第31話 仕切ってるように見せるのは、だいたい一言で足りる
人を「ちょっと面倒なやつ」に見せるのに、長い説明はいらない。
むしろ、いらないからこそ厄介だ。
たった一言でいい。
細かいよな。
また始まった。
そこまでやる?
仕切るの好きだよな。
それだけで、空気は少し動く。
もちろん、それだけで全員が「そうだな」と思うわけじゃない。そんなに人間は単純じゃない。けれど、一度そういう見方の入口を置かれると、人は無意識にそのレンズで相手を見始める。
黒崎蓮司は、その入口を作るのがうまい。
そして今度は、それを僕に向けてきている。
昨日の“古い版の資料”の件のあと、班の空気は少しだけ微妙になった。
悪くなったわけじゃない。
むしろ木乃実も小坂も三田村も、露骨に僕を責めたりはしない。していないどころか、むしろ「神代くんだけのミスって感じじゃない」と言ってくれた。
そこはありがたい。
ありがたいのだが、それとは別に、僕の中には妙に引っかかるものが残ったままだった。
大したミスではない。
でも、“ちゃんとしてるやつが一回ずれた”という印象だけは残る。
その残り方が、たぶん黒崎にとっては十分にうまい。
だから今日は、少しだけ意識していた。
僕が何かを言った時、それがどう見えるのか。
「神代くん」
朝のホームルーム前、木乃実がまた振り返ってきた。
「何」
「今日、昨日より一段むずかしい顔してる」
「その表現、もう少し優しくできない?」
「無理」
木乃実は即答した。
「だって今、“次は見え方まで気にしないといけないのか”って顔してるし」
「……」
「図星」
「おまえほんと、人の顔を勝手に字幕付きで解説するな」
「最近やりやすいんだもん」
「嬉しくない」
「でも、そこ考えてるのはたぶん正しいよ」
木乃実は少しだけ真面目な顔になる。
「昨日のやつで、黒崎くんたぶん次にやること分かったし」
「次?」
「神代くんを“ちょっと面倒なやつ”っぽくすること」
「……」
「違う?」
「違わないと思う」
「だよね」
木乃実は小さく息をつく。
「嫌だなあ、ほんと」
後ろで佐伯が頷く。
「昨日の“神代も完璧じゃないじゃん”もそうだったしな」
「うん」
「直接責めるんじゃなくて、“あれ、神代ってちょっと神経質かも”“ちょっと仕切りたがりかも”って空気にしたいんだろ」
「……」
「何でそこで黙る」
「いや」
僕は少しだけ苦笑した。
「最近、佐伯も整理の仕方がうまくなってきたなって」
「誰のせいだと思ってる」
「僕のせい?」
「半分くらいは」
「半分もあるのか」
「残り半分は黒崎」
「そこは妥当だな」
少し離れた席から、エヴァの声が飛ぶ。
「それで済めばまだ楽ですけれど」
「何が」
僕が聞くと、エヴァは淡々と答えた。
「“ちょっと面倒”で済ませるうちは、まだ軽い方だということです」
「……」
「やっぱり朝から重いな」
「軽く言う必要がありますの?」
「必要はないけど」
「なら結構です」
「最近その“結構です”便利だな」
「あなた方の“便利”に巻き込まないでください」
朱音は今日も、教室へ入るなり僕の顔を見て少し笑った。
「おはよう」
「おはよう」
「今日、わりとちゃんと気にしてるね」
「何を」
「言い方」
「……」
「図星」
「最近おまえら、本当に遠慮なくなったな」
「慣れてきたんだよ」
「何に」
「恒一くんの面倒くささ?」
「それ褒めてないだろ」
「半分くらいは」
「また割合で逃げるのか」
「便利だから」
「その流行、教室から追放したいな」
午前の授業は平和だった。
平和、というのも少し違うかもしれない。
事件は起きなかった。でも、空気の動きはあった。
班発表の準備が進む中で、僕は自然と確認役みたいなことをしてしまう。
木乃実がまとめた進行の順番を見て、小坂の整理した読む箇所とずれていないか確かめる。三田村の持つ資料に抜けがないか一応見る。別に管理したいわけじゃない。したくてしているのではなく、気づいてしまうから口に出しているだけだ。
それが、黒崎にはちょうどいいらしい。
「神代、そういう時ほんと細かいよな」
三時間目のあと、班ごとの軽い打ち合わせをしていた時のことだった。
言葉そのものは軽い。
しかも笑いながら。
でも、その一言だけで空気が少し変わる。
「え、そう?」
木乃実が言う。
「いや、細かいっていうか」
「確認魔って感じ」
黒崎が肩をすくめる。
「そこまでやる必要ある?ってとこまで見るじゃん」
「……」
「また管理始まった、って感じするわ」
それを聞いた瞬間、自分の中で“ああ、来たな”と分かった。
この方向だ。
正しいことを言う。
確認する。
抜けを減らす。
それ自体は悪くない。
でも、そのやり方だけを切り取って“細かい”“管理好き”“仕切りたがり”へ寄せる。
しかも言い方が軽いから、聞く側も一瞬「まあたしかに」と思いやすい。
そこが嫌だった。
「今の、別にそんな変じゃないと思うけど」
小坂が小さく言った。
「え?」
黒崎がそっちを見る。
「いや、だって」
小坂は少しだけ怯みながらも続けた。
「班の確認って必要じゃない?」
「必要だけど、神代ってちょっと過剰じゃん」
「過剰かなあ」
木乃実が眉をひそめる。
「今日のは普通に必要な確認じゃない?」
「必要っていうか」
黒崎は笑う。
「神代がやると、急に“ルールです”みたいな空気になるんだよな」
「……」
「それ、言い方でだいぶ変わるだろ」
僕は静かに言った。
黒崎が見る。
「何が」
「今の」
僕は机の上の資料を軽く指で押さえる。
「確認してること自体は同じでも、“管理始まった”って言えば急に嫌な感じになる」
「被害妄想じゃね?」
「そう見えるように言ってるの、おまえだろ」
「……」
「しかも、“そこまでやる必要ある?”って」
僕は少しだけ首を傾ける。
「今、班発表の確認で必要なことしてるだけだけど」
「いや、でも」
「でも?」
「神代、やっぱそうやって一個ずつ詰めるじゃん」
「必要ならな」
「ほら」
黒崎は笑う。
「そういうとこ」
そこへ、木乃実が割って入る。
「いや、今のは黒崎くんの方が言い方ずるい」
「は?」
「だって神代くん、今ただ確認しただけじゃん」
「……」
「それを“管理好き”とか“仕切ってる”とかに変換してるの、そっちだよ」
佐伯も後ろから続けた。
「それな」
「おまえまで?」
「いや、普通にそう見えた」
佐伯は肩をすくめる。
「最近黒崎、神代にそういうラベル貼りたがってる感じあるし」
「ラベルって」
「“細かい”“面倒”“正義感強い”あたり」
「……」
「しかも毎回軽口っぽく言うから、余計にやりづらいんだよな」
「……」
「嫌な意味でうまい」
黒崎は一瞬だけ黙った。
黙る、ということは効いているのだ。
今までなら“冗談だって”で流せたところを、最近は木乃実や佐伯が先に“その言い方が嫌だ”の方を言うようになっている。そこがたぶん、黒崎にとっては少し面倒になり始めている。
「……神代、最近ほんと味方増えたな」
黒崎が笑う。
「味方っていうか」
木乃実が言う。
「今の、普通に神代くんだけの問題じゃなかったし」
「そうそう」
佐伯も頷く。
「“確認するやつ”を“仕切りたがり”ってことにすると、今後誰も確認しなくなるし」
「……」
「それ、教室として普通にだるい」
その言葉は、妙に効いた気がした。
そうなんだよな、と僕も思う。
正しいことを言えばいい、では足りない。
でも、正しいことを言う人間を“うるさい側”へ押し込む流れを放置すると、結局しわ寄せはもっと弱いところへ行く。
そこまで見えてきた時点で、もう前みたいに単純ではいられない。
休み時間の終わり際、エヴァが小さく言った。
「正論は、タイミングを間違えると敵を増やしますわ」
「……」
「何ですの」
「いや」
僕は少し苦笑した。
「それ、今の流れのまとめとしてだいぶ正確だなって」
「当然です」
「でも」
「でも?」
「今の僕、タイミング間違えてた?」
するとエヴァは少しだけ黙った。
その間が、妙に長く感じた。
「半分くらいは」
彼女はようやく言った。
「半分」
「ええ」
「残り半分は?」
「黒崎蓮司が、最初からそう見せるつもりで言っている」
「……」
「だからあなたのせいだけではありません」
「そこ、ちょっとだけ優しいな」
「違います」
「早い」
「違います」
「二回言った」
「必要だったのです」
「そこ、木乃実と同じ理屈になってきたな」
「やめてくださいません?」
そこへ朱音がすっと入る。
「でもエヴァさん、今のたぶん正しい」
「何がですの」
「半分ってとこ」
朱音は僕を見る。
「恒一くん、今の返し自体は間違ってない」
「うん」
「でも、“その言い方で相手がどう見えるか”まではまだちょっと雑」
「……」
「そこ、最近たぶん黒崎くんに狙われてる」
「やっぱりそうか」
「うん」
朱音は頷く。
「正しいこと言ってても、“言い方きついよね”“細かいよね”に変換されたら負けるから」
「……」
「で、黒崎くんはそこ狙ってる」
「……」
「最近ほんとみんな、教室の空気の解像度だけ上がっていくな」
僕が言うと、木乃実が苦笑した。
「嬉しくない成長だよね」
「でも必要かも」
小坂が小さく言う。
「今のクラスだと」
「……」
「……そうだな」
僕は認めた。
放課後、班の準備を少しだけ進めたあと、三田村がぽつりと呟いた。
「神代くん」
「何」
「今日さ」
「うん」
「ちょっと俺、言おうか迷った」
「何を」
「黒崎くんの“管理始まった”ってやつ」
「……」
「でも、うまく言えなかった」
「……」
「ごめん」
その謝り方が、少しだけしんどかった。
「謝るなよ」
僕はすぐに言う。
「でも」
「でも、じゃない」
「……」
「今のって、言える方が珍しい」
「……」
「しかも僕のことだし」
「でも神代くん、最近俺の時には言ってくれてたじゃん」
「……」
「だから、何か返した方がよかったかなって」
そこでようやく、僕は少しだけ息を吐いた。
なるほど、と思う。
最近の流れは、三田村にもちゃんと残っているのだ。
助けられる側だったやつが、今度は助け返そうとして、でもまだうまくいかない。そのぎこちなさが、少しだけありがたくて、少しだけ重い。
「三田村」
「うん」
「今ので十分だよ」
「え」
「言えなかったって分かってるなら、それで次がある」
「……」
「それに、僕の方もまだうまくない」
「神代くんが?」
「うん」
「……」
「今日、黒崎の言い方にすぐ乗り返したけど」
「うん」
「たぶん“正しい”だけじゃ足りなかった」
「……」
「そこ、最近ようやく分かってきた」
三田村は少しだけ笑った。
「神代くんでも、そういうのあるんだ」
「あるよ」
「ちょっと安心した」
「それ、昨日も似たようなこと言われたな」
「ごめん」
「だから謝るなって」
教室の外で、黒崎の笑い声がした。
わざとらしくない。
でも、聞こえる位置。
その声だけで、今の会話の延長がまだ終わっていないことが分かる。
僕は少しだけ窓の外を見る。
正しいことを言うだけでは足りない。
相手に正しく見えるように言わないと、空気の方で負ける。
そして黒崎は、そこを狙ってくる。
たぶん次は、もう少しだけ直接的になる。
僕が“仕切りすぎているように見える”だけでは足りなくなるからだ。
次はたぶん、僕が本当に困る形を少し混ぜてくる。
そう思った時、教室の空気はまた次の段階へ進みかけていた。




