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「あら、お出掛け?」
調度アパートを出ると、苗木に水を蒔く大家が僕に問い掛けました。
「ええ、少し創作に行き詰まってしまったもので…」
僕は軽くそう答えると、大家は手を休める事無く、こちらをじっと凝視し、少し怪訝な表情で続けました。た
「そう、其れは大変ね。良いモノが描ける様に願っているわ。」
さて、僕は独断行く場所等定めてはいませんでしたが、少し歩いた場所にカフエを見付けましたので温かい珈琲を頼み、通りを眺める事の出来る場所に腰を定めました。
季節は春と云えど、時折吹く風は多少ですが肌寒く感じられます。
春は世間が浮き立つ季節ですが、僕は好きではありません。
母が−いえ、母に捨てられた時期であるからです。
其れは僕が4歳の時でした。
父は居ません。
いえ−−−分かりません。
母からは何も聞かされてはおらず、4歳迄は母と暮らしておりましたが、以降は施設で生活しました。
18歳で施設を後にし、以来は知らない男性の名前から毎月−僕には多額だと感じる程の−金銭が振り込まれています。
浅学菲才な僕でも、其の名前の男性こそが、僕の父であると予測は出来ています。
しかし、認めたくないのです、いえ、胸糞悪いのです。
僕は彼を知らない、けれど彼は僕を知っている。毎月金銭を送ると云う事は認知はしているのでしょう。僕が自分の子供であると。でも僕は認めたくない。顔も知らなければ声も、どの様な人物であるかも認識出来ないですし、『父親』の種に因って僕の命が形成された、と云われましてもピンと来ないのです。父親であるなら、何故あの時−−−
僕は取り留めの無い、非生産的思考を巡らせながら、通りを過ぎ行く人々を眺めて居ました。絵描き、として、人物を見て思う事は、決して俗人の思う
「可愛い」であるとか
「綺麗」で在るとかでは無く、専ら
「顔と躯のバランスが良い」だとか
「脚のフォルムが美しい」と云った事であります。
しばらくカフエにて行き交う人物を眺めておりましたが僕の創作に適した材は見付ける事が出来ず、僕はすっかり冷めた珈琲を半分程残し、店を出ました。