04
高二病全開の大層なご高説はさておき、三階へやって来た。今のところ誰にも見咎められてはいない。
一時間ほどかけてメジャーな部を見て回ったが、やはり血がたぎるほど情熱に溢れた活動は俺には合わない、と改めて実感した。なので当初の予定通り、談話部に行ってみることにしたのだ。
今は教室近くの柱に張り付き、先輩達が出て行くのを待っている。しかし未だにその気配はなく、先輩方は帰り掛けの相談に花を咲かせていらっしゃる。談話部へたどり着くには、この廊下を通る他ないというのに。
どうして俺がこそこそしているのか。それは先輩らに見つかりたくないからだ。
考えてもみてほしい。普段見ない低学年が、高学年の教室前を歩いていたらどうなるか。
話のネタにされるか、もしくは目をつけられる(もちろん悪い意味で)。
「あ、あの子一年じゃない?」
「ホントだー。新入生だー。はは、寝癖ついてるー」
「ちょっとー? 寝癖ついてるよー? 新入生くーん」
「あ、は、はい! ありがとうございます……」
テレッテレッ。
この程度ならまだましだ。もっと悪い例を挙げるとすれば……。いや、やめておこう。なんとなく想像はできるだろう、相手があまりになギャルだった場合とか、チャラい男子グループに「ちょっと来いよ」と言われた場合などは。想像するのも面倒臭いというものだ。
つまりは、そういう、七面倒臭い状況を回避するため、隠密行動に徹しているわけだ。虎穴に入らずんばとは言うが、やはり虎穴に入るのはどう考えても危険だ、だって虎穴だもん、遠回りになってもいいから違う道を行こうっと、と、そういう行動なわけである。
……え? 堂々と胸を張って歩けですって? いやよ、私はアイドルじゃないんだから。私は女優なんだから。見られるのは舞台の上だけでいいのよ。
と内心ふざけながら教室の入口手前に聞き耳を立てた。耳を取り外して。カチャッとな。
「つっちー、三星レストラン連れてってよぉ」
耳にこびり付くような、わざとらしく媚びる声。顔は見えないが、化粧が濃そうだ。
「そんな金あるわけないだろ」
優男っぽい温和な声音。少女漫画に出てくるヒーローを彷彿とさせる。
「隠すなって。お父様に頼めば余裕だろ?」
調子づいた感じの男子。なんちゃってイケメン臭がプンプンする。
「そうそう、なんで隠すの? みんな知ってると思うけど」
他と調子を合わす女子。声だけ聞いた感じではちょっとタイプかもしれない。
「親父はそういうの嫌いなんだよ。なんていうか、金に物を言わせる感じ。目立ちたくないっていうか」
だから勘弁してくれよ、と優男は暗に言う。
その声を聞いて、へぇとか、ふうんとか、その他が言っている。
俺はといえば、いつまで経っても行き先を決めない先輩方に堪忍袋の緒が切れかけていた。煮え滾るマグマは沸点を優に超え、いつ噴火してもおかしくない様相である。
「お父さんカッコいい! 今度会わせてよ、つっちー」
イラッ!
「いや、親父忙しいから無理だって」
イライラッ!
「ええー、つまんなぁい」
だあああああああっ! いいんだよそんなの! そういう、金持ちに媚びるセリフとか! いいからつっち――土屋? もうツチノコでいいわ! イケメンのツチノコは取り巻き連れて高カロリーな国際的肉サンドでも振る舞いに行けよっ!
と憤懣遣る方無い情動を、心の内で解き放ち遣る方としていると、
「とりあえず歩きながら考えようか? 時間もったいないし」
内なる叫びが届いたのか、ツチノコが如才なく提案した。
それに対し取り巻きは、フシギダネみたいな声で賛同する。
続けて耳をそばたてていると、間もなくして、椅子を擦り動かす音が聞こえてきた。
(よしよし、これで見学に行けるな)と思ったのも束の間、直後に先輩たちの声が近づいてきて、ようやく危険を察知した。
俺は即座に体を動かした。
身を屈め、体を階段のある方へ転換させながら足を動かす。
回転し終わると、次は足運びを速くする。
そのまま進み、忍のように音を立てず、すうっと曲がり角の影に消えていった。
が。
「おぷっ」
消えたのは俺の視界だった。
まるで不慮の停電でも起こったように、目の前が真っ暗になったのだ。
俺は混乱した。ふに。混乱しながらも必死に考えた。ふに。なぜ視界が闇に包まれたのかを。ふにふに。
それは恐らく、顔面が柔らかいものに包まれているからだろう。ふに。闇に包まれているということは、何かに顔を包まれたということだから。ふにふに。
(な、なにこのふにふに……。めっさ気持ちいいんですけど……)
ふにふに、ふにふに。ふにふにふに。
我慢できず、しばらくその柔らかさを堪能した。
ふにふにふにふにふにふにふにふにふにふに……。
堪能し終えると、それの正体が気になった。
多分、俺は何かと衝突したのだ。下を向いて歩いていたし、焦って油断していたから。ではその衝突物――俺が両手で掴んでいるものは、一体何なのか。
その衝突物をつかんだから倒れることはなかったわけだが、そののせいで混乱することにもなった。だが、ふにふにを堪能できたのもそれのおかげだ。
交錯した感情を一挙に感じさせてくれたふにふに。その正体が何であるのか、それを見極めなければ、気になって夜も眠れなくなりそうだ。
俺は少しずつふにふにから顔を離した。すると、その全容が徐々に見えてきた。
(これは……とても見慣れているもののような気がしますね……。そう、例えばうちの学校の制服とか……)
そこで勘付いた。
――ああ、そうか。これは女子の制服の腰の辺りなんだ。ほら、スカートがあって、ブレザーがあって、その境界の少し上の部分だ。
ふむ、スカートは今時の学生にしては長い方だ。膝が隠れている。足はうん、細からず太からず、健康的な魅力を感じる。何かスポーツでもやっているのかもしれない。お腹は柔らかかったが、太っている感じはしなかったし、ほどよい肉付きだということがそこからもわかる。くびれも良かった。両手で掴んでいたから感じ取れたが、肉付きと曲線のしなやかさは中々のものだったと思う。
さて、ここまでの評価だと98点といったところだが、まだ評定の終わっていないところがある。次はその辺りを見ていかなければならないだろう。
そう思い顔を上げた。
「ぉぶっ!」
激突した。左顎が。
否、左顎に何かが、激突したのだ。柔らかくも硬い、不思議な感触の何かが。
その衝撃と振動により、首は回転を強制され、脳は記憶野の一部が死滅させられた。
視界は暗転しながらゆっくりと回り、学校の壁、床、天井と、順番に映していく。
そこでようやく、自分がきりもみ回転していることに気付いた。
(このままでは床に顔面から衝突してしまう……)そう思うのだが、空中で弾丸のように回転している俺にはどうすることもできず――
目をつぶった瞬間に衝撃が走り、視界に火花が散った気がして、辺りが暗くなっていった。
禎生が談話部へ向かうシーンです。
あと3話で1話の続きに戻りますのでしばしお待ちを。