19
店の片隅。
俺と悠を包む雰囲気は打ち沈んでいた。
悠はショーケースの中で丸まって寝ている猫を見ている。
ふと、神妙な面持ちで、
「談話部なんだけど……なかった」
信じられないことを抜かした。
「は? いやさっきお前――」
「談話部のことは、新設される部を三枝先生に訊いた時教えられたんだけど、今日生徒会に訊いたら、そんな部はない、って言われたんだ。それで三枝先生にもう一度訊いたら、三日月さんが作ろうとしてる部だった、勘違いしてた、って謝られた」
「三枝先生?」
問い返すとこちらに向き直り、
「同好会も、そんな名前のものはないって」
疑念に満ちた顔色で続ける。
悠は談話部が存在しなかったことが気になるのだろう。だが俺は先生の方が気になった。
先生がそう言ったということは、俺が入部を報告した時、何も言わなかったのはどういうことだ。先生は部が存在しないことをわかっていて報告を受けたのか。だとしたら、それはなぜだ。
「僕、禎生が三日月さんにお願いされて同好会設立の会員候補になったのかと思ったんだけど、その様子だと違ったみたいだね」
悠は予想と事実の相違を確認しようとする。
「ああ、自分から部員になるって言った」
俺は頷き、考えた。
入部届は部長に手渡した。それで部がないとすると、部長は届を提出しなかった、そもそも提出する気など始めからなかった、ということになる。俺は存在しない部への入部届を出したということ。それを先生に報告すれば、部がないことは知れるはず。ということは、やはり先生は、わかっていて報告を受けた、そういうことだろう。
さらに、部長が、嘘が露見しないよう動いていたのだとすれば、俺が先生に報告することを阻止しようとしないのはおかしい。このことから、部長は報告のことを知らなかったのだと推測できる。
しばらく黙っていると、悠が「ねえ」と言った。
「僕考えてみたんだけど……禎生、騙されてるんじゃない? 三日月さんの普段を考えるとそうは思えないけどさ。でも、今日禎生が見た三日月さんは全然違ったんでしょ? だったら、それが三日月さんの本性で、禎生は、その三日月さんに騙されてるって、そう考えられないかな?」
懇懇と言い、身を案じるように見つめてくる。もしかしたら悠は、俺が騙されたことを自分のせいだと思っているのかもしれない。
「お前の言う普段の部長が猫かぶってると?」
「うん。僕なりの推論でしかないけど……」
つまり悠は、部長は悪い人物で、俺を利用している、と言いたいらしい。
「先生に部のことを訊いた後、三日月さんと話したんだ。その時も、あの髪型でメガネ掛けててさ。三日月さんだと知らずに話しかけたんだ。で、質問した。『談話部について調べてるんですけど、三日月さんのことどう思いますか?』って。こういう時、普通ならどう答えると思う?」
「まあ、私が三日月ですけど、とか」
自分のことを訊かれれば、そう答えるのが普通だろう。
「だよね。けど三日月さんは、そう言わなかった。『興味ありません』って言っただけで、自分だとは言わなかったんだよ」
力説する悠。それを見ていると、このことも嘘偽りじゃないと思えてくる。
「なんで嘘ついたんだ?」
それだけじゃない。部長は髪型を変え、眼鏡を掛けてまで周りを騙そうとした。なぜそこまでする必要があったのか。
「わからない。わからないけど、あまり褒められたことじゃないよね」
騙しきるなら別だが、校内で名の知れている部長はそうはいかない。すぐにばれるだろう。なら、折を見て正体を明かす気でいた、ということなのか。
「部を作るために、俺を騙したってことか」
でも、部を作るために騙したのに、自分から辞めていいだなんて言うだろうか。他に目的があるならわかるが。
絡まった糸を、なんとか解いて端緒を開こうとしていると、
「理由はわからないけど、辞めた方がいいんじゃない?」
窺うように言ってきた。
それを聞いて思う。
辞める、か。部長には辞めてもいいと言われたが、どうするべきか。客観的に見れば、辞めるべきかもしれないが……。
「騙されてると思うなら、早く辞めた方がいいよ。言いにくいなら、僕が三日月さんに言うこともできるけど……」
心配そうに言う悠を見て、図らずも笑ってしまった。
「いや、大丈夫だ。それくらいは自分で言える」
そこまでされてしまったら、ただのヘタレだ。それに心配しすぎだろう。
俺が答えると、悠は「そっか」と少し肩を落とした様子になるも、
「とりあえず、あまり待たせるのも悪いから戻ろうか?」
と、いつもの表情でそう言った。
※
部長のところへ戻ってすぐ、悠が前に出た。
「すみません。待たせてしまって」
苦笑を作り、腰の低いところを見せる。
部長は悠の顔を見て、
「いえ、大丈夫です……」
しおらしく笑う。スカートの前で軽く手を握り、ほんのりと赤い目を垂れさせている。
それを確認してか、悠はぎこちなく喋りだした。
「えーっと、禎生って変わってるから、相手するの大変でしょう? さっきもあんなこと言ったりして……」
「そんなことありません」
悠の言葉に、部長は軽く首を振って否定する。
悠は気まずそうな顔で、
「そ、それならいいんですけど……。ま、まあ、禎生のことで何かあったら、僕に相談してください」
悠は部がないこと、部長が正体を偽ったことを知らないつもりで話を進めている。俺が自分でなんとかする、と言ったからだろう。
と一思案していると、
「仲がいいんですね」
人形のように笑う。
その顔が、また泣き出しそうに見えたのは、俺だけだろうか。
「ははは……じゃあ僕、親に買い出し頼まれてるんで」
距離感のある照れ笑いを見せ、俺に顔を向けた。
「じゃあまた」
ごめんね、とでも言っているように手を挙げる。
「お、おう……」
少し上ずってしまう。
返事をすると、悠は背を向けて歩き始めた。
「さようなら」
首筋に風を感じながら、人混みに紛れていく影をひとしきり見つめた。
お互い顔を合わせることもなく、地面を見つめたり、よそを向いたりする。それを十秒は続けたかという頃、遂にこちらが耐え切れなくなって言った。
「えっと……部長、これからどうします? もう遅いですし、帰りますか?」
口が錆びているのかと思った。それだけ、目の前のことが受け入れられていない、ということかもしれない。
部長はゆっくりとこちらを向き、どこか思いつめた様子で見上げてきて、
「あの……悪いんですけど、今日はこれで帰ります。ごめんなさい」
謝りながら頭を下げてくる。
俺はそれを見て、
「そうですか、わかりました。じゃあここで」
仕方ないか、そう思いながら言うと、
「ごめんなさい、さようなら」
今度は慌てたふうに言って、頭を上げる前に歩き始めた。
俯いたまま逃げるように足早に去って行き、そのまま人混みに紛れて見えなくなってしまう。
俺はアーケードの日覆い越しに低い空を見つめ、ふう、と一つ息を吐いてから。
「……どうすっかなあ」
杳として明かりの差さない鈍色にしがらみのような蟠りを覚えて、独り言ちた。
全開の中盤辺りから謎の提示と推理が展開されています。
ミステリ、というほどのものではありませんが、推理描写のまどろっこしい感じが肌に合わない人は読み進めるのが苦痛になるかもしれません(特に次回からは)。
そういった方はここで読むのをやめていただくのもありかと思います。
しかしついてきていただける方は、禎生と一緒に、または独自に謎解きを試みていただけると幸いです。