塔
男は走っていた。てっぺんが見えない高い高い塔の外壁をぐるりと回る階段を。
しばらくして階段の先に塔の内側に入る穴が見えた。男は穴へ駆け込む。
塔の中は真っ暗だった。だが、男はその内壁に上へと続く螺旋階段があることを知っていたかのように何の迷いもなくかけ上がってゆく。そう、一つの疲れも見せずに。なぜ自分が塔を登っているのかさえ疑問に思わずに、自分の内側から涌き出る『上へと登れ』という衝動にただ従い、ただひたすら塔をかけ登っていった。
塔の内側に入ってからどれぐらいたったのだろう。
男はまだ走っていた。これだけ登ってもてっぺんはまだ見えて来ない。それでも男は何も思わずに登ってゆく。
さらに長くたったころ、ついに遠く見上げた先に小さな光点が現れた。その光が目に入ったとき男は思った。
「あぁやっと終わる」と。その時気づいてしまった。
「なぜ自分はこれほど長く疲れず、走り続けていられたのだろう」と。男は何も思ったり、感じたりしてはいけなかったのに。
その瞬間だった。何も感じていなかったはずの男にいままでの分だとでもいうようにどっと全身に疲れがやって来た。しかし走れないほどの疲れを感じているはずなのに足は止まらなかった。男は足をもつれさせながら、ふらふらになりながらもひたすら上へとかけ上がってゆく。
一度疑問を感じたらもう止まらない。
「どうしてこんなに疲れてるのに、止まらないんだ」
急に足が止まり、階段に倒れこむ。
するといままで涌きあがっていた『上へ登れ』という衝動がプツリと消える。代わりに涌き出てきたのは、たくさんの疑問だった。
「なぜ、ここにいるのか」
「いつから登りだしたのか」
「自分は誰だったのだろうか」
「この塔はいったいなんなのか」
次々と涌き出る疑問、そしてとてつもない疲れで男は動けないでいた。
もう、男は走れない。
もう、男は塔を登れない。
そして男は遂にたどり着いてはいけない疑問にたどり着いた。
「なぜ、自分は塔を登っていたのだろうか」
その瞬間先ほどよりも大きく見えていた光点はみえなくなった。代わりに下から聞こえてきたのはとてつもない轟音だった。
何だろうと、男が階段の縁から下を覗く。もちろん、闇に目が慣れたとはいえそんなに下までみえない。しばらく見ていると階段下から順番に一つ一つ落ちているのがかすかに見えた。
男は恐怖した。このままでは自分が落ちてしまう。
男は疲れで動けそうにない体を無理やりに動かして走りだす。もう、疑問は頭からとんでいた。
足をもつれさせながら、転びそうになりながら、階段をかけ上がる。もう、疲れは感じない。
先ほどみえなくなった光点がまた見えるようになり、近づいてきた。男は必死にかけ上がってゆく。
遂に光点がそこまで来ていた。男は全力で駆け込んだ 。
男の目に広がるのは外壁に付けられた階段だった。
階段の崩落が追い付いてくるかもしれないと、男はまた階段を駆けてゆく。
男はひたすら上へ登っていった。
一人の男が塔の外壁に付いた階段を走っていた。
もう、男は何も感じない。
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