、対岸へと通じている。
その川の先にあるのは、荒涼たる氷原。氷原には同心円状に人工的な壁が作られているが、そこをひとつずつ通り抜けるごとに、色合いが変わっていく。おそらくは、温度が変わっていくことの表現なのだろう。
そしてその奥にあるのは――炎がごうごうと流れる、巨大な通路。円周状に作られたその通路にだけ、多くの動物が描かれている。みな一様に炎に飛び込もうとしているように見えた。
その先、右端に描かれているのは巨大な塔。その塔の頂上には、剣、が――
「折れてないのか?」
自然と出た言葉に、キスイがびっくりしたように俺を見た。
「はい? なにがです?」
「いや、あの右端の塔の頂上の剣。折れてないのか?」
「え。そもそもなんで折れてると思ったんですか?」
「え? えっと……なんでだっけ?」
言われてみると、なぜそんなことを思ったのか、俺にもよくわからなかった。
「ごめん。なんかの勘違いだろう。それで、これはなんだって?」
「はい。『魂の旅』という題の壁画で、さっき話題に出た『聖典世界』の様子を描いたものだと言われています」
「誰が書いたの?」
「たぶん、この地に逃げてきた祖先じゃないでしょうか。なにしろ百五十年も前なので、あまりわたしも詳しくはないんですけど」
「そっか……じゃあ、超古代の壁画ってわけじゃないんだな」
「もしかしたら北の帝国、それも首都サーラフィージョであればそういったものもあるかもしれませんけど、ここではこれが精一杯です。すみません……」
「いや、いやいや。謝ることはないって。キスイが悪いわけじゃないし」
慌てて俺が言うと、キスイはくすりと笑った。
「一応、解説しておきますね」
「ああ。頼む」
「『聖典世界』は、『人』の死後に訪れる世界だと言われています」
「その『人』ってのは、人間だけじゃなくて……」
「はい。小人族、巨人族。その他様々な『能く魂持つ者たち』。それらの総称としての『人』です」
キスイはそう言って、まず左端の建物を指さした。
「魂の旅は、無限図書館と呼ばれる建物から始まります。さっき話題に出た、トマニオに入り口があるという建物ですね」
「じゃあ、トマニオは死後の世界につながってるってことか」
「そういうことになりますね。そして図書館を出ると、砂漠の中の細い道をひたすらに歩いて行くことになります。ここは無の砂漠。植物も動物もすべて死に絶えた、死の荒野です」
「そこを抜けると、川か」
「はい。でもこの川の名前は失伝しています。代わりに橋の名前が……天乃橋立、という名前が知られています」
「ふうん……? その先は?」
「氷雪原野。重い罪人はここでひどい吹雪にあって、苦労すると言われています」
「そっか……」
「逆に罪が軽い人は、簡単に奥へ行けるそうです。そしてその奥にあるのが炎獄回路。ここにある炎はあのたいまつの炎と同じで、実は炎ではないんです」
「あれと?」
俺はさきほどキスイがつけた青白いたいまつを見た。
キスイは笑って、
「まあ、その青い炎にはほとんど力はありませんけど。それが『無色の魂』なんですよ。すべての『人』や、魔物ではない通常の動植物には、この『魂』が宿っています。
そして、すべての生物は死ぬと、すべての罪を炎で清め、ふたたび無色の魂……『始原の炎』となって、転生の輪に加わると言われています」
「じゃあ、ここが旅の終着点なのか」
動物たちが炎に飛び込もうとしている理由はわかった。
しかし、そうするとわからないのがひとつ。
「じゃあ、この端っこの塔はなんなの?」
「わかりません」
「わからないのか」
「はい。これも失伝してしまっているそうで、伝わっているのは名前だけです。世界庭園という名だけが知られています」
「そっか……」
なにか引っかかるものがある気がしたが、俺はそれ以上は特に聞かなかった。
代わりに、
「それで、この絵が描かれているってことは、ここは特別な場所なのか?」
「はい。わたしの行う、特別なお仕事の場です。
ここにライさまをお連れしたのは、その仕事を見れば、神の力を認識できるようになるかもしれないと思ってのことです」
「あ、そういうことなんだ」
完全に雑談のつもりでついてきていたので、元々の経緯を忘れていた。
そういえば、『力の使い方を教えてくれる』って話だったんだっけ……
「では、始めますね」
「なにをするんだ?」
「祈りですよ。『生贄』として、この集落の変わらぬ平和と繁栄を願うんです。
神話の力での祈りですから……」
「あ、なるほど。『ラッキーになる』力で祈ることで、集落全体に幸運を与えるってことか」
「そういうわけです。なんでも昔の『生贄』は、岩巨人族全体にこの力を行き渡らせていたらしいですよ?」
キスイは笑って、それからペンダントに手を当てて目を閉じた。
そして、はっきりとした口調で、こう言った。
「偉大なる岩巨人の主、女王の名代たる『生贄』の名において、加護を与える――!」
直後。
俺は、未来を見た。
「……さま、ライさま」
キスイの声に、ふと俺は、自分がしりもちをついていることに気がついた。
「ライさま、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、ごめん。なんか、未来が見えたんだよ」
「未来?」
「ああ。なんていうか……」
俺はどう言えばいいかちょっと迷ってから、
「俺とそっくりだけど違う奴が、キスイとそっくりだけど違う奴と一緒に、聖典世界を旅してた」
「…………」
キスイはこくん、と首をかしげた。
「そっくりだけど違う、ですか」
「ああ。違った」
「どこらへんが違いました?」
「ええっと……そうだな」
俺は答えようとして、声を詰まらせた。
キスイは俺の様子を見て、
「ああ、無理に答えなくていいですよ。神託ってそういうものです」
「そういうもの……?」
「なんの根拠もなく、事実を理解してしまうんですよ。たぶん本当に『そっくりだけど違う』なにかだったんです。だけどその根拠を示せって言われてもわからないから……」
「そうだな」
さっきまであった確信のようなものは、いまはもうどこにもない。
むしろ、未来を見たという自分自身の言葉すらもあやふやだ。あれは未来だったのだろうか?
「それに実を言うと、この神託っていうのも当たったり当たらなかったりですから。むしろ、見えたことで力がなじんだと思ってもらえれば」
「当たったり当たらなかったり、なのか?」
「はい、そうです。なんでも、魔術によってかき回されたことで、神話の流れどおりに未来が訪れなくなってしまったらしくて。
ですから、いま我々が見えるのは『大きな攪乱がなければ起こるかもしれない未来』です。それも、明日ならともかく、数日後になると信憑性は大幅に下がります」
「なるほどな……」
そういえばセンエイも、未来予知は難しいと言っていた。
「じゃあ、俺やリッサの名前をキスイが知っていたのも……」
「あ、それはですね。作為です」
「作為?」
「ええと、つまりですね。ライさまと神官さんだけを、先に通すようにわたしが指示を出したんです。
そうすると必ずお二人は先に来るじゃないですか。だから……」
「未来が読みやすくなった?」
「はい。そういうことです。簡単なトリックですね」
キスイはにっこり笑った。……なるほど、そういう手もあるのか。
「奥深いなあ、神の力……」
「まあ、慣れですよ。ライさまはわたしより身体に神力がなじんでますから、ずっと早く慣れると思いますよ?」
「そうだな。まあ、慣れとくのは悪いことじゃないよな」
「はい。がんばりましょう」
俺たちはそんなことを言いながら、広間から離れた。
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(わたしとよく似た違う誰か……あの子かしら?)
(でも、ライさまとよく似た誰かには、心当たりがない……)
(どうなのかしら。それに聖典世界を旅する?)
(死んだ場合、魂だけになって旅をするはずだから、姿は見えないはず……)
(……どうなんでしょうね、これは)
(ジロロの助言を得ておいた方がいいかもしれませんね)




