伯爵と男爵
小麦の収穫がいよいよ全て終わり、畑には丸々と太った麦稈ロールが至る所に鎮座していた。その光景は秋の終わりから冬への移り目の時期、ここブライトフィートではちょっとした名物となっており……期間限定の景勝を見ようと(本当はブライトフィートの小麦収穫量を推し量りにきている、が正しい)周辺の貴族達がこぞって伯爵家への挨拶回りも兼ねて集まって来るシーズンでもあった。しかしラジルにとって、それは正直なところありがた迷惑なイベントとしか言いようがない。
もちろん、年末の挨拶をしにわざわざ足を運んでくれるのはとてもありがたいし、領内の名産物を買い上げて行ってもらえば、領民達の懐も十分に潤う。一方で、そんな風にやってくる彼らは異形のラジルを直接侮辱したりはしないものの、そこは無駄に気位の高い貴族のサガというもの。異形の代償で得られた栄華を妬ましく思うが故に、こぞってその姿をタネに噂話や陰口を盛大に咲かせては……溜飲を下げるのもまた、この時期お決まりのイベントとなっていた。
「ラジル様、ゴーシェル男爵ご一行様がお見えですが……いかが致しますか?」
「……今年も随分とお早い到着なのだね。……もちろん、通して差し上げて」
「かしこまりました」
中でもブライトフィートに殊更対抗心を燃やしているらしい、ゴーシェル家が早速意気揚々と屋敷にやってくる。ゴーシェル家の爵位はブライトフィートよりも2つ下のはずなのだが、上昇志向も選民思想も異常に強い彼らは我こそは王国随一の名家と言って憚らず……そんな彼らにとって、圧倒的な財力と膨大な収穫量を誇るブライトフィート家が気に入らないのは、無理もないのかもしれない。
そんなことを考えながら、ラジルは1人ため息をつく。
自分とて、何も好き好んでこの家に生まれたわけではない。しかし生まれた時から受け入れざるを得なかった境遇を、恨んでみても何1つ納得できたことなどなかった。結局のところ、仕方なしにブライトフィートの豊穣を支える礎としての存在意義を糧に生きてきただけなのだが……きっと、それすらもゴーシェル家の方々は気に入らないのだろう。
「あの……お客様がお見えなのですか?」
「あぁ、ガーネット。……ごめんよ、騒がしくて。この時期は色々と来客も多いものだから、落ち着かないようなら悪いのだけど……慣れないようなら部屋にいてくれて構わないし……そうだ。もし良かったら、ご両親に会いに行ったらどうだろう。熱りが冷めたら迎えを寄越すから、それまで帰省も悪くないんじゃないかな」
「……」
その申し出は素直に嬉しい。あれから20日。ガーネットとて、確かに家族のことは気に掛かる。しかし一方で、どこか寂しそうなその表情を見るに……きっと彼は彼で、相当の無理をしているのだろう。
「でしたら、家族にお手紙を出してもいいですか? 私は大丈夫だからとそろそろ知らせてあげないと、いらない心配をしてくれているかもしれませんし……」
「だったら尚のこと、お帰りよ。……手紙じゃなくて、直接会って来た方がいいに決まっているじゃないか」
「いいえ。……これから毎年同じように、今日みたいな日が来るのでしょう? それなのに、私だけ家の外でゆっくりなんてできません」
「だけど……」
そんな事を押し問答しているうちに、いよいよやってくるお客様。窓際に屋敷の主人の姿を認めると、恭しくも……どこか刺のある調子で表面だけの祝辞を述べ始める。
「これはこれは……お久しぶりです、ラジル・ブライトフィート様。今年の小麦は出来も収穫量も格別とかで……流石多大な代償を支払っているだけはありますな。いやはや、羨ましい限りです」
「お久しぶりです、ベルメ・ゴーシェル卿に……ディミトリ・ゴーシェル様。今年もこのようにご挨拶を賜り、ありがたい限りです。数日の間かとは存じますが……お部屋を用意させていますので、是非気の向くままにごゆるりとお過ごしください」
「もちろん、お言葉に甘えてそうさせていただきますよ? ……フフ、今年はどんな噂話が聞けるのやら」
ベルメやディミトリの嫌味にも動じず、柔らかな社交辞令を差し障りなく述べるラジル。そんな彼の態度に、どうして平気でいられるのだろうとガーネットは少し納得できずにいた。
ラジルはその代償を望んで支払っているわけではない。それなのに……目の前の親子らしい彼らは執拗にその現状を突いてくる。いくら何でも、それは失礼にも程があるのではないか。
「ところで……そちらのお嬢さんは? 見慣れない顔ですが」
そして……そんな事を腹の中で燻らせているのが、顔に出てしまっていたらしい。少し睨みつけるように彼らを見つめている赤毛の少女の存在にようやく気づくと、ディミトリが訝しげに声をかけてくる。
「あぁ。ご紹介が遅くなり、失礼いたしました。彼女はガーネットと申しまして……」
「はじめまして。……ガーネット・ブライトフィートと申します。先日、ラジル様の成人に伴い、伴侶となるべくこちらに住むことになりました。……以後お見知り置きの程、よろしくお願い致します」
「……えっ、ガーネット? その……」
わざと慇懃にブライトフィート姓を名乗ってみるものの、あまりの急展開に、珍しくラジルが慌てた様子を見せる。確かに、彼女はこの家に嫁ぐつもりでやってきたのは間違いないのだろうが……正式な婚姻はまだのはずだった。
「ほぉ……そう言えばラジル様は今月、ご成人あそばしていましたね。いやいや、失礼致しました。成人祝いをすっかり忘れておりまして……」
「いいえ、特段ご配慮いただく必要はありませんよ。こうして足を運んでいただけるだけでも、幸いというもの。お気になさらず」
「左様ですか? ……しかし、まぁ。ラジル様も隅に置けませんね。契約のためだけとは言え……こんなにも可愛らしいお嬢さんをお側に置くなんて。ガーネット様とおっしゃるのですね。いかがですか? こちらでの生活は。さぞ……窮屈で色々と不自由な事でしょう。もしよければ、息抜きに僕と一緒にお散歩でもどうです?」
「……お断りいたします。私は別に窮屈な思いも不自由な思いもしていません。散歩はラジル様と一緒に参りますので、お気遣いは無用です」
「これはこれは……飛んだ失礼を。なるほど? 小麦畑の伯爵様には、素朴なお嬢様がお似合いということですか。しかし……フゥン? 磨けば光るタイプなのは、間違いないみたいですね?」
あからさまに品定めをされるような視線に思わず身震いすると、今度はラジルの背後に避難するガーネット。悔しさと遣る瀬無さを噛みしめながら、それでもこれ以上は彼らに関わらない方がいいだろうと口を噤む。
「……長旅でさぞ、お疲れでしょう? ご挨拶は十分にいただきましたから……お部屋に案内させます。あぁ、リリシー。……すまないけれど、お客様をご案内差し上げて」
「承知いたしました、ラジル様。……さ、ゴーシェル様、こちらへどうぞ」
「えぇ、よろしく頼みましたよ。それにしても……本当にブライトフィート家はいつ来ても立派ですな。どこもかしこも荘厳で美しい」
「ありがとうございます」
仕方なしに側に控えていたメイドに彼らの案内をお願いして、扉が閉められると同時にやってくる平穏の静けさ。そうして自分の背後で怯えているらしいガーネットに向き直ると、ラジルは彼女に懇々と詫びる。
「……すまないね、君にまで不愉快な思いをさせて。ますます、この屋敷のことが嫌になったと思うけど……貴族というのは、どうしても相手を見下さないと気が済まない困った性分があってね。だから……」
「……」
釈明にも近い謝罪を受け流し、ガーネットはポロポロと涙を流すばかり。そうして……それ以上の言葉は無意味なのだと理解すると、彼女の涙をポケットチーフで掬ってやっては、泣き止むまで見守るラジル。柔らかな小麦色と見まごう温かな昼下がりの日差しも……ガーネットの涙を乾かすには、かなりの時間を要するようだった。