10
俺と部長は一杯目をすでに干し、二杯目のコーヒーを飲んでいる。
部長はアイスを慣れた手付きで。俺はブレンドをちびちびと。おごりのケーキを待ちながら。
いくらか経った時、
「お疲れ様でーす」
暢気そうな声が奥から聞こえてきた。
「おつかれ。着替えたらそこのケーキ頼むよ。三番のテーブルだからね」
マスターもといメデューサ姉さんの声だ。
「はーい」
暢気そうな声は間の長い返事をする。
またバイトの子か。これで三人目だ。
そう考え、すでにシフトに入っている二人のウェイトレスを見る。気付かれないよう横目で。
店に入ってからずっと気になっていた。もう何て言うかチラチラチラチラ見ちゃう感じで。
部長なら知ってるかもしれない。訊いてみよう。
「なんでここ、ウェイトレスの格好がメイド服なんですか?」
フリフリのフリルに、マイクロミニのスカート。ハァハァ。ホワイトブリムとしてのカチューシャ。ハァハァ。絶対領域を形作るニーソックス。ハァハァ。
ゴスロリが少し混ざったフレンチメイドのデザイン。昨今、マンガやアニメでよく目にするメイド服――それを着た女の子がウェイトレスをしている。ハァハァ。おかしい、このコーヒーなかなか冷めない。ハァハァ。
部長はカップから口を離して顔を上げる。
「私が、そうした方が売上が伸びると提案したんだ」
まあ、本当ですの? 一介の学生が、店の経営事情に口を出したと言うんですの? にわかには信じられない話ですわね。
「冗談じゃなく?」
「嘘はつかないよ」
この一杯に誓う、とでも言うように腕を少し上げた。
さっきから真人間みたいに振舞っている部長。だが実際は真人間通信簿メーカーの結果といい勝負だ。そんな人のアイディアを採用した店はどうなったのか。
「で結果は……」
「私に毎度毎度奢ろうとするくらいは好況なようだ」
部長は困ったものだよ、と続ける。
それであの意地の張り合いか。そりゃ奢ろうとするのも当然だ。すげえな部長。あんな元レディースみたいな人に借りがあんのか。なにもんですかてめえ。
そんなこんなで会話にフシギバナを咲かせていると、
「三番でしたよね?」
「ああ。頼んだよ」
そんなやりとりが聞こえてきた。そろそろ来るかな。
「部長って、もしかしてすごい人だったり?」
カップをソーサーに置いて訊く。
部長はなんでもない、とでも言うように口を切った。
「そうだな。素人が、冬場に軽装備で富士山に登ろうとするくらいはすごいぞ」
俺は即座に言った。
「それ悪い方のすごいですね」
すごい無謀だよ。まず遭難するからね。間違いなくヘリ来ちゃうよ。……山は、やはり富士山に止めを刺す――って、それじゃ、富士山に止めを刺されちゃうじゃん。
部長のボケを聞き咎めてからカップに口を付けていると、フリフリの気配が近づいてきた。
「お待たせしましたー。カラメルフロマージュとティラミスです」
甘ったるい声とともに、小皿に乗せられた二つの甘味がテーブルに置かれた。
それにより、ここに――甘味甘露の最強デュエットが完成した。ででん。
来た来た、俺のメルちゃんと部長のミス・ティラノ。なんて調子に乗りながら、装飾の凝った洋菓子に目を奪われる。俺はすかさずカップに口を付けた。……大丈夫、気づかれてない気づかれてない。
「え!?」
突然、横から声が上がった。
「え?」
それに釣られ顔を向けると――
「ぶふっ!」
「きゃっ!」
吹いた。コーヒーを。
(……な、なんでこの子が)
とっさに首を戻したので、ウェイトレスにコーヒーがかかることはなかった。部長のティラミスも無事。だが、俺のメルちゃんが……大惨事です……。
「汚いなさすが志津摩君きたない。しかしあの顔は初めて見たな」
ニヤリ。したり顔で尻目に懸けてくる。
気づかれてたあああああ! よりにもよってこの人に! そしてこのセリフ。……消えたくなってきた。底なしの穴の中に。
ウェイトレスはトレーを盾にするようにして、顔を少し覗かせた。
「な、なんでほうきの人が……」
それやめてっ!? それ今日のNGワードだからっ!
と言いそうになったが、グッと飲み込んだ。
俺はとりあえず、テーブルに据えられていたナプキンで口と制服、テーブルをフキフキした。フキフキフキ。
それが終わってから、
「ほうきの人はやめて。お願いだから」
今はお客さんがいないけど、あまり大きな声で言われると困るんです。ほら俺、魔法使い見習いだから。「ほうき」とか言われると、一般人に正体がバレちゃうかもしれないんだ。三十歳までの厳しい修行の間、正体を知られるのは禁忌とされてるからね。
そんな必死の思いが伝わったのか、ゆるふわロングのメイドウェイトレスは落ち着きを取り戻したようだった。
「う、うん……」
しかし警戒までは解かず、トレーを下ろす様子はない。
(……大丈夫、物分かり良さそうな子だからきちんと説明すれば)
「ああ! そうか君か! どうりで見たことがあると思ったよ」
ですよねー。そうなりますよねー。俺久しぶりに見ましたよー。握りこぶしで手の平をたたく人ー。ポン! ってねー。
俺は牽制球を投げることにした。
「部長、ちょっと黙っててくれますか?」
と。
が。
「それはいやだよ」
………………。
直撃雷を受けた気分になった。
「……さいですか」
そ、そんな真顔で言わなくても……。前回と落差がありすぎて対応に困るんだけど……。
(……ああ、だめだ、ここからグダグダの泥沼になってしまうに違いない)
脳内で途方に暮れていると、渡りに船とばかりに天使が手を差し伸べてくださった。
「あの、お二人はあの教室でなにしてたんですか?」
両手で持った盾はそのままに、おそるおそる訊いてくる。
俺はすかさず助け舟の天使に手を伸ばした。
「あれは部長のおふざ」
「それはもう組んず解れつと言うか……なあ?」
「なあじゃないでしょうが!」
伸ばした手は無残にもはたき落とされた。
「きゃっ……」
そこ! 顔赤らめんな! 違うから! トレーに隠れてないで俺の目を見ろ!
どうやら船は泥船だったらしく、天使は天使でも堕天使だったらしい。なんという巧妙な罠。アザゼルの奸計であったか。
しかし俺はめげない。
「ち、違うんだ。あれは部長がふざけて変なこと言い出すから、ああするしかなかったっていうか……」
そう、ほとんど部長のせい。多分七・三くらいで。主観で言わせてもらえば十二・零の割合で。
「じゃあさっき言ってたのは……」
メイドは鼻から上だけをそろっと見せる。
「あれは嘘だって。この人ちょっとおかしいから」
ちょっと? ちょっとってなんだ。なんでちょっとオブラートに包んだ俺。
と自分の発言に煩悶していたら、
「だから私は嘘をつかないと――」
「だから部長は黙っててくださいって言ってるじゃないです――」
「――だからそれはいやなのっ!」
プイッ!
言い募ると同時にしゃらっと顔を逸らす。
……もう、誰かこの人どうにかしてっ!?
とんだ強突く張りに半分自棄になっていると、ウェイトレスはトレーを下ろしながら口を開いた。
「そうだったんですか……」
良かった。わかってくれたみたいだ。これで少しは部長も落ち着くだろう。
「私てっきり、ほうきを使って何か……い、いやらしいことをしてたんじゃないかと……きゃっ……」
だめだあああああ。収集つかねえええええ。てかほうきを使ったいやらしいことってなに!? どんな状況!? そっちの方が気になるわっ!
事態の紛糾に頭を抱えて天井を仰ぎ、テーブルに突っ伏した。だが、このままではまずいと直感が働き、すぐさま復活する。
いかんいかん。そんな誤解をされたままでは、変態という烙印を押されているも同じ。何とかわかってもらわないと。
「違う違う。そんなふしだらなことは一切――」
「ああそうだ。君、うちの部に入らないか?」
そうそう、君うちの部に入らないか? ……って、え。……え? なにそれ。なんで勧誘してんの? いきなり。「ああそうだ」って、そのああそうだ? ああそう。で、なんで勧誘してんのよ? いきなり。
「突然何言ってるんですか部長……」
俺は藪から棒の発言に不意を突かれたが、彼女はそうではなかったらしい。冷静に耳を傾け、部長を正視している。
「どんな部活なんですか?」
割りと真剣そうな顔で訊く。
いやいや、真面目に受け取らないでいいからね。この人、思いつきで言ってるだけだから。
「お喋りをする部だ」
談話って言えよそこは。腕組んで言ってもそれじゃカッコつかねえだろ。
「いいですよ。楽しそうですし」
メイドは楽天的に笑って答えた。
決断はやっ! そんな即断即決でいいの? 人生の分岐点だよ? この選択で、将来結婚する人が出木杉かのび太かに分かれるかもしれないんだよ? 君、それくらい考えて決めた?
「ほんとにいいの? さっきはああ言ったけど、この人、ホントに変人だよ?」
この際なので直截簡明に言った。
ひどいこと言ってるような気もするけど、間違ってないと改めて確信。マジでダリってますわこの人。ダーリンダーリン♪ どこか行ってー♪
「でも、他に楽そうな部活ないですし。うーん……うん、やっぱり入部します」
ひとしきり考えることもなく、ものの数秒できっぱり答えが出た。は、はええ。夏場、台所を飛び回ってるハエよりはええ。
「そ、そう……それならいいけど」
楽しそうが楽そうになった。本音が出たな。
「では来週にでも入部届を提出してくれ」
部長が言うと、
「わかりましたー」
敬礼のポーズ。
(や、やはり天然かこの子……)
「ご、ごめんね。バイト中に」
バイト中の生徒勧誘するとか、どんな神経してんだこのメガネ。少しは人の迷惑も考えろよ。なんで俺が謝ってんだ。
「いえいえ。それよりも、ケーキ新しいの持ってきましょうか?」
私のせいかもしれませんし、とメイドは付け加える。
俺のメルちゃんは黒酢をかけたフレンチトーストの切れ端みたいになっていた。このままではメルちゃんを青春の一ページ的な味で甘受せねばならなくなる。なるのだがしかし、
「いや、自分のせいだから食べるよ。これ店長のおごりだし」
俺は決めた。どんなメルちゃんも愛そうと。
別に店長が怖いわけじゃない。店長がコーヒーまみれのケーキを見て、「アタシの好意を受け取れないってわけかい。へえ、いい度胸だねえ」なんて言うのを想像したわけでもない。俺が怖いのは、店長の好意に泥を塗ってしまったこと、それを知られることなのだ。だから決して、メデューサ姉さんが怖いわけではない。うん。
「そうですか、わかりました。何かあれば呼んでくださいね」
そう言って、彼女は仕事に戻っていった。
大丈夫かなあ。なんかあの子が加わると、収集つかなくなる気が……。いい子なのは間違いないんだけど。
杞憂に終わってほしい不安要素を危惧していると、ほくそ笑むような声が響いた。
「ふ、計画通り……」
口の端を釣り上げている策士に対し、俺は告げる。
「お客がいる時にその顔したら、俺問答無用で帰りますから」
ドヤァ。
予期せぬ再会と勧誘のシーンでした。
ベタです。ベタベタに塗り固められたベタです。しかしベタとは言い換えれば王道ということであり、それは転じて先人たちが塗り固めてきた堅固な道ということでもあります。
王道には安易な方法・楽な道・近道、といった意味がありますが、シナリオにおける王道についてはその意味だけに留まらない、と考えます。
たとえ王道を歩むとしても。レールが最初から定められていても。その道から決して外れない、ということは、決して安易なことではないからです。
それは王道ゆえに。
それが王道が王道たる所以。
王道は王道ゆえに王道足り得るのだ。
と、自分でもよくわからないことを語り始めたところで栞を挟ませていただきます。