時間を箱にとじこめて
変わった魚が港で水揚げされたという知らせが、領主であるアレサンドロの元に伝えられました。
アレサンドロは支度を整えると、早速港へと向かいました。
アレサンドロは海沿いの町で代々領主を務める家に生まれた男でしたが、彼にはもう一つの顔がありました。
彼はいわゆる博物学とか錬金術とか言われるものを愛好し、その研究者としての活動も行っていました。
様々なめずらしい物を集めたり、錬金術の研究を行うために多くの私財を投じてきており、領内で変わったものが見つかると真っ先にアレサンドロにその話が伝わるようになっていました。
アレサンドロが港に着くと、若い漁師にていねいに出迎えられました。
そして案内されたのは、小屋の中にあるいけすの前でした。
「これは……一体……?」
いけすの中では、この辺りの海でよく水揚げされる魚が泳いでいました。
ただし、その魚には全て、奇妙な物体がくっついていました。
それはまるでゼリーのような丸っこい物体でした。
表面はうっすらと白く、ブヨブヨしています。
大きさは、アレサンドロの人差し指くらいでした。
海の中に住む貝や虫の仲間に、これに似た見た目のものがいる事はアレサンドロも知っていましたが、これはどうもそれらとも異なる種類のもののようで、そもそも生物なのかも良く分かりませんでした。
「それにしても、ここではよく分からないな……」
アレサンドロはまだ老人というほどの年ではなく、視力も決して衰えてはいませんでした。
ただ、いけすのある小屋の中はあまり明るくないため、魚の表面にくっついているブヨブヨしたものの特徴をよく確かめるのは困難でした。
「太陽の光の下で、くわしく調べたいのだが、構わないか?」
漁師に一言断ってから、アレサンドロはブヨブヨがくっついた魚を両手で慎重に持って、小屋の外へと出ました。
「……まぶしいな」
小屋の中が暗かったため、外に出た時には太陽の光がきつく感じました。
目が光に慣れてから、魚に付着したブヨブヨをよく観察しようと光にあてたその時です。
ブヨブヨは光に当たったとたんにはじけ飛び、細かい煙のようになってしまいました。
煙は魚を包み込み、しばらくすると消えてしまいました。
「何だこれは……何が起きたんだ?」
アレサンドロは驚きを隠せませんでした。
魚はさっきまで元気に動いていたのに、今はだらんとしています。
さっきの煙に包まれたことで、息絶えてしまったようです。
「ひいっ!」
アレサンドロの背後から様子を見ていた漁師が、情けない声を上げました。
「領主様! これは毒かもしれねぇ! すぐにその魚を捨てなされ!」
漁師に言われたアレサンドロでしたが、左腕で鼻と口をおさえ、右手で魚の尾を持ちながら、太陽にさらして観察を始めました。
「案ずるな。あの煙は吸っていない。他にもあの物体が付着した魚はいるのだろう? ひとまずこいつの事を良く調べなくてはなるまい」
そう言って魚をしばらく観察していると、ある事に気が付きました。
(これは……?)
アレサンドロは、その魚のうろこがおかしい事に気が付きました。
この種の魚のうろこは、木の年輪と同じように、その魚がどれだけ生きているかが表れるものであるということを聞いたことあります。
しかし、うろこをよく観察すると、この魚はなんと2000年も生きていることになります。
この種の魚がそんなに長生きするはずはありません。
(どうもおかしい。さっきのブヨブヨした物体や煙が関係しているのか? 光に当たったのがよくなかったのか?)
これはどうやら、持ち帰ってくわしく調べる必要がありそうでした。
「この魚は、というよりこの魚に付着しているものは毒であるかもしれん。持ち帰って調べさせてもらうが構わないか?」
漁師は気味悪がりながらも、お好きなようにどうぞと答えました。
アレサンドロは、光の当たらない箱に魚を入れて、屋敷の中にある自分の研究室に運んできました。
魚は全部で4匹で、その全てにあのブヨブヨがついています。
大きな水槽を用意し、海水を入れ、適当なエサを与えてやります。
もちろん、水槽の周りは暗くして、強い光が当たらないようにしました。
魚のうろこを見てみると、どれもせいぜい数年しか生きていない若い魚のようです。
そのうちの一匹を取り出し、太陽の光にさらしてみました。
するとどうでしょう。
魚にくっついていたブヨブヨは、はじけて煙になり、魚の口の中へと吸いこまれていきます。
するとたちまち魚は死に、魚の姿も変わり果ててしまいました。
うろこを確認してみると、1000年以上生きた魚のそれになっています。
煙を吸わないように口を布でおおっていたアレサンドロは、またも驚きました。
このブヨブヨした物体が光に当たると煙になり、煙を吸った生き物はたちどころに老化してしまう。
こんな事は今まで聞いたことがありませんでした。
ここまで急速に生物を老化させるという現象について、くわしく研究する必要がありそうです。
何とかしてこのブヨブヨの謎を解明してみたいと考えました。
『現在までに分かったこと。この未確認の生物――さしあたって生物という事にしておく――は、いわゆる寄生生物のたぐいであると考えられる。ちぎるとそれぞれ別の個体になり、それを動物に食べさせるとその動物の体表面に新しくこの生物が発生する。動物の体内に取り込まれている個体と、体表面に新しく現れる個体は何らかの関係があると考えられるが詳細は不明。宿主から栄養などを吸収している可能性もあるが、そもそもこの生物は口や腸などの器官が確認できない。ちぎられたり、宿主の体表に現れた部分を他の生物にかじられて体内に取り込まれることによって増殖するものと考えられる。強い光に弱く、宿主の体表に現れた個体が光を浴びると煙のようになって宿主の体内の個体へと吸収され、その際に宿主は老化や死亡に至る。また、原理は不明だが、宿主の体表に現れた個体を宿主から引き離しても何も起こらないが、あまりにも遠くに引き離すと煙状になり、宿主に吸収されてやはり老化、死亡に至る』
5年ほどかけて、この奇妙なブヨブヨについて調べ上げた研究日誌をざっと読み返しながら、アレサンドロは今までの事を振り返っていました。
海では今でもごくまれにあのブヨブヨが付着した魚が水揚げされることがあり、そうした魚はすぐにアレサンドロの研究室に運ばれていました。
ブヨブヨを動物に投与したり、ブヨブヨが付着した動物を解剖して調べたり、他にもこのブヨブヨについての研究を進めるために様々な手段を試しました。
最初は生物を急速に老化させる毒を持つ生物なのではと考えて研究を進めていましたが、研究を進めていくうちに別の可能性に思い至りました。
ネズミにブヨブヨを食べさせる実験を行った時に、非常に興味深い事象が観察できたためです。
ブヨブヨをネズミに食べさせると、しばらく経ってからネズミの背中にあのブヨブヨが現れます。
そのまま放っておくと、ブヨブヨはほんの少しずつですが大きくなっていきます。
そしてそのネズミは、月日が経っても全く老化する気配が見られなかったのです。
他のネズミが寿命で死んでも、そのネズミだけはぴんぴんしています。
しかし、そのネズミにくっついているブヨブヨに強い光を当てると、ブヨブヨは煙になってネズミに吸収されていきます。
そしてネズミはたちどころに老化して、死んでしまったのです。
『このブヨブヨした生物が宿主を老化させる働きを持つというのは正確ではない。この生物はむしろ宿主の老化を食い止める働きを持ち、自身が光に当たって消滅するときにその働きが失われて宿主の老化が一気に進んでしまうのだ。いわば、この寄生生物は宿主の時間を蓄えているようなものなのだ。時間というものの実態については私の知識をもってしても完全には理解できないし、この生物が宿主の時間をどのように吸収し、また吸収することによってどのようなメリットを得ているのかも現時点では分かっていない。ただし、私の考えが正しければ、この生物を上手く利用すれば今まで錬金術の英知をもってしても不可能とされていたことが実現できるかもしれない。人間の老化の抑制――不老不死の実現だ』
研究日誌のそのページは、ひどく興奮した様子で書かれていました。
そして今日、アレサンドロはそのページを書いた時と同じくらい興奮しています。
いよいよかねてよりの計画を実行に移す時です。
水槽の中には、ブヨブヨがくっついた魚が数匹泳いでいます。
その中の一匹を網ですくうと、表面のブヨブヨの一部をちぎりました。
ちぎりとったブヨブヨは丸くなり、残ったブヨブヨはあっという間に元のブヨブヨと同じ大きさにふくれあがりました。
薄暗い研究室の中で、アレサンドロはちぎりとったブヨブヨをじっと見つめていました。
もしかすると、自分の仮説通りには事が運ばないかもしれない。
動物で若さを保てるとしても、人間の場合は上手くいかないかもしれない。
それでも……。
「確かめる方法は、これしかない……!」
不老不死は錬金術の、いや人類にとっての大きな夢のひとつです。
それを実現できるかもしれないというのなら、多少の危険は承知の上でした。
アレサンドロは意を決して、ブヨブヨを飲み下しました。
口の中に海水の味が広がりましたが、それ以外は変わったことはありませんでした。
腹の中に何かが入ったという感覚もありません。
気分が悪くなったりもしませんでした。
「あとは、時が経つのを待つだけか……」
研究室を軽く片付けて、アレサンドロは自室にもどる事にしました。
アレサンドロがブヨブヨを体内に取り入れてから、50年もの月日が経ちました。
領主としての仕事は現在では孫が行っており、アレサンドロは屋敷で研究に没頭する日々を送っていました。
妻と息子はとうに亡くなっており、身の回りの事は使用人に任せて気ままな生活を満喫しています。
ただ、孫たちや使用人をはじめ、屋敷の人間はアレサンドロの事をたいそう気味悪がっていました。
なにせ50年前から全く年を取る様子が無いからです。
日中に外に出るのも嫌がり、特に太陽の光に当たることを避けています。
普段は薄暗い研究室に閉じこもり、出かけるのは夜中に錬金術を研究しているグループの集まりに出る時くらいです。
悪魔に魅入られたのではとか、若い人間の生き血を吸っているのではなどとうわさする人も出るほどでした。
特に屋敷の人たちが気味悪がったのは、アレサンドロがいつも持ち歩いている箱でした。
片手で持つのは難しいくらいの大きさの真っ黒な箱を、どこに行く時でも持っていくのです。
アレサンドロ本人の口によると、『これはわしの研究の成果で、この箱の中にわしの時間をとじこめる事に成功した』との事でした。
しかも、その箱を日光にさらされることは特に嫌がっており、彼の不気味さに一層拍車をかけていました。
そんなある日、アレサンドロの屋敷に王様の家来がやってきました。
王様に直接会ってほしいとの事なので、アレサンドロは渋々(しぶしぶ)ながら宮殿へと向かいました。
王様のいる部屋に通されると、アレサンドロは単刀直入にこう言われました。
「私はだな、いつか自分が死ななければならないという事がとても恐ろしいのだ。出来る事なら私は、永遠に生き続けたいのだ。そなたは若さを保ち、不老不死を得る事に成功したと聞き及んでいる。どうか私の願いを叶えてほしい」
王様に頼られるというのは、とても名誉な事です。
アレサンドロは、自分の研究が役に立つのなら是非と答えました。
王様と、王様のおそばにいたお抱えの錬金術師は、永遠の命を得るにあたってどのような方法を取ればいいのかと聞いてきました。
アレサンドロは、自分は時間を蓄える性質を持つ寄生生物を食べたことによって若さを保っていると答え、持ってきていた黒い箱を取り出しました。
「ご覧ください。この生物を体内に取り込めば、時間はこの生物の中に蓄積されるようになり、自分自身は年をとらずに済むのです」
部屋の中に強い光が差し込まないことを確認してから箱を開け、中に詰まっているうっすらと白く色づいたブヨブヨを見せました。
「この生物を口から摂取してしばらくすると、自分の体表にもこの生物が現れます。時間が経つにつれて、自分が年をとらないかわりにこの生物の中に時間が蓄積され、徐々(じょじょ)に大きくなっていきます。自分の身体から離しても、7フィート程度までなら全く問題ありませんので、このように箱に入れて持ち運ぶことも可能です」
王様と錬金術師は、いかにも気味悪そうに箱の中身を見ています。
「あくまで動物を使った実験の結果にすぎませんが、例えばこの生物が強い光にさらされたり、宿主からあまりにも離れてしまうと、この生物は死滅して煙状になり、蓄積されていた時間は宿主にもどります。つまり一気に老化して死に至るのです」
「なるほど……少なからず代償を伴うわけですな」
アレサンドロの説明に、錬金術師が難しい顔で答えます。
「もし王様が望まれるなら、今すぐにでもこちらをちぎって体内に取り込んで下さい。それで永遠の命を得られるでしょう。心配には及びません。事実、私は50年もこのままの姿なのですからね」
王様はしばらく考えている様子でしたが、錬金術師の方をちらりと見やりました。
錬金術師はうなずくと、アレサンドロにこう切り出しました。
「せっかく来ていただいたのに申し訳ないが、すぐにこれを試すわけにはいきませんな。安全が確保されてからでないと、王様の身に何かあってからでは遅いですからな。まずは箱の安全性。もし王様に対して悪意を持った者が、王様に寄生した生物が入った箱をうばい取ったり投げ捨てたりすれば、王様の命が危険にさらされることになります。また、時間が経過すればするほどその寄生生物が大きくなるのだとしたら、その生物が光に当たらないように保管する場所も考えなくてはならない。50年でその大きさだとしたら、500年、5000年、50000年……永遠に生きるとなるとさらに長い時間です。どこまでこの生物が大きくなるかも考えなくてはなりませんな。おそらく箱では収まりきらなくなるでしょう。さらに、その生物からあまり離れられないとなると、王様の行動にも制限がかかってしまいます。城から動くことが出来ないとなれば、不都合も多い。そのあたりの事情についてはっきりしないと、王様に試して頂くのは難しいでしょうな」
錬金術師の言葉はもっともでした。
残念ではありましたが、王様にこの生物を試して頂くためにはさらなる研究や改良が必要です。
そもそも、50年以上も研究を続けていて、あの場で自分よりもずっと若い錬金術師の問いかけに対して十分な答えを用意出来なかったことを、アレサンドロは屈辱に感じていました。
屋敷に帰ってきたアレサンドロは、その日から研究室に引きこもって様々な実験を行いました。
そんなある日、海沿いの町は大嵐におそわれました。
アレサンドロはその日も嵐などお構いなしに研究を進めていました。
しかし、突然外からがれきが飛んできて、研究室の窓をめちゃくちゃに壊してしまったのです。
アレサンドロも外からの雨風にあおられて、黒い箱を落としてしまいました。
幸い箱から遠く離れる事はなく、中身も無事のようですが、すぐに回収しないと箱が外からの風で飛ばされてしまうかもしれません。
おまけに実験のために箱のふたを開けていたので、急いでふたをかぶせなくてはいけません。
アレサンドロは黒い箱に手を伸ばしました。
その時、空に激しい稲光が現れて、辺りはまるで真昼のように明るくなりました。
「しまった!」
箱の中身は、強い光を受けたことで一瞬で煙になり、まるで吸い寄せられるようにしてアレサンドロの方に向かっていきます。
「ああ、来るな、来るな……ああっ!」
必死にその煙を吸わないように後ずさりしましたが、無意味でした。
煙に包まれたアレサンドロは、自分の身体から力が一気に抜けるのを感じ、そのまま意識を失ってしまいました。
研究室の様子を見に来た使用人は、アレサンドロの変わり果てた姿に悲鳴を上げました。
彼は骨と皮だけのミイラのような姿になって事切れていました。
いつも大切にしていたあの黒い箱は、ふたが開いて中には何も入っていない状態で床に落ちています。
研究室の水槽やネズミのカゴの中は、同じようにボロボロな姿の魚やネズミだらけで、異様な雰囲気をかもし出していました。
「やっぱりね、あのお方は悪魔にとりつかれていたんだと思うよ」
今ではすっかり老人になった漁師は、自分より若い漁師たちに話しました。
50年も経つうちに、海ではあのブヨブヨが付いた魚が水揚げされる事はなくなっていました。
結局あれが毒だったのかどうかは未だによく分からないし、少なくともアレサンドロが亡くなった今ではあんな奇妙なものを欲しがる人間もいません。
先日亡くなった先々代の領主アレサンドロは、100歳を超えるほどの長生きだったそうです。
この国でそんなに生きた人間の話は聞いたこともありませんでした。
うわさによると、年をとっても若々しかったアレサンドロは、嵐の日に急に老けて亡くなったとの事でした。
そしてそれは、自分が若い時に見たあの魚の様子に似ていたと漁師は考えました。
アレサンドロがずっとあの魚にくっついていたブヨブヨを研究し続けていたのも、今回の死と何か関係があるのだろうと感じていました。
「海はありがたいものだが、海にも悪魔はいるようだ。悪魔に魅入られないように気を付けないといけないな」
漁師たちは、老人の奇妙な話を笑いながら聞いていました。