一日目(1):悪党、追われる
その夜、俺、ライナー・クラックフィールドは追われていた。
「ワニの次は猿って、この街は動物園かっ!」
毒づいて走る。後ろから、きい、きいきい、という怨念めいた鳴き声が聞こえてきていた。
危機を感じてとっさに横っ飛びすると、その横をしゅっと、不自然に長くていくつも関節がある腕が通り過ぎ、後ろに引っ込んでいった。
(くそ、しかもこれ明らかに普通の猿じゃないじゃん。確か――)
たしか、そう、『夜走り』。そんな名前で呼ばれる、魔物の類だ。
都市近郊の森林地帯に生息し、片腕だけ異常に長く、その腕を使って狩りをする。長いだけあって腕のパンチ力は尋常ではなく、時にそれを使って地面をぶん殴ってその反動で大ジャンプするなどのトリッキーな行動も取る。
神殿は『魔物に遭遇したら関わらないように』というお触れを出しているが、こんなのにうろちょろされたら困るので、近郊の狩人たちは見かけ次第弓や罠で殺している。でも魔物だから、殺すとすぐ死体自体が消えてしまうため、狩っても儲からない。挙げ句に、注意不十分な新米狩人がたまにこいつに殺されることもある。まさに害獣である。
なんでそれが街にいるかって? 俺が聞きたい。まあ忍び込んだ屋敷にいたので、飼われてたんだろう。たぶん。
「くそ、そんなこと俺たち下層民がやったら即座に縛り首だってのに! これだから金持ちは!」
まあ喜捨の額が違うからしゃーないよなー、と冷静に心の中で思いながら、一応俺は憤っているようなそぶりを見せた。こういうのも悪党には大事である。
俺の喜捨の額? したことないよそんなの。
「って、危なっ!?」
また、ひゅんっと顔の横をかすめていった拳を見て俺はうなった。これはヤバい。
生まれついた小さな身体のおかげで、まだなんとか相手の攻撃はかわせている。が、ちょうどあたりは狭い路地に入ってきており、このままでは回避動作が取りにくい。また、追いつかれるのも時間の問題。だったらもう腹をくくるしかない。男は黙って相手を殴る、がクラックフィールド家の家訓なのだ。
すっげえ迷惑な家訓だなオイ、と自分で思いながら、俺は振り返った。
そこに、『夜走り』がいた。
獣性を隠そうともしない眼光。二足歩行ながら明らかに人間とは違ういびつなシルエット。そして――地面に垂れるように、尻尾みたいに生えている、人間の背丈の三倍以上の長さがある左腕。
どれもこれもヤバい。だが俺は覚悟を決め、工作用のナイフをポケットから抜き取った。
「覚悟しろ、夜を駆ける怪物めが! 強きをくじき弱きを助ける世紀の大悪党、このライナー・クラックフィールド様が相手だっ!」
大見得を切ったところ、ぽと、と横の建物の上からなにかが落ちてきた。
――『夜走り』だった。
「え?」
ぽと、ぽとぽと、ぽとぽとぽと――
さらに何体も、人型シルエットのなにかが続けて、民家の屋根から落ちてきた。
どいつもこいつも、『夜走り』だった。
「あ、あは、あははははははは……」
きい、きいきい、きいきいきい――
数十体の『夜走り』たちは一斉に鳴き始めると、全員がくるん、と俺の方を一斉に向いて。
「そりゃあねえだろおおおおおおおおおおおおおお!?」
俺の叫び声と共に、襲いかかってきたのだった。
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(と、いうことがあったのが、もう二日前くらいか)
青い空。
みずみずしい緑の気配。
ピクニックにはこれ以上ない場所と気候を前に、俺は倒れ込んでいた。
いわゆる行き倒れという奴である。
あの後、俺は敵の攻撃をなんとかかいくぐって逃げ延びた。
いや、実を言うとどうやって生き延びたか自分でも覚えてないのだが、とにかく気づいたら逃走に成功していたのだ。
この前のワニと言い今回と言い、人間、諦めなければなんとかなるものである。
それで、とりあえず魔物たちも人間が多いところでは活動しにくいだろうしと思ってなじみの酒場に顔を出したのだが、看板娘のマリアにつれなく追い出された。
(それでうちが襲われたら誰が弁償するのよ……ときた。薄情だなあ)
まあ、正論なのでなにも言い返せない。馬鹿やったのは俺だ。
……が、若干納得いかないところはある。特に、俺のことをさんざん『こそ泥』扱いした挙げ句、違うって言うなら成金のヴォルゲン家でも忍び込んでこいとか焚きつけてきたフィーとその手下ども、いつか痛い目に合わす。
あとヴォルゲン、いくら金持ちだからって、あの数の魔物を飼ってるとかやべーよ。あいつ、魔物使ったクーデターでも企んでるんじゃねえのか。
まあ、それもいまとなっては、俺にはもう関係のない話だ。
追い出されたところを再び『夜走り』に襲われた俺は、完全に魔物にマークされていることをさとって街から逃走。しかし、非常食のアテもなく、あっという間に行き倒れていまに至る。
しばらくは街に戻れないし、どうしようかな……
というのが、現状だ。
ちなみに倒れてはいるが、これは完全に力尽きたのではなく、あくまで体力温存のためである。
(適当な旅人が来たら、言葉巧みに言いくるめて食料を分けてもらいつつ、街道をたどってべつの街に行こう)
というのが俺の現在のパーフェクトプランだ。
そんな話術が俺にあったかって? 俺が聞きたい。けどまあ、『夜走り』数十体から逃げ延びたことに比べればまだなんとかなりそうな難易度のような気がする。たぶん。
そうこうしているうちに、遠くから足音と話し声らしきものがしてきた。
(複数人か。うまく交渉できりゃいいんだけど)
思いつつ俺はそちらを見て、
「げ」
声が出た。
三人組の旅人だった。
二人は男で、一人は女。女が一番若く、俺と似たような年齢だろうか。耳の形が人間でないので小人族だろうが、森小人や岩小人みたいなメジャーな種族でもなさそうだ。弓を背負っているようには見えないが、腰には矢筒らしきものがあった。
二人の男のうち片方は筋肉ムキムキのめっちゃガタイのいい大男で、荷物持ち担当なのかリュックを背負い手提げ鞄まで持って平然と歩いている。武器は持ってないようにも見えるが、あの肉体だけで十分強いだろう。
最後の一人は、なんか神経質そうなおっさんである。着ているものはかなり凝った外装の外套だし、口ひげだけ形を揃えていておしゃれさん気分なのかもしれないが、顔と表情のせいで小物にしか見えない。なんか卑怯そうだし、せめてひげ剃った方がいいんじゃないかあれ。
……とまあ、そのあたりはどうでもいい。俺は彼らが揃って首から提げている、アクセサリに注目した。
『神象』である。
神を象ったもの。実際は信仰する神によっていろいろ変わるのだが、基本的にはよほどの祝祭日でない限り一般人はつけない。
あんなものを常時つけてるのは司祭やら神官やら、つまり神職くらいなものである。
だからあいつらは、たぶん全員神殿勤め。
(…………)