蛇頭と赤毛
収穫祭最終日の翌朝。メイソン家の前には、伯爵家から花嫁を迎えるための従者と馬車がやってきていた。そんな渦中の花嫁候補を見送ろうと家人はもとより、親しい者も総出の見送りなのだが……その雰囲気はやはりどう頑張っても、目出度い輿入れとは程遠いものだった。
「本当にいいのかい、ガーネット……」
「えぇ。ブライトフィートに嫁ぐ条件を満たしているのは、私だけだもの。ずいぶん前から、間違いなく私になるだろうと分かっていたし……こればっかりは仕方ないわ」
渦中のメイソン家では側から見れば、誰かの葬儀かと勘違いしそうな締めやかな空気が充満している。しかし、その当人である年頃の娘……ガーネットは悲しみに暮れる両親の様子とは対照的に、毅然とした表情で運命を粛々と受け入れる覚悟をしていた。
避けようのない、順番と因果。きっと自分が嫌だと逃げ出せば、他の家から娘を出さなければいけなくなる。しかし、それをしてしまえばメイソン家はルールを破ったことになり……この先も同じようにこの地で暮らそうと思うのなら、いっその事ここでスッパリと務めを果たすのが賢い選択だ。そんな事を考えながら、ガーネットは自分のために涙を流す両親や兄妹達を諭す。
「泣かないで、父様、母様、みんな。……大丈夫よ。いくら引きこもりの伯爵様だって、私を閉じ込めたりはしないと思うわ。別に今後一切会えなくなるわけじゃないんだから……そんなに悲しまないで」
「しかし……あぁ、どうして? 私達の可愛いガーネットが……」
「なぜ……選りに選って、お前が行かなければならないの……?」
鮮やかな赤毛に穏やかなグリーンの瞳。ガーネットは街の中でも、とても気立てが良くて優しいと評判の娘だ。決して飛び切りの美人ではないが、どこか相手を安心させる柔らかな空気を帯びていて……そんな彼女の旅立ちは両親だけではなく、街の誰もが惜しみながら見送っていた。もちろん、彼女の両親とて順番からしても、彼女が行かなければいけない事はとうに分かっている。それでも……いざ、そんな自慢の娘が半ば「生贄」のように取り上げられるとなれば、悲嘆に暮れるのは仕方のない事だ。
仕方のない事と割り切れない中で、ガーネットはいよいよ迎えに来ていた馬車に乗り込み、最後に満面の笑みを振り撒くと「行ってきます」と別れを告げる。実質的には「さようなら」なのかもしれないが、それを言ってしまったら……本当に会えなくなる気がして。彼女は最後まで涙を堪えて、代わりに笑顔を作る事で自分を鼓舞していた。
***
「ここが……伯爵様のお屋敷……」
暫く畑の合間に続く道を馬車に揺られて着いた先で、馭者に手を差し出されて降りてみたは良いものの。目の前に聳える豪邸に思わず、目が眩む。豪農でもあるガーネットの生家とて、決して貧しくはない。むしろ、ブライトフィートの中でもかなり恵まれた方で……実家の規模もかなりのものだと、ガーネットは思っていたのだが。やはり領主の邸宅ともなれば、次元が違う。
「……ようこそお越しくださいました、ガーネット・メイソン様。馬車に揺られ、さぞお疲れでしょう? さ、こちらへどうぞ」
「あ、は、はい!」
きっと、ガーネットが状況を飲み込み切るのを待っていてくれたのだろう。気づけば、そこには屋敷のメイドと思われる淑女が立っていた。
その佇まいは名家の従者に相応しく、凛としており……壮年だと思われる風貌の割には、背筋1つ曲がっていない。そんな彼女に招き入れられて、廊下を行くものの……その廊下さえも、ガーネットの元の部屋の幅よりも広い事にいよいよ呆れてしまう。一体、この屋敷には何人が住んでいるのだろう。
「……そう言えば、自己紹介がまだでしたね。私はメルシャ・ベルクーと申します。移動しながらのお話で恐縮ですが、この屋敷ではメイド長を勤めております。今後は奥様の身の回りは私共でお世話させていただきますので、よろしくお願いいたします」
「は、はい! よろしく……お願いいたします」
さり気なく「奥様」と呼ばれた事に違和感を覚える間もなく、メルシャの後について行くと、彼女が一際大きな扉の前で彼女が止まるので、慌ててガーネットも歩みを止める。しかし、メルシャの方は折角辿り着いた扉をすぐに開けることもせずに、ガーネットに向き直ると静かに注意事項を説明してくる。
「……おそらく、ご存知かとは思いますが。後継であらせられるラジル様の見た目は、人の物ではございません。しかし……当然ながら、そのお姿を誰よりも気にしているのはラジル様ご本人に他なりません。始めは驚かれることと思いますが、余り気味悪がらないようにして差し上げてください。そして……少しずつで構いませんから、慣れて頂きたいのです」
どこか悲しそうにそんな事を呟くと、息を整え改めてドアをノックするメルシャ。そのノックと掛け声に、中から返事が聞こえて……了承らしい返事を受け取って、部屋の中へガーネットを招き入れると、いそいそとメルシャ自身は扉の前に控えている。どうやら、メルシャは彼女のある程度の様子を見守ってくれるつもりらしい。一方で、屋敷の主の姿に改めて恐怖を抱くガーネット。
形こそ人かもしれないが、青い鱗に覆われた顔はまさに蛇そのもの。時折、チロチロと辺りを窺うように見え隠れする舌が、不気味さを強調しているようにも見えた。
「始めまして。僕はラジル・ブライトフィート……と言いたいところだけど、きっと君の方は僕のことをよく知っているよね。その様子だと……うん、分かっている。……この姿では怖がられても、仕方がない」
「いいえ、そんな事は……」
「そうかな? だって……ほら。……君はこんなに震えているじゃないか」
鋭い金色の瞳を細めながらゆっくりと、それでいて確実にガーネットに近づき、頬に触れるラジル。そうして彼女の血の気を失った頬が微かに強張って震えているのを確かめると、さも悲しそうにため息をつく。
「……僕が怖いんだね。うん、それもよく知っている。僕だって……自分の姿が怖くなかった事なんて、1度もないもの。……ごめんよ、こんな事に巻き込んで。きっとここまで来るのに、泣くのさえ我慢してきたんだろう? ……今日はこのまま下がって良いから、ゆっくり休むといいよ。……悪いんだけど、メルシャ」
「承知いたしました。奥様をお部屋にお連れすれば良いのですね」
「うん、そうしてあげて。それで……そうだな。夕食はみんなと一緒に出してあげてくれるかな」
「……かしこまりました。では、奥様……こちらにどうぞ」
「は、はぃ……失礼致しました……」
先回りして「気味悪がらないで」と言われていたのに、彼を明らかに「怖がって」しまった。別に脅されたわけでも、襲われたわけでもないのに。ただ、頬に触れられただけなのに。それなのに……必要以上に怯えてしまって彼を落胆させたらしい事に気づくと、今度は後悔が腹の底からジワジワと登ってくる。
「……仕方ありませんわ。ラジル様のお姿に驚かない者は誰1人としていません。……ただ、次からはもう少しだけ柔らかく接してあげてくださいませ」
「はい……。すみません……本当に、すみません……」
「……」
きっと今まで我慢してきたせい……きっとそうだ。ガーネットはそんな事を考えながら、大粒の涙を流して廊下をとぼとぼ歩く。そしてその様子に無駄な言葉を掛けるでもなく、そっとガーネットの背中を摩りながら歩みを見守るメルシャ。
目の当たりにした「因果」の姿が想像以上に悍しい事に改めて震えながら、いよいよ家族が恋しくなる。今までも運命だと、宿命だと……頭の中では片付けてきたが。……容赦無くぶつけられた現実は、到底すぐには受け入れられないものだった。