空戦シーン 練習
基地を離陸して十分ほど経ったころ、編隊は高度6000mに達した。
横を飛ぶ爆撃機は、まるでクジラのように大きく見える。
それじゃ俺たち護衛隊は、奴らの腹にくっつくコバンザメか。
そんな想像が脳裏に浮かび、思わず口元を緩めた。
いや、俺たちはクジラを守る役目があるのだ。
そう思い直し、もう一度爆撃機の姿を見つめた。
そのとき、無線が入った。
「こちら、シャンパン・リーダー。敵基地上空まで、残り一時間半」
シャンパンは、爆撃隊の識別名だ。
まだ、我々は敵のレーダーに捕捉されていない。
敵の迎撃機が上がってくるまで、三十分ほど余裕がある。
一服するか、と風防のロックを解除し、少し後ろに下げる。
猛烈な風と、エンジンの爆音が、隙間からなだれ込んできた。
少し隙間を狭め、ポーチからに入っているブリキのシガレットケースから、煙草を一本取り出す。
自分で巻いた、特製の煙草だ。
風で火が消えないように、操縦桿の根元近くで、首から下げたオイルライターを擦る。
整備員が作ってくれた空薬莢のライターは、一発でついた。
煙草の先を火で長めに炙り、酸素マスクを外して勢い良く吸いこんだ。
暖かい煙が口に流れ込み、ニコチンが頭を駆け巡る。
健康に悪いとは、分かってるんだけどなぁ。
妻からも、本数を減らせと言われるが、中々難しい話だ。
ただでさえ苦労させているので、要望はなんでも叶えたいところなんだが。
苦笑して、ふうと煙を吐き出す。
煙は操縦席内の強風に流され、後ろに消える。
整備員が計器盤の端に取り付けてくれた灰皿で灰を落としつつ横を見ると、レインタルトも煙草を吸っているのが見えた。
今日は葉の比率を少し変えてみたんだが、どうだろうか。
そんなことを考えつつ彼の機体を見つめると、こちらに気がついたらしく、親指を立てた。
美味い、のサインだ。
微笑んで手を振り、もう一度煙を吸い込む。
ふと、計器盤に貼った妻の写真が目に入り、罪悪感がこみ上げてきた。
それを吐き出すように煙を吐く。
戦争が終わったら、禁煙しようかな。
再び苦笑し、灰皿で煙草の火を消した。
三十分程経った頃、レインタルトの指示で、編隊の間隔を広げた。
迎撃機に対する警戒だ。
既に煙草の火は消し、風防も閉め切ってある。
酸素マスクから酸素を勢い良く吸いこむと、視界が鮮明になった。
遠く、敵基地の方角を凝視する。
ふと、何かが光った気がした。
≪こちらズビンだ。十一時の方向、何か見えないか≫
すると、隊内で一番目がいいリースが答えた。
≪見えます。敵機視認、十一時。数不明≫
≪こちらも視認した。全機増槽投棄。第一小隊、第二小隊、行くぞ≫
≪了解≫
酸素マスクを押し上げ、増槽投棄ハンドルを引く。
機体が少し加速し、他の機体が投棄した増槽が、燃料の白い尾を曳きながら落ちていくのが見えた。
≪第一小隊、ブレイク≫
レインタルトの機が翼を立て、編隊から離脱していく。
翼端が日光を反射し、鋭く光る。
三番機が離脱するのを見届け、操縦桿に付いている無線の通話ボタンを押した。
≪第二小隊、狩りの時間だ。行くぜ≫
そう言うと同時に、グッと操縦桿を右に倒した。
愛機は機敏に反応し、景色がぐるりと動く。
スロットルを前に倒し、遠くなった第一小隊の機影を追う。
風防の枠の鏡を見ると、二番機のリース、そしてチェロが続いてくるのが見えた。
≪こちらレイン。敵機は十五機ほどいる。すれ違いざまに叩くが、撃ち漏らしは頼むぜ≫
十五機。結構な歓迎だ。
≪任せろ≫
短く返し、右手の親指で、射撃ボタンの蓋を開けた。
安全装置を解除する。
≪第一小隊、交戦≫
戦闘が始まった。
血が熱くなった感覚に襲われ、手に力が入る。
もう、敵機の姿は鮮明に見える。
第一小隊全機が射撃した。
すぐに散開する。
敵機編隊がコンマ何秒か遅れて射撃。
敵機編隊の先頭三機が黒煙を噴き、堕ちて行った。
外れた敵機の曳光弾が、遠く横を飛んで行くのが見えた。
≪第二小隊、交戦≫
照準器の赤い円に敵編隊を入れると同時に、お決まりのセリフを吐いて右手の親指で短く撃った。
細い煙を曳いて、弾丸が飛んでいく。
操縦桿を思い切り引いて、バレルロールをして背面になり、敵機を見下ろす位置に付いた。
頭上を敵の弾が飛び、自分の弾が敵機に命中するのが見えた。
敵機の右翼が根元から折れ、錐揉みとなって真っ逆さまに堕ちた。
風防が飛び、搭乗員が飛び出す。
一機撃墜と無線で呟き、激しく旋回しながら首を回す。
狂ったように動く雲の手前に一機見つけた。
敵機の旋回の内側に回り込み、弾くように射撃ボタンを押す。
右にロールしつつ切り返し、次の攻撃位置に付こうとすると、鏡越しに敵機のエンジンが火を噴くのが見えた。
次の瞬間、敵機は爆発した。
風防越しに、小さな爆発音が聞こえた。
エンジンブーストをかけつつ上昇し、軽く敬礼する。
200m程上昇して、背面になり空戦のようすを見る。
また敵基地方向に、数個の光が見えた。
≪敵機、再び接近中。注意≫
そう叫び、座席のベルトを解いた。
腰から上が自由に動き、辺りを見回しやすい。
ふと、無線越しに誰かの舌打ちが聞こえた。
後ろにつかれたか、と思い目を凝らすと、一機の味方機が敵機二機に追われていた。
動き的に、イカミヤだろう。敵機に射撃のタイミングを掴ませていない。小刻みに機体を揺さぶっている。
イカミヤ、任せろと言いつつ機体を鋭く曲げ、急降下する。
速度計はどんどんと加速を伝え、操縦席の中にも風が吹き込む。写真がパタパタと揺れる。
敵機の斜め上で引き起こし、ブーストをたいて一気に急降下する。
リースがいつの間にか右斜め後ろに付き添っているのが鏡に映った。
≪右、任せたぜっ≫
そう吐くと同時に、親指で撃った。
敵機の胴体がちぎれ、同時にリースが撃った敵機の風防が砕けた。
二機は鉄屑となってもつれ合い、下界に堕ちて行った。
リースが、左から二機と叫ぶ。
イカミヤが助かりました、感謝しますと言うのを聞きつつ、意識は左から迫る敵機に集中する。
左のラダーペダルを蹴り、その場で回転するイメージで機首を左へ。
敵機の上を取り、照準を合わせる。
射撃と同時にすれ違った。
第一撃は外した。
操縦桿を思いっきり引っ張り、フラップを開く。
Gに耐えつつ、上瞼で敵機を捉える。
主翼から霧のような雲を出し、鋭く回り込んできた。
スロットルを手前に叩きつけ、エアブレーキを開き、右のラダーを蹴った。
機体は捻じれるようにロールし、速度計が凄まじい速度で反時計回りを始める。
体は激しい衝撃で揺さぶられ、機体が軋む。
頭上に霞んだ大地と海が見えた瞬間、スロットルを奥に押し飛ばし、射撃ボタンを長めに叩いた。
同時に敵機が照準器に飛び込んだ。
火花を上げて被弾し、尾部から火を噴いて堕ちて行った。
四機。
心でそう呟き、失速から機体を立て直す。
降下しつつ頭上を仰ぐと、濃い蒼に爆撃機が雲の線を曳きつつ、爆撃進路に入るのが見えた。
≪爆撃用意≫
爆撃隊からの無線が入る。
その間にも、敵機撃墜の報が入ってくる。
今のところ、味方が撃墜された様子はない。
≪敵機全機撃墜を確認。爆撃機編隊に戻れ≫
敵機が一機、閃光を発して爆発した。すぐにレインタルトの無線が入る。
了解、と答えながら爆撃隊に機首を向ける。
爆撃隊二番機の鼻先を掠め、バレルロールして右横に並んだ。
爆撃機の搭乗員が、手を振って喜んでいるのが見える。
軽く手を振り返し、再び意識を索敵に向ける。
眼下には、先ほどまで繰り広げられていた空戦を語るかのように、飛行機雲の渦が広がっていた。
四機か。
今度は声にした。
はるか遠くの地平線近くに、雲の壁ができている。今夜は雪だろうか。