0日目:懲りない悪党の話-2
「君の目の前に一人の女の子がいる。彼女は病気を患っているが、その病気は伝染性で、彼女自身は丈夫だから死なないが放っておくと百万人が病気で死ぬ。
病気の拡散を防ぐ手段は彼女を殺すことしかない。しかしこのことを知っているのは君一人で、ちょうど君の手にはナイフがある。どうするかね?」
妙に重い問いを前に、俺は少し考えた。
考えて、素直に答える。
「……なんかなぞなぞって言うにしては内容が物騒なんだけど」
「ははは、まあまあ。まあまあ」
「うさんくさいなあ……あんた、実は変な宗教の勧誘員だったりする?」
「んー? その返しは想定してなかったなあ。
まあ、僕が今回関係している宗教って言ったらプロム神殿かな。とはいえ、この街のプロム神殿の人間じゃないけどね」
「プロム……あー、なんか聞いたことあるような、ないような。大巨人だっけ?」
「そうみたいだね」
「……『みたい』って、あんたな。関係者じゃないのか?」
「あくまで『今回』この街に寄った仕事がその関係だってだけさ」
なるほど。やっぱ旅人か。
(道理でこいつ、この街では見たことないタイプだと思ったんだよな……)
それにしては、外から来た人間特有の訛りがない。となると、言語や意思疎通系の加護を持ってる神の信仰者なのかもしれない。
どうでもいいけど。俺には関係ない話だ。
「それで、さっきの問題にどう答えるね?」
「なんだよ、今回は覚えてたのか」
「自慢じゃないけど僕は物覚えがいいんだ」
「……さっきの問答の後にその台詞を吐けるおまえがやべーやつだってことだけはわかったよ」
「まあまあ。まあまあ」
「仕方ねえなあ……んで、解答? 逃げるに決まってんだろ」
「ほう、逃げるのかい」
「うん」
俺はうなずいた。
「逃げる。だって病気うつったら嫌だし」
「わりとせせこましい理由を出すね、未来の大悪党」
「で、それがなにか?」
「条件を変えよう。抗体……は、わからないかな。うん、とにかく君はその病気になぜかかからないとする。その場合はどうする?」
「普通に立ち去るかなあ」
「彼女によって死ぬ人間のことは考えないと?」
「俺には関係ないし」
「なるほど。ではさらにもう少し条件を加えよう」
男は楽しそうに言って、笑った。
「君がこの状況にあることは国王の兵士たちに監視されていて、逃げたり立ち去ったりしたらみんなにバレる。ついでに国王の兵士たちの武器はなぜか彼女には効かなくて、彼女を殺せるのは君が手に持ったナイフだけだ。その状況ならどうする?」
「逃げる」
「一切ためらわずに答えたね」
「俺には関係ない、って言っただろ?」
「国王は君を糾弾するかもしれないよ?」
「悪党になに期待してんだ、って返すよ。そのときは」
「なるほど、ではこれが最後の質問だ――」
彼は言って、
「彼女が死ぬことを拒絶していて、それにもかかわらず国王はなんとしても彼女を殺したい。だから兵士たちは君のナイフを奪って彼女を殺そうとする。付け加えると彼女はけっこうおしゃれなモテカワ系で気立てもよく働き者だ。どうする?」
「……最後の注釈、いるか?」
「以前こういう問いをべつの人間にしたら、その子かわいいの? ってしつこく聞かれたことがあったので、念のために細かく設定しといた」
「あー、そういうの気にする人間はいそうだな……」
状況設定的にかわいくないと話が進まなさそうなので、無条件でかわいい子だと思っていた自分を、俺はちょっとだけ恥じた。
「で、どうする?」
「そりゃあ、決まってるさ」
俺はにやりと笑った。
「国王を説得する。幸い、そんなに難しい仕事じゃないさ」
「ずいぶん大きく出たね。……難しくないとは、なんで?」
「いや、だってさ」
俺は言った。
「俺は疫病にかからないんだろ? さっきは『なぜか』とか言ってたが、お題の状況下で理由がわかってないってのはおかしいだろ。
だからその理由を開示して、他の人間の疫病対策をすれば終わりだ」
「国王が、そんなのより女の子殺した方が早いって言って突っぱねたら?」
「そこのケアまで含めての『説得』だろ。難しくないとは言ったが、簡単だとも思ってないよ。だが説得以外の解決法では無理だ。ナイフで刺さないと死なない、っつってたけど、ぶっちゃけ女の子監禁して絶食させりゃ餓死するだろ。となると女の子を連れて逃げ隠れしなきゃならないことになるが、まあ長くは続かないよ。根本から問題を解決しないで、なにをやっても薄っぺらいその場しのぎだ。『説得』以外の道はない」
「なるほど、なるほど。そう来るとはねえ。なるほど」
なにか妙に感心したように言って、彼は頭をかいた。
「で、そろそろ教えてくれよ。これはなんのテストだったんだ?」
「さあ? 正直、あんまり考えないでしゃべってた」
「おいこら」
俺がジト目で言うと、男はあっはっは、と笑って、
「ま、後は口先だけでないことを祈るだけだね」
「言ってろ。つーかアレだ。おまえだったらどう答えるんだよ。模範解答くらいは教えろ」
「僕かい? 僕はね……」
彼はふっ、と、少しだけ遠い目になって、
「実を言うと似たようなことがあってね。殺そうとして返り討ちにあった」
「うわー、物騒な……聞かなきゃよかった」
「まあ、そう言うなよ。もうその事件はまるっと穏便に解決済みさ。
ただ、悪党の先達として、僕から君にひとつ、言葉を贈っておこうかと思ってね」
「悪党の先達?」
「悪党とは」
男は思いのほか真剣な目で、言った。
「世界の全部を敵に回して、無数の敵意に晒されながら、『なにが悪い』と喝破できるものだ。それはたぶん、君が考えているよりずっと『しんどい』――正義の味方には、いつでも弁護してくれる味方がいる。けれど悪党にはそれがいないんだ」
「…………」
「そしてそれにもかかわらず、結果が伴わないと評価されない。君が女の子を守ろうとして途中で死んだら、残念ながら君はただの小悪党止まりだ。正義の味方は負けてもがんばったという言い訳ができる。けど悪党にそんな言い訳はできない」
「そうだな」
「そして最後に。全部が全部うまく行ったとしても、目的が間違っていたということもありうる」
男は言った。
「ただ常識の逆を行くだけだと、単にダサい奴で終わる。悪党が悪党を貫くには、貫くに足るテーマが必要だ。それを見誤れば、ただの勘違い野郎で終わる」
「……うん」
「それでも君は大悪党を目指すのかい? これほど険しく、そして実りの少ない道を選ぶと?」
「ああ。それが俺だ」
俺はしっかりと、相手にうなずいた。
「……なるほど。ま、ならば好きにするといい」
言って男は、俺になにかを投げてよこした。
受け取ってみると、それは一枚の銀貨だった。
「これは?」
「アンケートご協力ありがとうの印さ。どうせ、そっちは今日はオケラ確定だろう? 持っていくといい」
「あっそ。じゃあ遠慮なくもらっていくわ」
言って俺は、無遠慮に見せかけながら大事に銀貨を懐にしまって、
「ところでおまえ、結局なんなんだ?」
「ああ、僕かい? 僕は――」
その後のことは、記憶があやふやだ。
実を言うとこの問答を思い出したのも、起こってからだいぶ経ってから。いろいろあった俺がとんでもない事件に巻き込まれ、一振りの剣を抜くことになったその事件の後で、初めて思い出したのだ。
そう、事態はこの日から数日後、『絶対に抜けない剣』と言われるものと俺が出会った、そこから始まる――