14
図書館司書のオネエ(おねいさんじゃないよオネエだよ、がっかりだよ)に注意を受けた後、俺と部長は隣同士、笑い転げていた彼女は俺の向かい側に座った。
俺は左側の席で頭を下げる。
「すみませんでした、ご迷惑をお掛けして」
笑っていた彼女は悪くない。悪いのは俺の横に座っているデニスだ。
罪悪感に苛まれ、深く謝ると彼女は、
「いやあ、あそこまでお腹痛くなったのは久しぶりだよ」
あっけらかんとした表情でそう言い、
「ありがとね」
ぱっと咲った。満開のカルミアのように。
俺は屈託ない笑顔に気圧され、言葉に詰まってしまい、
「い、いえ……」
さらには疑問を浮かべてしまう。
なぜか感謝された。でキュンってなった。
な、なに、この気持ち。わたし、ドキドキしてる……。こ、これが恋……? だ、だめよだめだめダメよだめ。私には先生がいるんだから! たとえ彼女がふんわりショートボブで、いつもニコニコ這い寄ってきそうな元気いっぱいおにゃのこでも……。あ、あんたのことなんか好きじゃないんだからねっ!
と内心あらぶっていると、
「敬語はやめてよ、あたし一年だし」
微笑とともに意外なお言葉が飛んできた。
「あ、そうなんですか、じゃなくてそうなんだ」
なんとなく先輩かと思ってた。見た目だけは落ち着いて見えるから。ふんわりショートボブボブのおかげで。
ボブが「うん」と頷いたのを見て、俺は初対面の習わしに従うことにした。
「俺、志津摩って言います。俺も一年です。よろしくお願いします」
「あたし、花崎って言います。あたしも一年です。よろしくお願いします。ふふっ」
なぜか笑われた。しかも含みのある笑い方で。
……え、えーっと。
どうやら余計なことを考えていたせいか、ぼろが出たらしい。ここはぼろだけに、ぼろでも当てて継当てとしたいところだが、当てる箇所がわからないし、当てたとしても、俺が持っているぼろで十分に繕えるのかもわからない。そんなわけで、俺は言い知れぬ不安に襲われた。
「よ、よろしく……」
「よろしく。君おもしろいね」
また笑う。ぼくはなにもおもしろくないです。
なぜ俺の真似を。しかも笑われたよな。にっこにっこりー、ふふ、って。もしや何かの伏線ですか? ――って、あっ!
「ご、ごめん、気づいたら敬語使ってた」
自身の不調法に苦笑いしつつ、後頭部に手を当てて謝った。
俺としたことでなんて間抜け。ホント俺としたことだよ。いらんことばっか考え過ぎ。
「だね」
またまた破顔一笑。
こりゃ一本取られた! っておでこ叩くレベルで恥ずかしいが、花崎が満足そうだから俺も満足。チョコでバーでマジへるてぃ☆
「面目ない」
穴があったら頭から入りたい。ルパンダイブで。先輩っていう思い込みのせいだな、きっと。
ちょっと熱を持った後ろ首に触れていると、
「ううん、面白かったし」
腕を伸ばして手を膝に置き、肩を縮めて目尻を下げ口角を上げる。にかっ。
「そ、そう……」
俺は多分微苦笑した。
(変わった子だな。なんか、価値観や物の見方が違いそうな感じ)
でもね。そんなことよりもね。今、俺が一番気になってるのは。
――あんただよ。
そう思い兀然としている部長に顔を向けた。
どうしてあなたは固まってるの? 石化したパーティメンバーなの? 俺だけ喋ってる気まずさも少しは考えろよ。
「ちょっと」
花崎と話し始めてから、ピクリとも動かない部長の肘を小突く。
「部長」
さらに呼びかける。
しかし無言。部長は花崎の顔を凝視し、まばたきもしていない。対する花崎は、「ん?」と小首を傾げて笑っている。なにこの状況。
「おい」
……。
へんじがない。ただのおばかねのようだ。
ホントどうなってんだこの人。空気は大気も大概にしろよ。俺ら二人が自己紹介したんだから次は部長の番だろうに。キュアとかリカバーだとか詠唱しないといけないの? もうこれザラキか○スでよくね?
ったくめんどくさい。
俺は部長に顔を近づけ、低い声でささやいた。
「……部長、黙ってください」
と。
が。
「それはいやだけども……」
しょんぼり。
俺はテーブルの下に滑り落ちた。しかしなんとか座り直す。
そ、そうですか……。まあ、あなたさっきまで一言も喋ってなかったんですけどね。……あと、いやだけどもなんなのよ?
「次は部長の番でしょう」
お遊戯の時間に好き勝手走り回ってる幼稚園児じゃあるまいし、それくらいわかるだろ。という不平は飲み込んで、でっかい子供を諭すためにウルトラの父のような顔をする。
しかし。
「よし、ではくじを」
「は?」
こいつは何を以下省略。くじ? くじってなんだ。よくわからんがこれだけは言えるよ。どう考えてもその順番待ちじゃねえ。
もしかして、頭からつま先まで丸々聞いてなかったの? あ、そう。わかった。立ってなさい、廊下で。
「できたらギョクって書かれたヤツがいいな」
気のせいかしらワクワクしているご様子。
「いやそれ王でしょう? てか王様ゲームじゃないですって」
合コン会場じゃないからここ。それに将棋だよ玉は。
「くくくく……」
花崎は口を押さえて前のめりになっている。
まずい。また部長にペースを持ってかれている。このままでは部長の思うつぼに。……いや、部長の思い描くつぼなんてないな。部長だとつぼを粉砕してでも中の物を取り出しそうだし。……つぼか。ちなみに俺の思うつぼは、部長がおとなしい部活と、あれはいいものだと言われたつぼ。ダイヤモンド・パール・プラチナの中からどれを選ぶ? と言われ、ツボツボ、と答えるくらいはロマンにあふれているつぼだと思わないか?
くっだらない妄想に時間を割いていたせいか、部長の妄想も加速したらしい。
「じゃ、もしかして……その……ポッキー……?」
モジモジ。
そ、それはまだ早くない? とでも言うように恥じらっている。もう一人で辛子入りロシアンルーレットでもやればいいのに。
「違います」
「じゃあなに?」
なにって……そんな合コンしたいのかあんたは。
「ふひひひひひ」
ふひひって……そんな笑い死にしたいのかあんたは。
収拾がつく気が全くしないので、もう他の席に行って他人のふりでもしてようか、なんて考えが脳裏をよぎる。しかしそれは許されざることなのだろう。
と考えていると、突如部長が立ち上がり、
「まさか! 私が王様!?」
驚き桃の木山椒の木!? と顔面で言う。
「ええ……おバカの王様です」
俺は努めて冷静に言葉を返した。
え、うそ、年末ジャンボ当たった……? それくらいは驚いている。そのせいか、俺の肯定|(否定)は耳を通り抜けたらしい。
部長は立ったままで、
「じゃあ! 一番と三番がその……ぶ、ぶちゅーっと」
司会進行役のような朗々とした声量が辺りに木霊した。俺は慌てて、
「ボリューム! ボリューム落として! お願いだから!」
唾を飛ばすくらいの勢いでお願いするのに、
「ふひ、いひひひひひっ」
あんたのツボは浅いなホント!
「は、花崎も、少しは我慢してくれ」
そんなアルマジロみたいに丸くなって笑わんでも。
花崎を見て途方に暮れていると、
「違うのか……?」
どうした弾みか落ち着いたらしい。バカの王が。
なにその、「俺は……間違っていたのか……?」みたいな顔。そんなドラマ性ないからね今のやりとりに。
「違うって言ってるでしょう」
と、呆れながらも再度否定する。
もうこの人に突っ込むの疲れてきた。なんて言うと、妄想を膨らませてしまうのが若人の常。いかんいかんいかんいかん膨らむ膨らむ! いや、妄想がね?
「ふひっ、いつつつつつつつっ」
約一名は腹痛の模様。
いやあ、こんなに口の広いツボは見たことがない。もはや甕です。かめといえば、俺の飼ってる亀だけどいかんいかんいかんいかん膨らむ膨らむ! いや、ろくろの上の甕がね?
「ではなんだ?」
座り直した部長は腕を組みながらバカげたことを訊いてくる。
なんだってなによ。もしかして、本当に全部聞いてなかったの? こう――頭からお尻までまるっと? そう。わかった。立ってなさい、校門で。
「自己紹介ですよ」
と賺すように俺が言うと、
「自己――それな!」
ポン! と手を合わせる。どこ圏の人だあんた。
呆れと疲れでうなだれていると、部長は一呼吸置いてからすっと背筋を伸ばし、
「では改めて」
そう言って顎を引き、表情を引き締める。そして。
「私の名前は……」
まず自分の名前を言い、それから趣味趣向を一つ二つ挙げる。それによって人は人に親近感を持たせ、互いを知るきっかけとする。自分の人間らしさという手札を開示するのだ。どちらかが譲らなければ、歩み寄ることはできないから。だから人はまず、名を明かす。名前というカードを。なら、ここで部長が示すカードは――
「君、うちの部に入らないか?」
これしかない。
「ちがうでしょおおおおおおおう!?」
提示されたジョーカーに思わず喚いた。
もはや情報開示ですらない。初段階をすっ飛ばしての交渉である。譲るどころか強引に飛びついていって、自分の都合を押し付けようとしている。
そして花崎はといえば、笑いを自らの独擅場とし、ブレーキのイカれた車が坂を突っ走るように感情の発露を暴走させている。
「あははははははは!」
さなきだに疾い暴走車はアクセル全開である。
情動のはけ口にされて、涙目な机。お前は本当によくやってるよ。
――まずい!
反射的に振り向いた。すると……。
(やべっ!)
案の定さっき注意してきたガタイのいいオネエに睨まれていた。(アンタたちぃ……!)という顔で指を咥えながらガンを飛ばしてきている。クネクネと捩り捩りしながら。うぇっ。
「二人はさっきから大声を出し過ぎだな。いい加減追い出されるぞ?」
腕を組んでクールに決める。
俺はすかさず指摘した。
「それを部長が言いますか」
追い出される時はあんたも一緒だよ。きっとな。
「ぷくくくく……」
元凶は部長だけど、君も少しは声を出さないよう努力してくれませんかね、ワラ崎さん。さっきから見てたけど、もう自重する気さえないんじゃないかと思えてきたよ、笑崎さん。もうこれからサキワラ(笑)って呼んじゃうよ? 笑ちゃん。
「それで、どうかな?」
部長は花崎に対して水を向ける。
うん、何がそれでかは全くわからないけど、何のことかはわかる。でも毛の先ほども下手に出る気がないのはどうかと思う。平の俺にはヒヤヒヤものなんでね。
あと出たとこ勝負の交渉もやめてほしいなあ。
「何する部なの?」
小首を傾げて逆に訊いてくる。
そうですよね。それがやっぱり気になりますよね。それがですね、何するっていうか何もしないといいますか、そういうふざけた部なんですよこれが。
と投げやりを投げてギネス世界記録保持者になったような気持ちでいると、投げたやりはアメリカが開発した対戦車ミサイルになり(ジャベリン)、イギリスの地対空ミサイルに変わり(ジャベリン)、気象観測用ロケットに変化して宇宙に上がり(ジャベリン)、Uターンして大気圏突入後、まっすぐ戻ってきながら蜻蛉切に変化して俺の胸に突き刺さった。空っぽの心臓は打ち震え、これにて、俺の手元には重い槍が返ってきたのであった。めでたしめでたし。
「駄弁る部だ」
ふんぞり返る。
ほらね、ふざけてる。あ、今思ったけど、駅弁と駄弁るって漢字似てんなー。おもしろー。……はぁ。
「せめて談話って言いましょうよ……」
混々とふざけ続ける部長に呆れ果てながらもそう言うと、
「駄弁り殺す部だ」
今度はそっくり返る。
「どんな部だ……」
もはや呆れを通り越して諦めの境地に至りかける。しかしそれでも俺はめげない。
ははあ、そういうこと。つまり言葉のデッドボールですね、わかります。ドゴォッとか、ボグゥッってめり込むようなデッドボールは怖いよねえ。ってそんな部は御免だ。
「ふうん。じゃ、入部する。ていうかさせてください」
花崎は姿勢を正してお願いしてきた。
またですか。また即決ですか。軽いなあー。今日出会う女子はみんな尻軽、じゃなくて足軽みたいだなあ。それか鉄砲隊かなあ。
あんたもそう思わないかい、大将。
「ではよろしく。入部届の提出を忘れないでくれ」
部長は承諾の意を込めて手を差し出す。
よろしくも何も、あんた名前すら明かしてないだろ。珈琲店の時も自己紹介すらしてないし。
「はい、よろしくお願いします」
そう言って握手し、花崎は頭を少し下げる。
二人が手を離し、数拍の沈黙が流れた時、
「あたし、もう帰りますね。じゃ、また!」
いきなり帰る宣言をしたかと思うと、鞄を提げて立ち上がり、「えっ」と言う間に歩いて行ってしまった。
途中、回れ右をして手を振ってきたので、俺は慌ててそれに返したのだが……。
ちょっと。今恐ろしいものの片鱗を見た気がするんだけど、気のせい? 気のせいだよね? 爆笑大魔神だけじゃなくマイペースだなんて、嘘だよね? 嘘だと言ってよ笑崎ぃ!
と言い知れぬ不安に苛まれていたら、世紀末を感じさせる気配が漂い始め……、
「ふひひ。カモですね、兄貴」
突如としてゲスが現れた。
ゲスはニタァと、下卑た笑いをたたえ、むかつきを禁じ得ない浅ましい視線を送ってきながら揉み手をしている。
やべえなあ。このゲスだけでも手に負えないってのに、あと二人空気読め子ちゃんが増えたりしたら……。空気が空気になるな。で、最後には空気しか残らないんだ。空気が半分になったら、酸素欠乏症になっちゃう。最初は脈拍が増え、頭痛がして、むかつきがする。次にめまいがし始め、意識不明、昏睡状態、と症状が重くなる。
うわあ、大変だあ。そんなだったら、家帰って寝た方がマシかな?
てかいい加減そのゲス顔やめてくんないかな。世紀末漫画に出てくる雑魚じゃないんだから。
「とりあえずその噛ませ犬みたいな顔やめてもらえますか? さっきより桁外れに見苦しいんで」
図書館で花崎と話をして勧誘するシーンでした。
ことあるごとにツボをこちょこちょと刺激されて笑いの止まらない花崎。
爆笑大魔神というキャラは、一人いるだけで集団が賑やかになります。
みなが白けている時に笑われると少し手に負えない場合もありますが、無言の重圧よりは少なからずましなのではないでしょうか。
ということで部長の勧誘が二度続きましたが、はてさて、次はどうなるのか。