深夜0時の最終面談
深夜、薄ぼんやりとした顔を浮かべながら、ウォルトは煉瓦積みの壁を見つめていた。その瞳には恐怖も不安もなく、ただ自分は明日死ぬのだという事実を頭の中で繰り返している。
「兄さん!」
「ウォルト!」
勢いよく牢獄塔の扉が開かれ、二人の人間が入ってくる。一人はウォルトの双子の弟、ノア・アドリーン。もう一人はウォルトとノアの父であり、アドリーン王国の現国王、エルドレッド・アドリーンであった。
「ノア、父上。来てくださったんですね」
「兄さん、また体が細くなって……。明日、処刑されるって、森に置き去りにされるって、本当?」
「うん。本当だよ。……ノアとも、父上とも、これでお別れだね。ちょっとそれだけが寂しいや」
ノアは片膝をついて兄と目線を合わせる。痩せ細った体を少しずつ動かすウォルトは、見るに耐えない姿だった。
エルドレッドはノアの後ろに立ち、金の鎖に繋がれた息子を見ていた。神でも見ているかのように微笑むウォルトの姿は何度見ても痛々しく、自分の罪を実感させられる。
「ウォルト、すまない。教会の意見を押し切ることができず……」
「いいんです、父上。僕は生きてちゃいけない存在だったんですから」
そんな二人とは対照的に、ウォルトは幸福を感じていた。ここで暮らす最後の日に、最愛の弟と父に会えることが、何よりも嬉しかった。
「……許せない。いくら神様だとしてもだ。兄さんを生まれてからずっとここに閉じ込めて、食事すら満足に与えずに、挙げ句の果てに餓死させて処刑だなんて!」
ノアは教会への怒りを石畳へと向けた。打ちつけた拳を軽く振る。それでも怒りは収まらないようで、もう一度握られた拳を、ウォルトは優しく包み込んだ。
「いいんだよ、ノア。僕の魔力はこの国くらい簡単に消し飛ばせるらしいんだ。そんな危険な力、シラヌイ様が放っておくわけないよ」
「だったら生まれた時に殺せばよかったじゃないか! それに兄さんの魔力は、その手枷と首輪で封じられているんだろう! なんで、なんで……」
鉄格子を掴んだまま項垂れるノアの肩に、エルドレッドが手を置いた。
「ノア。落ち着くがいい。……もっとも、我もいささか興奮しているが」
その目が怒りに震えていることは、ノアにもすぐに分かった。
「……はい、父上。」
それだけ言って黙り込んだノアは、いっそ自分が身代わりになれたら、という敵わない空想を、頭の中から追い出した。
〜〜〜
ウォルトとノアは、エルドレッドと、アレクシアという妖精との間に生まれた子供だ。
まだ王子だった頃、狩りの途中に森で迷ってしまったエルドレッドは、森の奥深くで小屋を見つけた。そこにいたのが、黒髪の美しい女性、アレクシアだった。
森は妖精の住処であることが多く、エルドレッドは最初怪しんだ。が、黒髪の妖精は存在しないという文献を読んだことがあったため、その疑念を振り払った。
そうして二人は恋に落ちた。エルドレッドは何度も小屋に通っていたが、先王の危篤により、それが難しい日が続いていた。
先王が亡くなり、エルドレッドが即位した次の日、喪中の王宮に女性がやってきた。アレクシアだった。
彼女は双子の赤ん坊を連れていた。王宮内にいたものは、それがエルドレッドの子であると認めざるを得なかった。
アドリーン王家のものは、貴金属や宝石のような輝く髪を持って生まれてくる。他の人間は皆黒や茶色の髪であるというのに、だ。一説には、神シラヌイの祝福だと言われている。
そして、双子の兄の髪は黄金の、弟はダイヤモンドの輝きを放っていた。
ざわめく家臣たちを制し、エルドレッドは告げた。
「アレクシア、長い間会えなくてすまない。この子達を王子として、そして其方を妃として王室に迎えようと思う。本当ならば喪が開けてから伝えたかったのだが……」
「いいえエルドレッド。私は妃になんてなれないわ。だって私は−−」
瞬間、謁見の間に突風が吹いた。アレクシアを包み込んだ竜巻の中から現れたのは、黄金の髪を持った美少女。頭にはツタでできたティアラを飾り、その背中には、一対の美しい羽が生えていた。
「−−妖精ですもの」
武官達が王を守るように陣形を敷き、文官達がなぜ妖精との間に子など作ったのかと王を叱咤する。エルドレッドは何も言わず、真っ直ぐにアレクシアを見つめていた。
「私、あの森の妖精女王だったの。種族を偽ってしまってごめんなさい。でも私、一目見た時から貴方のことが好きになってしまって。嘘をついてでも貴方と一緒にいたかったのよ」
「……人間への報復、では無いのか?」
アレクシアは、エルドレッドの問いに不思議そうな顔をすると、優しく笑った。
「どうしてそんなことすると思ったの? しないわよ。この子達は人間の世界で育てた方がいいと思って、預けに来たの。私がここに来た理由は、それだけ。怯えさせてるみたいだし、すぐに帰るわ」
「そうか。気を使わせてすまない。……二人は、我が責任を持って育てよう。約束する」
アレクシアはパッと笑うと、ありがとう、の言葉を残して、風とともに消えた。
〜〜〜
それから、王宮は大慌てで二人の王子についての処遇を決めることになった。
王に近しいものは言った。
「この子達は王家の血を引いているのだから、例え妖精の血が入っていても、王子として真っ当に育てるべきだ」と。
教会に近しいものは言った。
「王家の血が入っていようが妖精は妖精。処刑するべきだ」と。
二つの派閥の抗争をさらに複雑化させている問題として、兄ウォルトの魔力と弟のノアの髪の色があった。
ウォルトの魔力は凄まじく、アドリーン王国土全てを消し炭にしてもなお余りあるほどの力があること。
ノアのようなダイヤモンドの髪を持つものは、千年に一度生まれる、神シラヌイの最上級の祝福を受けたとされる者、『宝剣の子』と呼ばれる者であったこと。
この二つの事実が、会議をさらにややこしくしていた。
弟だけでも生かして兄は処刑するべき。
いや、弟だって妖精だ。
兄は凄まじい魔力を持っているのだから、兵器としての利用価値がある。
王家のものから罪人が出るのは避けたい。処刑はやめた方が良いのでは?
会議は十日間続き、結局、『宝剣の子』である弟のノアを第二王子の身分で立太子し、兄であるウォルトは第一王子の身分を与えられつつ、城内の牢獄塔にて、魔力を特殊な首輪と手枷で封じられた状態で幽閉されることになった。
エルドレッドができたことは、もう少しで処刑されそうだったウォルトを、なんとか生かすことだけだった。
そうしてウォルトは、生まれてから十八年を牢獄塔で暮らす運命となった。