平穏と告白
ようやくお客様達がご帰還し、穏やかな毎日が戻ってきたブライトフィート家の昼下がり。しかし、昼間だというのに日差しには確かな冷たさが混じるようになっており……その冷たさに比例するように、ラジルの食はどんどん細くなっていく。それでも、ガーネットとのお茶の時間を楽しみにしてくれているらしい。ラジルは動きが鈍くなってきた体をベッドからようやく起こして、彼女と過ごす僅かな時間だけは死守していた。
「……そう言えば、ガーネット。僕が眠っている間はご実家に1度帰ったらどうだろう? ホリデーシーズンくらいは、ご家族と一緒に過ごした方がいいと思うのだけど」
「それもいいでしょうけど……手紙はきちんと出していますし、この間、返事もございました。向こうは大丈夫みたいですから、やっぱりこのままお側にいます」
「だけど……僕はその間、本当に何もできないんだよ? まぁ、起きていてもこうしてお茶をするくらいしかないし……起きていても寝ていてもあまり変わらないのだろうけど……。こんな退屈な屋敷に籠りっぱなしでは、気分も落ち込んでしまうんじゃないかな?」
「……ラジル様は私が邪魔なのですか?」
「えっ?」
「ちょっと前から気になっていましたけど、最近事ある毎に実家に帰れとおっしゃるじゃないですか。……そんなに私を遠ざけたい理由でもあるのです?」
「い、いや……そういう訳ではないのだけど……」
そういう訳ではない、と否定する割には妙に慌てる彼の様子に……何かを隠している気がしてならない。鱗に覆われた顔は普段から表情というものは見えにくい上に、ラジル自身は感情の起伏も緩慢な方らしく、滅多な事で慌てたり取り乱したりする事もあまりなかった。
しかし、その彼が今まさに、明らかに慌てている。やはり……何か隠し事があるみたいだ。
「ラジル様? ……嘘はよくありませんよ?」
「ほ、本当に……何もないよ。……だから、心配しないで……」
「怪しい〜……明らかに何か隠してますよね? ほら、正直に話してください!」
そんな事を言いながら、辛うじて身を起こしているラジルの頬を両手で挟み込むと、盛大に揺らしてみる。そうされてラジルの方は鋭い金色のはずの瞳を白黒させながら、予想外の攻撃を止めるようガーネットに懇願するが……。
「ちょ、ちょっと待って! お、お願いだから、頭を揺らさないで。目が……目が回るよ……」
「ほら! さっさと白状しちゃいなさい! ほらほら!」
「で、でも……きっとそれを、は……話したら……」
「話したら?」
「……多分、君に……嫌われて……しまう……」
「そんなの話してみないと、分からないでしょ⁉︎」
「ゔ……ガーネットは意外とご、強引なんだね……」
「だって、この場合はこうでもしないと、話してくれないでしょ?」
「わ、分かったよ……。きちんと説明するから……そろそろ、か、勘弁してくださぃ……」
懇願も虚しく継続されるアグレッシブかつ、ダイナミックな揺さぶりに、とうとう白旗を上げるラジル。そうしてしばらく息を整えるのに一生懸命になった後、いよいよ覚悟しましたとでも言うように……ちょっと涙目になりながら、ポツリポツリと事と次第を説明し始める。
「……どこから……話せばいいのか分からないけど……」
「私に分かる部分からでいいですよ?」
「君に分かる部分が、どこからかがちょっと分からないのだけど……まぁ、その。有り体に言えば……今の時期、僕はいわゆる……」
「いわゆる?」
「……やっぱり言わないと、ダメだろうか?」
「はい、続きをどうぞ?」
「……本当にガーネットは強引なんだね……。えぇと……その前に、君は蛇の生態ってどのくらい知っているのかな?」
「う〜ん……。子供の頃に畑で見つけたのを捕まえて、振り回した程度しか蛇に触れた事ないですし……冬眠するくらいの事は知ってはいますけど……」
「そ、そう……(捕まえて……振り回した⁇ それ……何の遊びなんだろう……?)」
彼女の野性味あふれる体験談はともかく、口ぶりからするに彼女は蛇の生態はほとんど知らないと考えていいだろう。
一言に蛇と言っても種類によって、生態は千差万別だろうが、少なくともラジルという種類の蛇はこの期間、とある時期に差し掛かっていて……それを正直に告白してしまった暁に、彼女がどんな反応を示すか未知数なのがただ、恐ろしい。
「それで? 今のラジル様はどんな状態なんですか?」
「そ、その……今の僕は……いわゆる繁殖期という状態で……。冬眠前から春の目覚め後のしばらくは……綺麗に言えば恋のシーズン、というやつなのだけど……」
「……」
「……」
そうして思い切って白状してみたものの、その言葉の意味が咄嗟には分からないらしい。ガーネットがしばらく驚きのあまり声も出せないでいるのを、沈黙で見守るラジル。妙な無音の空間に……殊の外、寒気がする。
「それって、要するに……」
「はい……」
「……交尾をしたいって……事ですか?」
「何も……そこまで言っている訳ではないのだけど……」
「……でも、いずれはそうなるの……ですよね?」
「うん……それは、その。……きっと、ゆくゆくはそうなるのだろうけど……。でも、まだ出会って2ヶ月も経っていないのだし……僕はすぐにはそんな事をするつもりもないのだけど。ただ……生物的にはそんな時期なものだから、間違いは可能な限り、防ぎたいんだよ。それで、この時期は少しだけ君を遠ざけておきたくて。……その程度のことは僕がきちんと抑制できれば問題ないんだろうけど……最近の君を見ていると、そんな自信もなくてね。まぁ、ここまでくれば体も思うように動かなくなってきているから、大丈夫……かな?」
最後の方はどこか消え入るような声で、力なく呟くラジル。いかにも肩を落として苦笑いをしている様子が、底抜けに悲しい。
「……話してくださってありがとう。もう、何を変なところで心配しているんです。年中発情期の人間に比べたら、とっても奥ゆかしくて、紳士的ではないですか。大丈夫。今更、そんなことであなたを嫌いになったりしませんよ? だから……そんなに悲しそうな顔をしないで。……私の方もいずれはそうなる事だけは、きちんと覚えておきますから」
まるで子供をあやすように優しく話しかけた後に、深い深い青に覆われた彼の鼻先に柔らかく口づけをすると、ラジルの方はその感触が信じられないとでもいうように驚いた表情を見せた。そうして……理性よりも感情が先に反応した結果に、見開かれたままの瞳がポロポロと涙を流し始める。
体温さえないその身から落とされる涙はどこまでも冷たいはずだったが、不思議とその涙はとても温かい気がして。……その時のラジルは初めての感覚を噛みしめるように、ただひたすら静かに泣き続けることしかできなかった。