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頭と体を洗ってから、湯船に浸かり、深く息吹いた。
風呂場という閉塞された空間と、その空間に一人でいることの安心感、何ものにも気遣いする必要が無い気楽さ。外界と接するための皮を脱ぎ捨て、ありのままの自分でいられる心安さ。
湯に浸かり、その心地よさにも浸かって目蓋を落とした。
……部長の本当はどちらなのだろう。三日月か。部長か。あるいはどちらも本当という見方もできるが、彼女自身の意志はどうなのだろう。
事実に即して、気質が変わったことから推量ってみよう。
まず、悠に会って性格を変えたこと。様子から勘案して察するに、変えたのではなく、変えざるをえなかったように思えるが……。自分が三日月だと明かさなかった後ろめたさからか。いや、それではあそこまで気質が変わる理由にはならないだろう。第一、部長は悠以外の人に何度も会っている。その時はあのような変化などなかった。
そうすると、悠がその他の人物と何かしらの違いを有しており、その他の人物にはそれが欠けている、ということなのだろうか。
では、悠と他の人との違いは何なのか。
喫茶店では、マスター・ウェイトレス数名・七鳥と会った。
マスターは気心の知れた相手で間違いないだろう。
同学年である七鳥は部長のことを知らず、常連としか思っていない風だった。
他のウェイトレスも、部長とは他人という様子。
図書館で会った人物は、司書・女の子・花崎。
司書と女の子は、親しい間柄ではないだろう。
花崎は同学年だが、初対面のように思える。
ペットショップでは店員と話した。
店員からはマスターほどでないにしろ、よく顔を合わしているであろう近しいものを感じた。
それなら悠はどうか。
悠が部長と対面したのは、今日の放課後だ。悠が談話部と三日月のことを部長に聞いた時。
……。
――そうか。悠と他の人物の相違点。それは、「三日月満月を知っている」ということだ。
それは転じて、「悠以外の人物が三日月満月を知らない」ということでもある。
おそらく、悠以外の人物は、俺も含めて、部長が学校で評判の三日月ということを知らないのだ。
合点がいった。なぜ悠に会って部長のままでいられなかったのか。それは、悠が三日月を知っていたからだったのだ。悠が三日月を知っていて、談話部を作ろうとしている人物――すなわち部長が三日月であろうことも知っていたから、部長のままでいるわけにはいかなかったのだ。
談話部の部長を調べていた悠は、部長に三日月満月のことを訊いた。その後に下校した悠は、偶然、俺と部長に会った。その時思ったはずだ。(学校で会った人だ)と。そして俺が部活中と言い、部長を紹介した。その行為は、部長の正体を明かす行為だったのだ。三日月が部長だと踏んでいた悠はまさにその時納得しただろう。(部長ということは、この人はきっと三日月さんだ)と。
普段は品行方正な三日月満月。それがとんだお調子者で変人となれば、三日月しか知らない人は矛盾を感じるだろう。いつもと違う、と。
悠の前において、部長のままでいることは、三日月を知っている人らを裏切る行為そのものだったのだ。しかし、俺の前で三日月になることも同じ。部長――三日月は、そのジレンマに陥り、身動きがとれなくなった、そういうことだろう。
人を欺く。その行為は、世間の信用をなくしかねない危ういものだ。それが、とりわけ性格・気質といった、アイデンティティーの上に成り立つものであればなおさら。だが、それなら、彼女をして、その危険を冒し別人たらしめていたものは何なのか。
短いですが文章密度が高いため、加えて推理の区切りがいいため。ここまでを一話とさせていただきました。