前
「いってしもた、なぁ」
独特の形状をした黒塗りの車と、後に続くブルーグレーのマイクロバスを見送って。最後に一礼をした俺は、自分が言うた言葉に、小さく震えた。
どこかリアリティのなかったこの数日間の゛現実゛が、言葉にしたことで、はっきりと形になってしもたような気がして。
『詮のないこと、言わんかったらよかった』と、反省とも後悔ともつかない思いを噛み締める。
「YUKI、大丈夫か?」
そんな言葉とともに、そっと俺の背中に触れる手があった。
右隣に立つ学生時代からの心優しい友人は、体格に見合った大きな掌で、心臓の裏にあたる所を軽く叩く。
礼服のジャケット越しに伝わってくる体温に、喉の奥にある堰が崩されるような感じがして。込み上げるモノが零れんようにと、強く唇を噛む。
今まで過ごしてきた人生の大部分。
俺の左隣りが定位置やった友人は、別れの言葉一つ遺さず旅立っていった。
右隣りのコイツ、JINも。その隣に立っとるRYOも。そして、その向こうでいつもより吊り上がった目で空を睨むようにしているMASAも。
バンド仲間はいつもの順で横一列に並んどるというのに、ただ一人。SAKUだけは居らんから。
俺の左側には、二月の冷たい空気が存在しとった。
「順送り、って。SAKUだったら言うんだろうな」
隣から低いハスキーボイスが聞こえる。
同学年やった俺らの中で、一番早い四月生まれやったアイツなら、確かに言いそうな言葉やけど。
なんとなく素直には頷けないまま、俺は自分よりも数センチ高い所にあるその顔に目をやる。
俺の視線に気づいたJINのアーモンド型の目と、視線が交わる。
「そう言われたからって、納得はできないけど」
言うた本人が、納得いってない顔で深い吐息を吐いた。
「それでも、受け入れるしかないやん」
そう答えた俺の背中から離れた手が、ポケットから白いハンカチを取り出すのを、視界の端で捉える。
真っ赤になった目を拭ってるヤツから、そっと目を逸らす。
納得いくか、いかへんか。
そんなレベルで、人の生き死にが決まるわけやないのは、俺もJINも分かってる。
残された者は、受け入れるしかないって。
それでも、やっぱり。
辛いし……悔しい、よなぁ。
人目がなかったら、声を立てて泣きたいわなぁ。
さっきのJINを真似るように、隣の背中。真ん中辺りをゆっくり叩く。
心拍より少し遅い、一分間に六十拍のテンポで。
そうしていると、耳の奥で声がする。
『”手当て”っつうのはさ、痛むところに手を当てることなんだぜ』
思い出の中でしか聞けなくなってしもたその声に、喉が詰まる。
込み上げる嗚咽を、ため息に紛らせ。
滲む涙を、瞬きでごまかす。
「JIN。YUKIも」
RYOの声にぐっと一つ、息を飲み込むようにしてから、返事をする。
身内だけのささやかな葬儀は、親族を斎場へと送りだしたあと、ごく近しい仕事仲間や友人だけが残っていた。その連中も三々五々と帰り始めるなか、『ちょっと、来い』とRYOが指で呼ぶ。
なんとなく内緒話の雰囲気で四人、頭を寄せ合う。
「今夜、皆で飲まねぇ?」
RYOが辺りを憚りながら提案する。
「弔い酒、か」
「自称゛宴会部長゛のSAKUだっだからよ。”送別会”っつうか……久しぶりに、な?」
JINとRYOのそんな会話に、MASAが
「由梨がOKなら、俺の家でするか?」
と場所の提供を申し出る。
RYOが頷くのを確認したMASAは、話の輪から抜けると少し離れた所にいる女性たちのグループに歩みよる。
MASAの嫁さんの ゆりさんは、ハンカチで目を押さえとる俺の嫁さんの肩を抱いて、自分も鼻をすするようにしていた。その隣にJINとRYOの嫁さんらも。
ほんの半年前までは、あの顔ぶれの中にSAKUの嫁さんの知美さんも居ったのに。あっという間に、夫婦揃って逝ってしもた。
仲のええ夫婦やったもんな。お互いに、寂しなったんやろ。
取り留めないことを思っとるうちに、彼女らと二言三言、言葉を交わしたMASAがゆっくりと戻ってくる。その足取りに、軽く右足を庇うような癖が出てきたのは……還暦の頃やったか。
『歳、とるとさ。あっちこっちガタがくるもんだよな。俺なんかさ、自分でも知らなかったような十代の骨折が悪さしやがる』
SAKUがそんなことを言いながら腰を摩っていて。椅子に腰掛けたJINも笑いながら膝を撫でとった。
演出に見せかけて、足腰の弱った三人がステージの途中でスツールに腰掛けるようになったのが、ここ十年ほどやから。
あの会話がちょうど、その頃やなぁ。
こんな些細な会話、どこにしまい込んどったのやろ。
脳の容積、そろそろ足りんようになるお年頃やのにな。
ゆりさんは自宅を飲み会の場に提供してくれただけやなしに、『残り物でよかったら』と、酒の肴におでんも出してくれると言う。
おでんやったら……日本酒やんなぁ。昨日、通販で届いた神戸の酒、持って行こうか。
二年程前、SAKUが気に入ったようなこと言うてたから、『近いうちにアイツにも一本分けたろ』と思って多めに買うた酒やったけど。
配送トラブルのせいで、届く前にアイツの方が遠い所に行ってしもた。
そんなことを考えるともなく考えながら電車に揺られて、MASAの家を訪ねたのは、冬の日がそろそろ沈む頃やった。
「ゆり、これ゛残り物゛か?」
四人が揃ったところで、運ばれてきたおでんを見たJINが、首を傾げる。
奥の和室、座敷テーブルの上て湯気を立てとる土鍋の中は、ぎっしりと具が入っていた。
「お前らが来るまでに、かなり嵩あげしたからな」
土鍋の次に六缶パックのビールと割り箸をはこんできたMASAの種明かしに
「どうせ食べるなら、種類の多い方がいいじゃない」
と、呑水やグラスを乗せたお盆を手にした ゆりさんが言い返す。
「それに、おでん種は多いほうが、いいおダシもでるし」
「さすが、主婦歴四十年。いや、MASAに餌やりしてたのを足したら五十年か」
仲間うちで最初に結婚して。それ以前の学生時代から、゛夫婦の雰囲気゛と言われとった二人をからかうようなRYOの言葉に、ゆりさんは
「サクちゃんの受け売りだけど」
さらりと答えてから、ひゅっと音を立てて息を吸った。
顔を伏せるようにして食器を並べる彼女の代わりのようにMASAが、
「去年の秋に、知美さんが亡くなっただろ? 彼女の入院中にポロッとSAKUが、『一人分の鍋物、特におでんはまずい』ってこぼしたことがあってな」
と、話す。
「告知を受けた時点で、知ちゃんの病状がシリアスだっただろうから、心理的なものもあったとは思うけど」
定年まで看護師として勤め上げた ゆりさんの言葉に、そんな状況に一人で耐えていた友人を思う。
「サクちゃんは『具が少ないと、ダシが物足りない』って」
「そんなモンかなぁ?」
俺の独り言のような疑問に、MASAは『俺も分からん』と答えて、部屋から出ていく。
その背中に向かって、
「誰も、まっくんに分かるなんて思ってませーん」
と、憎まれ口を叩く ゆりさん。
ホンマ、さっきのRYOやないけど。゛夫婦歴゛が五十年になろうかっていうのに、コイツらは変わらんなぁ。
「でね。だったら、って、うちが作る時にちょっとおすそ分けしたりもしてたのよね。だから、昨日もつい、多めに作っちゃって……」
いつものように三個のタマゴを茹でて、殻を剥いた後で気づいたらしい。
その瞬間の虚しさは、きっと。
昨日、届いた酒の包装を解いた時の、俺の心持ちと一緒やろ。
部屋に戻ってきたMASAの手にあるモンを見て、RYOが目を細めたのが斜め向かいの席から見えた。
床の間こそないものの、上座に位置する場所に置かれたのは。
間違えることのない、SAKUのベースやった。
「どうしたんだよ。それ」
「昼間、事務所から借りてきた。仲間はずれは嫌だなって、思ってさ」
RYOの問いかけに、柄にもないようなことを言いながらスタンドの位置を調節しているMASA。
「依り代か。四十九日までは、成仏してないらしいし」
JINの言葉に、錯覚やろか。ベースの黒い塗装が一瞬、光を弾いたように見えた。
SAKU。お前もここに、来とるんか?
「『俺にも食わせろ! 飲ませろ!』って、化けて出てきそうだけどよ」
RYOが色の薄い目で笑いながら、テーブル中央に置いてあった缶ビールの一本をベース正面に供える。
『言いそう。いや、絶対に言う』『食い道楽だったし』と言い合いながら、ひとしきり笑って。
笑いながら、ビールが開けられる。
俺達、織音籠がCMをさせてもろたこのビールの銘柄は、発売当初からSAKUのお気に入りやった。
右斜め向かいに座った ゆりさんが、俺のグラスに注いでくれとる最中、酒を全く飲まないJINが、ふと気づいたようにMASAに問い掛ける。
「鍋物の横にベースを置いて、湿気とか大丈夫なのか?」
自身の楽器である喉を守るために、酒を止めたようなJINならではの言葉に、ビールを注ぐ手を止めた ゆりさんが心配そうな顔で隣に座ったMASAの様子を伺う。
そのMASAは、鷹揚に笑って
「ほんの数時間のことだから、大丈夫。しゃぶしゃぶみたいに煮立てた鍋じゃなくて、土鍋の余熱だけだしエアコンもつけてある」
と、頷く。確かに、土鍋の下に熱源はないな。
ゆりさんのグラスにも、とビールを注いどる俺の視界の端で、MASAとRYOが、ちらりとアイコンタクトを交わしたように見えた。
一度、軽く目を伏せたRYOが、息継ぎをするような間を置いてから口を開く。
その一瞬の躊躇いのようなモンに、身構えようとした俺は。
ほんの少しだけ、間に合わんかった。
「この先、演奏の機会もねぇし」
お前
ここでソレ
言うか?
頭では、分かっとった。
織音籠、おわったな、って。
そやけど。感情が、分かりたくなかった。
ステージの一番奥。ドラムセットからの光景を、二度とは見られへんて。
真正面でJINが歌って、右端でMASAがギター弾いて。その手前にはRYOのキーボード。
そして、左側にはSAKUの後ろ姿。
俺の生まれ故郷での、先月のステージが最後になるなんて。
知りたくもなかったわ。
「だから、JIN」
「ん?」
「今夜は、お前も飲め」
「……」
「もう、喉は守らなくっていいから、な?」
「……ん」
説得するようなRYOの声に、小さく頷いたJINがゆっくりとグラスを手にとる。RYOがビールを注ぐのを、俺たちは息を止めるように見守った。
全員にビールが行き渡ったところで、誰からともなくグラスを手にとって。
視線を交わすだけの静かな乾杯が行われて。
一度、上座のベースにも軽くグラスを捧げてから、口をつける。
『゛乾杯゛ってさ、本来は一気飲みなんだぜ。考えてみりゃ、もったいねぇよな』
そう言って笑っていたのは……アイツの結婚式の時だったかな。
五十年ぶりのビールが苦いとか言っていたJINが、箸を止めたかと思うと、脇に置いていたノートを手にとって……固まった。
「どないしたん?」
土鍋から竹輪を摘み上げながら尋ねた俺に、
「んー、歌だけじゃなくって、詞を書くのも終わりだなって」
ネタ帳も要らなくなる、と名残を惜しむようにノートを撫でながら答える。
「書いたらええやん。作詞家を第二の人生にしたら?」
「そんな恥ずかしいこと、できるか」
喉の奥で笑いながら、゛苦い゛ビールに口をつけるJIN。
酒は飲んでも喉を守る笑い方までは変わらんのやな、と、互いが重ねてきた時間の重みを知る。
「恥ずかしいんや?」
「作文とか日記を朗読されたら、恥ずかしくないか?」
「そんな恥ずかしがり屋が、五十年も作詞とヴォーカルやってこれたな」
「ステージの上は、別人格みたいな感じかな」
隣あう二人で、そんな会話をしていると、JINの向かいでRYOが何かに咽た。
「どうした?」
背中を叩くMASAに、ビールで喉をなだめたらしいRYOが軽く礼を言って。
「『JINと仁では、別人格』って言ったやつがいたな、って思ってよ」
「へぇ。誰?」
「お前自身だろうがよ」
「んー、そうだったっけ?」
とぼけ漫才を始めたJINとRYOを笑いながら、向かいのMASAからビールを注いで貰う。
「ああ、思い出した。知美さんと美紗がケンカになった飲み会か」
一人で納得しとるJINに、それまで黙っていた ゆりさんが反応した。
「あの二人がケンカ? 歳も近くて仲がよかったのに?」
「価値観の相違、ってヤツかな。『JINの彼女なのに、SAKUを本名で呼ばないで』って、知美さんがキレた」
あったなぁ、そういえば。
JINの嫁さんの美紗ちゃんと、知美さんが初めて顔を合わせた時のことやな。
「『知美が、俺の近くに来い』、だったか」
目元を笑いに緩めながら、MASAがはんぺんを引き上げる。
「言うたなぁ。聞いとるこっちが恥ずかしかったわ」
当時、俺とMASAは既に子持ちやったけど。
『美紗ちゃんのことが気にならないくらい、俺と仲良くなればいい』みたいなことを知美さんに噛んで含めるように言い聞かせるSAKUの言葉に、二人で『うわぁ』って、顔を見合わせたっけ。
「その゛恥ずかしいこと゛をするのは、゛仁の人格゛では無理」
二人で、思い出し笑いをしとる間に、JINは無理矢理、話をまとめてしもた。




