俺は戻ってきた!
「小早川さん。その研究依頼には解決方法はありません」
背中まで伸びた黒い髪をした少女が言った。
どこかの高校の制服のような服装に身を包んだ少女の姿は半透明で、「小早川さん」と呼ばれた40代前半と思われる男の目には自分の肩のあたりまでの高さの少女の向こうに今いる研究所の部屋の風景が透けて見えていた。
実体が無いと思われる少女は真剣な表情のまま言葉を続けた。
「人物そのものを時間軸に沿って移動させようとすると、膨大なエネルギーが必要なだけでなく、その時空に存在していた元の人物と重なり合ってしまいます」
「ありす、あなたにも解は見つけられませんか」
「いいえ。あなたの依頼そのものを実現するのは不可能ですが、同じ効果を得るだけであれば、私に考えがあります」
「どんな考えですか?」
男はその半透明のありすと呼んだ少女の話を真剣な顔つきで、何度も頷きながら聞き入っていた。
知性を感じさせるきりりとした男の目が何度も輝くのを、少女は嬉しそうに見つめながら、彼女は自分の考えを語り続けた。
俺、島原伸は襲ってきた眩暈のようなくらくら感に目を閉じずにはいられなかった。そして、ゆっくりと目を開いた。
ここは教室だ。
この国でも有数の上流階級の子女が通う私立桜華学園高等部一年二組。
俺は自分の席に座っていて、目の前には弁当が開いていた。
さっきの装置は?
そう思った俺は自分の両手に目をやったが、右手にはお箸があって、左手には何もない。
自分が制服を着ている事を再確認しながら、ポケットの中をまさぐってみたが、ティッシュと小さな手帳があるだけで、あの装置は無かった。
俺は長い夢を見ていたのか?
そんな不安から、黒板に目をやった。
5月21日。
過去である事は確かだ。
俺はぼんやりとあの装置の事を思いだした。
確か時間旅行ではなく、俺の意識と記憶だけを過去に飛ばすものだと。
だとすると、あの装置はここに無くていい事になる。
もう一度、本当にここが俺が目的とした過去である事を確かめたくて、教室の中を見渡してみた。
教室のど真ん中で、女生徒をはべらせて弁当を食べているのは、この国で9番目に大きい財閥の御曹司 田島克己だ。
成り上がりの家にふさわしく肥満体型なところが、俺から言わせれば見苦しい。
その田島を取り巻いているのはカチューシャの色だけが、それぞれ違っている宮島やよい1号、2号、4号、8号だ。
宮島やよいは丸めの顔に小さな口だが、それ以外はくっきりとしていて、通った鼻筋、大きな瞳がかわいい少女である。
肩のあたりまで伸びた濃いブラウンの髪が、その丸めの顔に似合っている。
何号と言う番号が付いているとおり、全てクローンであって、本物の宮島やよいは2歳で亡くなったらしい。
庶民には知られていないが、もはやクローンは存在するのが、今の世界なんだ。
宮島やよいの両親は高齢になって、やっと授かったやよいを忘れられず、また家の跡継ぎの必要性から、やよいのクローンを10体造った。
そして、一番立派に育ったやよい何とか号を正式な宮島やよいとして、自分たちの子供に迎えるらしい。
今、欠番になっている宮島やよい 何とか号はすでに処分されてしまっているわけだ。
この宮島の家もこの国で4番目に大きな旧家の財閥なのだが、命運をかけた事業に失敗し、資金繰りに窮し、自分より下位の田島の家に救済を求めているところだ。
その田島の家は元々の名家でもある宮島家を自分のものにできるとあって、基本的には救済に乗り気なのだが、そこをうまくあしらって、宮島の家の者たちを弄んでいるらしい。
そして、クローンの宮島やよいたちは自分が最後の宮島やよいとして生き残るため、点数を稼ぐ必要があった。
すなわち、田島に気に入られるかどうかは彼女たちにとってみれば、自分の運命がかかった問題なのだ。
「田島さん。これは私が初めて作ったんですよ」
「そんなのより、私のお弁当を私が食べさせてあげます」
そんな声が聞こえてくる。
間違いない。俺の人生は1年ほど前にリセットされている。
俺の無責任な言葉で、宮島やよい5号の将来を消し去ってしまった。
俺はその事実を無くしたくて、ここに戻ってきた。
今なら、それができる。
「ちょっと、何ぼーっとしてるのよ
私と一緒にお昼を食べたくないって訳?」
俺の前で一緒にお弁当を食べている西野佳織がふくれっ面で言った。
細身でありながら、ふくよかな胸、そこから続く理想曲線が描く見事な腰のくびれ。
まあ、今は座っていて見えないが。
細面と丸顔の中間、どっちつかずとも言える顔の輪郭も、そこに付いている全てのパーツがきりりとしていて、俺の心をつかんで離さない。
「あ、いや。そう言う訳では」
「別に私は一緒に食べなくてもいいんだからね」
俺を冷たく突き放すそんな言葉も俺の心を鷲掴みにする。
俺って、Mか?
そんな佳織を気にしつつも、教室の片隅に目をやった。
そこには一人寂しくお弁当を食べている黄色のカチューシャをした宮島やよい5号の姿があった。
俺の視線に気づいた宮島やよい5号と目が合った。
あの時と同じだ。
俺がにこりと微笑む。
宮島やよい5号がお弁当を手にして、立ち上がると、俺のところにゆっくりとやって来た。
「あの、ここでご一緒させていただいて、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
俺の言葉ににこりとしたが、その瞳の奥には何かしら寂しさが漂っている。
思えば、すでにこの時、宮島やよい5号は自分の運命を覚悟していたのかも知れない。
隣の机にあった椅子を引きずり、向かい合っている俺と佳織の横に座って、お弁当を置いた。
彼女も本来は他のクローン達と一緒に田島のご機嫌をとって、気に入られなければならない。
なのに、彼女は自分の心に嘘を付けなかった。
そして、そんな彼女に俺は「自分の気持ちに素直になればいい」と言ってしまった。
田島に好かれようとしない彼女は、彼女の家から落伍者の烙印を押され、処分されてしまった。
今、目の前の彼女にはそんな過酷な未来が待っている。
俺がそうさせてしまったんだ。
「君たちの仲間の5号さんが、あんなところで庶民と食事をしてますが」
田島が大きな声で言った。
その言葉に彼女以外のクローン少女たちが、笑い始めた。
「あの子はもう宮島の家の子じゃないんですよ。きっと」
「そうですよね。お父様やお母様の事を考えれば、ここにいるはずですわね」
クローン少女たちの嘲笑に、彼女は顔を伏せて、強く握りしめた両拳を両膝の上において、小さく震えている。
ここは怒るところだが、俺はしない。
この次に何が起きるのか、俺は分かっているから。
「いい加減にしなさい。
同じ顔で、同じ声で。うるさいったらありゃしないわよ」
その声に宮島やよい5号が顔を上げて、声のした方に顔を向けた。
そこには、怒鳴りながら席を立った天才少女 有栖川夏帆がいた。
小柄な身長に控えめな胸、肩のあたりまで真っ直ぐに伸びただけの黒髪は子供の髪型だ。
制服を着ていなければ小学生でも通りそうな容姿の彼女はとにかく天才らしい。
鋭い視線で、クローンたちを睨み付けている。
俺はこの子はクローンと言う存在自身を嫌っていると感じていた。
「君さぁ。
ちょっと、頭がいいからって、生意気なんだよね」
田島はむすっとした表情だ。
そんな田島の態度に、クローン少女たちは敏感に反応し、同調した。
「田島さんの言うとおりですわ。
私、いつも思っていましたけど、有栖川さんって、生意気すぎます」
「それ以前に、私たちに向かって、同じ顔、同じ声って、失礼ですわ。
私たちは別人なんですよ」
クローン少女たちも立ち上がって、有栖川を睨み付けた。
一瞬の沈黙。
きっと、マンガか何かなら、両者の中間あたりの空間で、火花がばちばちと散っているところだ。
全くひるんだ様子を見せない有栖川に、クローン少女たちが威嚇しようと、一歩踏み出した。
突然の険悪な雰囲気は、良家の子女たちの多くには巨大なプレッシャーとなって、教室の中の空気を押しつぶしている。
それを打ち破ったのは教室のドアの開く音だった。
耐え切れない重い空気。
そこから逃げられる。そう思った者たちが、視線を開いたドアに向けた。
ほとんど黒にしか見えない濃い紺のスーツに身を包んだ二人の男が、そこから教室に入ってきた。




