冬眠と孤独
毎朝見つめてみても何も変わらない、相変わらず不気味な青い顔。そこに映るどこまでも残酷な現実に、今朝もため息をついては鏡を曇らせる。
幼い頃には鱗がなくなれば普通の人間になれるのではないかと、淡い期待を抱いて、無理やりそれを剥がしてみたりもしたが。……鱗の下から覗いたのは人間の肌ではなく、青い鱗以上に禍々しい赤黒い地肌のみだった。激しい痛みを伴った割には、その結果は幼いラジルを絶望のどん底に叩きつけ……そして、未だに彼はそこから這い上がる気力すら持てないままだ。
(……これは契約なんかじゃなくて、ただの呪いなのではないだろうか……?)
自分を産み落とした母親はラジルの姿に絶望し、すぐに自ら命を絶ったらしい。それでも、残された父親は伯爵家家長としての威信もあったのだろう。それなりに責任感と愛情を持って自分に接してくれていたが……約10年前程ににラジルを残してこの世を去っていた。
彼の死因は表面上は病死ではあったがおそらく、積年の無理が祟ったのだろう。そんな中、気苦労の絶えなかったはずの父親がきちんと残してくれた家督だけは、確かにきちんと機能しており……往年から屋敷で働く使用人達は、既に慣れたものとラジルの姿を必要以上に忌み嫌うこともなくなっていた。それでも……。
(僕の姿に慣れてもらうにはそれこそ、時間がかかる。だけど……僕はもうすぐ眠りに就かなければならない。その間に……もしかしたら、ガーネットはここからいなくなってしまうかもしれないな……)
ラジルが蛇なのは、姿だけではない。冬が来ると、ラジルは動物の蛇と同じように冬眠しなければならないというハンデを背負っていて……毎年定期的にやってくるその隔離から目覚めた時、同じベッドの上で目覚められるとは限らないという不安に毎回、押し潰されそうになる。
眠っている間に誰かに一思いに殺されるのなら、まだいいだろう。だけど……1人で放り出されて、見知らぬ所で目覚めた時はどうすればいい? ……何もかもがなくなっていたのなら、その時はどうすればいいのだろう。
「おはよう……ございます」
「あぁ。おはよう、ガーネット。……今朝は随分と早いみたいだね?」
昨日の寝坊を反省したのか、今朝はきちんとラジルと同じ朝食の席に着くガーネット。ラジルのちょっと詰るような口調に少し頬を膨らませながら、昨日はたまたま遅かったのだと言い訳をし始める。それに対して、そう、と素っ気なく応じるものの……だとすると、流石の彼女も自分とこうして顔を突き合わせる覚悟ができるまでに、3日かかったということなのだろう。たった3日でそこまで馴染めたのはある意味、喜ばしいことなのかもしれないが。それは本人も言っていた通り、「嫁ぐつもり」という下地がなければ成し得なかったことだ。その下地とて、1日2日で醸成されるものでもないだろうに。
「そう言えば……何か悲しいことでもあったのですか? 随分と落ち込んでいるみたいですけど……」
「え? ……あぁ、いや。別にそういう訳ではないんだよ。ただ……後少しで僕は冬眠しなければならなくてね。冬の間は眠りっぱなしになるから、色々と不安なんだよ」
「そうだったのですね……。あの、それって……やっぱり、食いだめとかするんですか?」
「いや、多分逆かな。僕の冬眠はどちらかと言うと、仮死状態に近いものだから……食いだめは必要なくてね。だから、寒くなってくるとだんだんと食欲も湧かなくなるんだよ」
「そ、そうなんですか⁉︎」
きっとガーネットは冬眠というものを一括りで考えていて……多分、彼女は熊や栗鼠等の習性をベースに冬眠というものを想像していたのだろう。しかしラジルの場合は哺乳類のそれではなく、あくまで爬虫類の習性に擬えているのだが……その現実もどこか、自分は人ではないどころか、体温さえも失った化物なのだと知らしめてくるような気がして悲しくなる。
「でも冬眠ってことは……やっぱり眠りっぱなし、になるのですか?」
「うん、まぁね。だから、その間はメルシャに家の事をお願いする事になるんだろうけど……僕はこの家で起こった事を何1つ、把握できないものだから。何だか仲間外れにされたみたいで、それがとても寂しいんだよ」
「それは……そう、でしょうね……」
そこまで話して、会話が途切れる。
彼女の方もきっと、それ以上の言葉を見つけられずにいるのだろう。相変わらず長いテーブルの端と端に座りながら、少し冷め始めた朝食の続きをするものの、いくら器用にフォークとナイフを使って見せても、手元の指先までビッシリと埋め尽くす青い鱗が今更ながら、忌々しい。
いくら人のフリをして取り繕ってみたところで、熱すら持てないこの手は……きっとこの先も誰かを温めてやることはできない。それは生まれてきた時から分かり切っていたし、とっくに諦めてきた。そして……そんなどこまでも冷め切った手で、深淵から這い上がる余力は今も昔も……ラジルには用意されてもいなかった。




