新しい生活
空には星のまたたきが見え始めている中、俺たちは公園の中を時折曲がりながら、表通りにつながる道を歩いている。
先頭に俺。後ろに佳織と里保。
二人は何か話している。
「えっ、二人は一緒に暮らしているんですか?
すっごぉい」
里保は少しハイテンションな感じだ。
クローンと言う不安定な立場から解放された事からなのか、さっき起きた事件の興奮からなのか、それともこれからの未だ見ぬ生活への不安を紛らわそうとしているのかは分からないが、早口でイントネーションも上がり下がりを繰り返していた。
道の先に通りが見えてきた。
公園のその先は大きな戸建住宅が並ぶ、高級住宅地だ。
通りの直前には公園の敷地内に食い込むように、小さな二階建ての建物がある。
ここからでは、それが何なのか分からないが、通り側からその建物の正面を見れば、それが交番である事は一目瞭然だ。
その駐車場にはほとんどの場合、パトカーが止まっている。
警らに出る事は少なく、近くで事件が起きた場合のみ出動している感じだ。
その横に建っているこじんまりとした建物が俺たちの住かだ。
4軒の共同住宅。ハイツと呼ばれるものだ。
「あれよ」
俺の背後で佳織の声がした。
里保に今日から住む家を教えているんだろう。
「わぁ。素敵。かわいい」
里保の声がした。
今まで大きな宮島の家の邸宅で暮らしていた里保だ。
こんな生活がもの珍しいんだろう。
素敵とはそう言う意味以外考えられない。
広い庭。緑の木々。池とそこに流れ込む人口の滝。
そんな風景をぼんやりと部屋の中から眺められる邸宅の生活の方が素敵だと俺は思う。
そして、かわいいとは、率直に言えば、小さいと言う事だろう。
いや、あの小さな建物の中に4軒の家があるとはまだ気付いていないかも知れない。
そう思うと、俺はそれを確かめたくなった。
「あの家の1/4が俺たちの部屋だ。あれ全部じゃない」
俺が振り返って、里保に言った。里保は驚きの顔で、愕然としている。
「あの中に四軒なんですか?」
やっぱりな。俺はちょっと得意げな気分になった。
「ああ。それが普通の庶民の暮らしだ。あの家の二階を見てごらん。
右半分は電気がついているだろう?あそこには別の人が暮らしているんだ。
俺たちは左半分の電気が消えている部分に住んでいるんだ」
里保は目を見開いて、俺の言った事を頭の中で検証しているのか、何度か一人で頷いている。
やがて、俺たちは公園を出て、通り沿いの歩道に出た。
左手にはいつものようにパトカーが止まってていて、ガラスの窓からのぞく交番の中で、二人のお巡りさんが何か話し合っている。
その前を通り抜けると、車4台の駐車スペースがあって、その奥にハイツがある。
建物の真ん中に階段がある。
鉄板に塗装した階段は昇りはじめると、安っぽい音を立てる。
2階にたどり着くと、その前にあるドアはお隣さん。
2階の廊下と言うほどもない畳1枚分程度の空間。
そこを右側に向かいながら、ポケットからキーケースを取り出した。
白っぽいドアにはレバー式の取っ手があって、その少し下に鍵穴がある。
鍵をその鍵穴に差し込み、ドアのカギを開ける。かちゃりと言う想像どおりの音がして、ドアが開いた。
照明の消された部屋の中は真っ暗である。
空に輝く月の明かりが俺の影を玄関に浮かび上がらせている。
玄関に足を踏み入れながら、壁に設けられている玄関照明のスイッチを入れた。
天井から降り注ぐ白熱球の黄色い光が、玄関からその先の部屋の姿を浮かび上がらせる。
靴を脱いで部屋に上がって行く。
そのすぐ先にあるのはリビングダイニング。
一足先にリビングに入って、照明をつけると、一気に部屋が明るくなった。
佳織が続いて入って来る。
「おじゃまします」
里保がそう言って、もの珍しそうな顔で入ってきた。
「これから、ここが里保ちゃんの家なんだから、ただいまだよ」
そう言って、にこりと微笑む。
里保は少し恥ずかしそうに頬を赤らめながら、こくりと小さく頷いてから、言った。
「ただいま」
「うん。おかえり」
俺がそう言うと、横で佳織もにこりと微笑んだ。
「里保ちゃんの部屋だけど、ここを使って」
俺はそう言いながら、玄関から左側のところにあるドアを開いた。
ほんの6畳ほどの小さな洋室。
すでにベッドと机。ある程度のものは用意している。
里保が興味津々な顔つきで、その部屋を覗いた。
「わぁー。ベッドとかもあるんですね。こんな小さな部屋でも暮らせるんですね」
クローンと言う立場から解放された実感からと言うより、よっぽど珍しいからではないかと思われるが、里保の声はやはりハイテンション過ぎるくらいだ。
「そうですよ。普通はこんな感じです。
服とか下着とかもある程度用意してます」
佳織がそう言って、俺を押しのけて、部屋の中に入って行った。
俺はとりあえずその場を離れて、自分の部屋に向かった。
玄関から右側にもドアがあって、それが俺の部屋である。
そこも里保の部屋とほとんど同じ広さの洋室である。
ドアを開いたまま部屋に入って、机の上に鞄を置いた時、里保たちが出てきた。
「そこが島原君のお部屋なんですか?」
里保のハイテンション口調はまだ続いている。
「ああ。そうなんだ」
「じゃあ、佳織さんのお部屋は」
そう言って、里保がきょろきょろし始めた。
やっぱ、佳織がどれだけ拒否しても、里保と佳織を同じ部屋にした方がよかったような気がした。
俺からは佳織は俺と同じ部屋なんだとは言いにくい。
「私は伸君と同じ部屋」
涼しげな顔で、佳織はきっぱり言った。
その佳織の言葉に里保が凍りついている。
「あ、あ、そっか。そうだよね。だから、一緒に暮らしてんだよね。
うんうん。ごめんね。お邪魔しちゃって。私も住むところを自分で探して、早く出て行くからね」
里保の頬は真っ赤じゃないか。
完全に誤解している。
俺と佳織はそんな関係じゃない。とは言って、それを説得できる状況じゃない。
俺まで、頬が熱くなってきている。
「はぁ?何か誤解してない?」
佳織は動揺していないようで、里保にいつもの突き放すような口調で、そう言ってから、事情を話しはじめた。
「私は別に伸君の事をどうとか言う事無いんだからね。
私がここにいるのも、伸君と同じ部屋にいるのも、仕事なの。私は伸君を守らなければならないの」
まあ、それは真実だが女の子が男の俺を守る。
まずはそこが疑問だろう。それと、どうして俺が守られる立場なのか、これも疑問だ。
里保は完全に理解不能状態になっている顔つきだ。
「さっき、こいつが喧嘩強いの見ただろう。こいつ、俺やそこらの男たちより強いんだ」
「あー」
里保が思いっきり頷いている。
佳織の異常なまでの強さを目撃した里保としては、容易に納得できたようだ。
すっかり納得気分のように見えたので、どうして俺を守るのかは言わない事にした。この話は長くなるし、言ってはならない事でもある。
「だから、こいつ俺の部屋いるだけ。俺たちの間に変な関係はないから」
変な関係と言う言葉が気に障ったのか、佳織の口が尖っている。
これ以上、この会話は危険だ。
「とにかくさ、里保が新しくここの住人になったんだ。
新しい家族を祝おうよ」
俺はそう言って、話を変えた。
その日、俺たちの夕食は宴会気分で、盛り上がった。
たった一人増えただけだったが、楽しいじゃないか。




