絵を描く彼と本を読む私
「のんきだけど短気」
初対面の彼に、彼と私の間に入った友人が私のことをそう言ったらしく、その意味を問われ戸惑った。けれど、続いた言葉で意味が理解できた。
「待ち合わせは本屋がオススメ」
以前その友人がカフェでの待ち合わせに遅れてきた時に遅いと責めたことがあった。その時友人は「どうせ本読んでるんだから、大丈夫と思ったんだよ。連絡して読書の邪魔する方が怒られそうじゃん」と、謝るより先に連絡しなかった理由を当然のように言ったのだ。扉が開く度に入り口を確認していた私は、待たされたことよりも読書に集中出来なかったことの方に苛立っていたので、連絡をくれたら読書に集中できたのに、とひどく怒ってしまった。以来待ち合わせは本屋ですることが決定したところまで説明。ウケた。笑いながら彼が聞いてくる。
「本屋なら待たされてもいいの?」
本屋なら一時間までなら待たされたうちに入らないと伝えるとまた彼は笑った。
彼は絵を描くのが趣味だそう。
「絵画展で待ち合わせなら何時間でも待つことが出来そうだ」
それは待ち合わせじゃないだろう。
一ヶ月後絵画展に待ち合わせ時間ぴったりに行ったところ、彼は二時間前から観ていたにも関わらず、私が空腹を訴えるまでゆっくり観賞した。やっぱり待ち合わせは本屋が一番だ。
初めてのお泊まりのとき私は本を持参した。
一緒に食事を作り、一緒に片付けをし、別々にお風呂に入った。彼が入浴している時に開いた読みかけのミステリー小説は、彼が入浴を終えたのに気づけないくらいに面白くて、静かに近づいて肩をガシッと掴まれた時には心底驚いた。彼は私の驚愕した顔を散々笑ったあとで、続きを読むことを勧めてくれた。あと少しのところ、クライマックスだったので有り難く最後まで読んだ。
「読み終わったんじゃなかったの?」
翌日、テレビを眺める彼の隣に座り込んで、昨夜読了した小説の再読を始めた私に不思議そうに彼が聞いてきたので、初めは主人公と一緒にドキドキして見逃したものを、二度目でやっと読めるのだと力説しておいた。納得させることは出来なかったけれど。
週末はたいてい彼の部屋で過ごすようになった。
彼は一人でテレビを観て、一人で笑って、一人で泣いた。私は隣で本を読んで、一人で笑って、一人で泣いた。天気のいい日はいろんな公園へ行き、彼は絵を描き、私は日陰で本を読んだ。
彼の転勤が決まったのは交際が始まって半年たった頃だった。新幹線で二時間の土地へ。時間にしたら二時間、でも新幹線ってお金かかるよね。
私達は友達の紹介という名のお見合いをした。結婚するためじゃなく恋人になるためのお見合い。告白をすることなく始まった交際。ときめきよりも居心地の良さを先に感じ、寂しさを埋めてくれる相手として申し分ない恋人の彼。
彼の荷造りを手伝う気にはなれなかったので、週末は自分の部屋で本を読んだ。読んだというより眺めていた感じ。活字は私の中で映像に変わることなく、活字として流れていった。
"泊めて"
昼頃スマートフォンにメッセージが来た。了承する。
"夜になるけど惣菜買ってくからご飯よろしく"
彼の部屋の近所にある美味しいお惣菜屋でおかずを買って来てくれるらしい。集中できない読書をやめて、のんびりしたペースで部屋の片付けをして過ごした。
「久しぶりにぐっすり眠れる」
自分の部屋ではやらなくちゃいけない事が多すぎて、気になって落ち着いて眠れなかったそうだ。そんなものなのか、それとも彼がそういう人なのか、私は判別出来るほど彼を知らない。
来週も来てもいいよと伝えた。
翌週とその次の週の週末、夜だけ私の部屋で過ごして、次の週末に彼は新幹線に乗った。キップを見ながら席を探す彼に合わせて、私もホームを歩く。ホームとは反対の窓側の席に荷物を置いて、彼が振り返る。変な顔。困ったような顔で笑うな。すぐに新幹線が動き始めたから手をふると、泣きそうな顔で笑うから、歯を食いしばって笑い返した。新幹線はすぐにスピードを上げて消え去り、私も足を動かし始めた頃にスマートフォンにメッセージ。
"泣いてる女性狙いの男に狩られないように気を付けてね"
お手洗いが空いていたので、気が済むまで鼻をかんで、朝かよ、と思うくらい念入りにお化粧直しをして、返信でそれを伝えると、すぐにまた返信。
"隣に座ったのは男性でした。安心して帰宅してください"
私もすぐに返信。
"真っ直ぐ帰るよ"