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普通の青春をしたいだけなのに、隣の席も幼馴染も全然“普通”じゃない。~つくば市の県立高校に入学した俺は静かに青春するはずだったのに、隣の席の毒舌美少女と世話焼き幼馴染が放っておいてくれない~  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第25話 “たまたま”が続くと、たいてい誰かが得をしている

 偶然という言葉は、便利だ。


 便利すぎる、と言ってもいい。


 たまたま遅れた。

 たまたま忘れた。

 たまたま見落とした。

 たまたま伝わっていなかった。


 どれも日常にはよくある。だからこそ、二回目まではたいてい偶然で片づく。三回目で少し首をかしげる。四回目くらいになると、人はようやく“あれ?”と思う。


 問題は、その“あれ?”にたどり着く前に、誰か一人だけがずっと損をしている時だ。


 その朝、僕は教室へ入った瞬間に、少しだけ嫌な予感を覚えた。


 予感、というのも曖昧だ。

 もっと具体的に言うなら、三田村の机のまわりだけ空気が薄く見えた。誰も何かをしたわけじゃない。まだ何も起きていない。なのに、“今日もたぶんこのへんから面倒が始まる”みたいな気配だけはある。


 最近、そういう気配に敏くなっている自分が嫌だ。


「おはよう、神代くん」

 木乃実が朝から元気だった。

「おはよう」

「今日、またちょっと探偵みたいな顔してる」

「それやめろ」

「なんで?」

「高校一年生の朝に必要ないから」

「でもしてるよ?」

「してない」

「してる」

 木乃実は即答した。

「しかも今日は“何か起きる前から疑ってる人”の顔」

「細かいな」

「最近、神代くんの顔から分かる情報量が増えてるんだよね」

「嬉しくない進化だな」

「でも便利」

「みんな最近その便利を乱用しすぎなんだよ」


 後ろで佐伯が笑っていた。


「いやでも、分かるわ」

「何が」

「神代、最近ずっとそういう顔する時ある」

「そういう顔って何だよ」

「“静かにしてたいのに、たぶん静かで終わらない気がしてる顔”」

「……」

「お」

 木乃実が嬉しそうに言う。

「今の、かなり正確かも」

「朝から人の精神状態の解像度上げるなって」

「でも当たってるじゃん」

「否定しづらいのが嫌なんだよな」


 席に着く。


 少し離れた場所にエヴァがいる。席替えから数日経って、物理的な距離にもだいぶ慣れてきた。慣れてきたのだが、その慣れの中に“今の方が逆に見えるものもある”を混ぜてきたのが、あの人らしいというか何というか。


 視線が合う。


「おはようございます」

 エヴァが言った。

「おはよう」

「今日も無駄に警戒していますわね」

「無駄って言うなよ」

「今のところ、まだ何も起きていないのですから無駄でしょう」

「今のところ、な」

「ええ」

 エヴァは頷いた。

「“今のところ”という言い方をする時点で、かなり疑ってはいますけれど」

「最近ほんと、その言い方好きだな」

「正確ですもの」

「便利な方の言葉だ」

「あなた方と一緒にしないでください」


 朱音は少し遅れて教室へ入ってきた。


 入ってくるなり、まず僕を見る。次に三田村の席の方を見て、それから黒崎の席の方を見る。普通の女子高生が朝いちでやる視線の運びではないと思う。だいぶ警備寄りだ。


「おはよう」

「おはよう」

「今日、たぶんまた何かあるね」

「だから何でそうやってすぐ」

「分かるから」

 朱音はあっさり言う。

「三田村くん、もうちょっと前より“何か起きる前の人”の顔してる」

「そんな顔まで分かるのか」

「恒一くんだって分かるでしょ?」

「……」

「図星」

「最近、自分の顔の話と人の顔の話ばっかしてる気がする」

「でも便利だし」

「おまえまでそれ言うなよ」


 ホームルームは普通に進んだ。

 一時間目も、二時間目も、表面上は何も起きなかった。


 その“何も起きない”が逆に少し不気味だった。


 黒崎も静かだった。静かというか、露骨な言葉を控えていた。教師の前での態度もいつも通りで、むしろ今日は少し親切そうにすら見えた。そういう日ほど嫌な感じがするのは、たぶん僕が前よりあいつのやり方を学習してしまったからだろう。


 そして三時間目の終わり、休み時間になった時、小さなずれが起きた。


「え?」


 三田村が、自分の机の上を見てそう言った。


 ああ、やっぱり、と思う。


 その“え?”には、最近の彼特有の嫌な予感がもう混ざっていた。何かがない時の声だ。ただし今回は、なくし物に気づいた瞬間の慌て方というより、“自分だけ手元にない”ことに気づいた時の戸惑い方に近い。


「どうした?」

 近くの小坂が聞く。

「あ、いや……」

 三田村は机の中を見て、それから前方の黒板を見る。

「次の理科、ワーク使うって言ってたよね」

「うん」

「俺、配られてなくない?」

「え?」

 小坂が自分の机を見る。たしかに彼女の机にはある。僕のところにもある。木乃実も佐伯も持っている。

 三田村の手元にだけ、ない。


「……またか」

 と、心のどこかで思った自分に少しだけ嫌気が差す。


 またか、ではいけない。

 “またかもしれない”で止まらなければならない。


「配布の時、後ろまで回ってなかった?」

 僕が聞くと、

「いや、たぶん来てない」

と三田村は答える。

「途中で止まったとか?」

「分かんない」

「分かんないのが一番嫌だな」

 木乃実が小さく言う。


 そこへ、黒崎が振り返った。


「何、三田村」

「理科のワーク」

「うん」

「俺のとこ来てないっぽくて」

「えー」

 黒崎は少しだけ目を丸くした。

「また?」

「また、って」

「いや、最近そういうの多くね?」

 黒崎は軽く笑う。

「伝達漏れとか、資料とか」

「……」

「三田村って、たまに自分の机見てない時あるしな」

「いや、でも今回は」

「いや今回も、じゃない?」

 黒崎は言いながら、自分の机の横に置かれたワークを指で叩いた。

「俺んとこには普通にあるし」


 その“普通にあるし”が、本当に嫌だった。


 自分にはある。

 だから問題ない。

 ない方が雑だったんじゃないか。


 そういう空気を、一瞬で作る。


「ちょっと待って」

 僕は立ち上がるほどではない声で言った。

「今の、まだ三田村が悪いとは決まってないだろ」

「は?」

「配った流れのどこかで止まっただけかもしれない」

「でも本人も分かってないんじゃん」

「分かってないなら、なおさら“また三田村か”で始めるのは違う」

「……神代」

 黒崎は少しだけ笑った。

「最近ほんと早いな」

「何が」

「そういうの」

「早いんじゃなくて」

 僕は黒崎を見る。

「前より同じやり方に見えてきただけ」

「……」

「今回は、配る途中で抜けただけかもしれない」

「うん」

「でもその可能性があるのに、“また三田村がやった”みたいに言うのは違う」

「別にそこまで言ってないって」

「言ってるようなものだろ」

「気にしすぎ」

「その言い方、最近多いな」

「そう見えるなら、おまえがピリつきすぎなんじゃね?」


 そこで空気が少し止まる。


 前なら、ここで何人かが曖昧に笑っていたかもしれない。

 でも今日は違った。


「いや、今のは黒崎くんが早いよ」

 木乃実が言った。


 黒崎がそちらを見る。

「は?」

「だって、三田村くんの机にないって分かった瞬間に“また?”って言ったじゃん」

「言ったけど」

「それ、完全に“本人が悪い”前提の入り方だよ」

「……」

「まだ配り漏れかもしれないのに」

「え、でも」

「でもじゃないよ」

 木乃実は珍しく声の温度を少し下げた。

「最近そういうの多いって、そういう言い方の方が多いんだって」


 佐伯も続いた。


「今のは普通に配布の確認からだろ」

「……」

「三田村が抜けてるかどうかの話にするの、早すぎるって」


 黒崎は一瞬だけ黙った。


 その沈黙のあいだに、理科の係をしていた男子が慌てて戻ってきた。


「あ、ごめん」

 彼は三田村の机へワークを置く。

「一冊だけ後ろの棚に残ってた」

「……」

「あー」

 木乃実が息を吐く。

「やっぱり配り漏れじゃん」

「たまたまだろ」

 黒崎がすぐに言う。

「そんなの」

「たまたまかもね」

 僕は頷いた。

「でも、たまたまって分かる前に“また三田村か”って流れ作るのは違う」

「……」

「分かるなら、そっちを先に止めた方がいいだろ」


 黒崎は笑わなかった。


 笑わない顔を一秒だけ見せて、それからすぐに肩をすくめる。


「はいはい」

「はいはい、で流すな」

 木乃実が言う。

「今の普通に嫌だったし」

「おまえら最近、神代に寄りすぎじゃね?」

「寄ってるんじゃなくて」

 木乃実は言い切る。

「今のは黒崎くんの方が雑だった」


 そこでチャイムが鳴った。


 先生が来る気配がして、会話はそこで一旦切れる。教室の空気も“授業の前の形”へ戻ろうとする。だが一度動いた空気は、完全には元へ戻らない。


 僕はそれを感じながら席へ座った。


 エヴァが少し離れた席からこちらを見ている。


「何」

 僕が小さく聞くと、

「ようやく、回数で見るようになってきましたわね」

と彼女は言った。

「回数?」

「ええ」

「たまたま、ではなく」

「……」

「“たまたまが続く流れ”として見始めたのでしょう」

「……」

「それは少しだけ進歩です」

「またその評価か」

「気に入っているんですの?」

「そういうわけじゃないけど」

「なら結構です」


 理科の授業が始まったあとも、僕の頭の中にはさっきのやり取りが少し残っていた。


 今回の件だけなら、本当に配り漏れだ。

 実際そうだった。

 でも問題はそこじゃない。


 “配り漏れかもしれない”の段階で、黒崎が真っ先に三田村の不注意へ寄せようとしたこと。

 そして、それが前より少しだけ分かりやすく見えたこと。


 たまたまが続くと、たいてい誰かが得をしている。


 今のところ、その“得をしている誰か”はかなりはっきりしてきている。


 昼休み、三田村がまた僕の席へ来た。


「神代くん」

「うん?」

「さっき、ありがと」

「何が」

「いや、あの」

 三田村は少しだけ困ったように笑う。

「俺、自分でも“また俺かな”って一瞬思ったから」

「……」

「でも、神代くんが先に言ってくれたから」

「うん」

「ちょっと楽だった」

「……」

「何」

「いや」

 僕は少しだけ息を吐く。

「そこを楽に感じるの、たぶん今のクラスちょっと良くない」

「……」

「でも分かる」

「そっか」

「分かるけど、毎回それだとだいぶしんどいだろ」

「うん」

 三田村は素直に頷いた。

「ちょっと、しんどい」

「……」


 その一言で十分だった。


 やっぱり、問題は物でもワークでもない。

 本人が“また自分かな”へ寄り始める空気の方だ。


 朱音がその会話を聞いていたらしく、横から小さく言った。


「もう次は、もっとはっきり来るかもね」

「嫌な予言だな」

「予言じゃないよ」

 朱音はさらっと言う。

「今のは、黒崎くんが“このくらいなら通るかな”って探った感じ」

「……」

「で、通らなかった」

「うん」

「なら、次はもう少し違うやり方してくる」

「読みが早いな」

「こういうのは早い方がいいから」

「それ、褒めてる?」

「わたしを?」

「自分で聞いておいて何だけど、違うな」

「違うね」

 朱音は笑う。

「でも、恒一くんも最近ちょっと早くなったよ」

「何が」

「止めるタイミング」

「……」

「前は“確定してから”って顔してたのに、今は“流れが悪い”で止めようとする」

「……それ、良いことかな」

「良いことだと思う」

 朱音は言い切った。

「少なくとも、間に合いやすい」


 放課後、黒崎は今日はあまり近づいてこなかった。


 来ない、というより、少し距離を測り直している感じだろうか。僕と木乃実、佐伯あたりが思ったより先に反応したせいで、今日の件は軽く流れなかった。それが向こうにとっても少し計算外だったのかもしれない。


 でも、だから終わりではない。

 終わりではないことくらい、もう分かっている。


 教室を出る前、エヴァが一言だけ言った。


「今日のは、悪くありませんでしたわ」

「何が」

「早さです」

「……」

「犯人探しに行かずに、“そこで本人のせいにするのは早い”と止めた」

「うん」

「そのくらいが、今はちょうどいい」

「……」

「何ですの」

「最近、君に評価されるの慣れてきたなって」

「それは不本意です」

「だろうな」

「でも」

 エヴァは少しだけ目を逸らした。

「前よりは、見ていられますわ」

「……」

「どういう意味?」

「そのままの意味です」

「そこをもう少し説明してくれない?」

「嫌です」

「何で」

「恥ずかしいから、でしょうか」

「今すごいこと言った?」

「気のせいです」

「いや、今のは――」

「気のせいです」

 エヴァは珍しく少し早口だった。


 そこへ朱音が来て、すべてを見抜いた顔でにこっと笑う。


「エヴァさん、今ちょっと可愛かった」

「あなたは黙っていてくださいません?」

「やだ」

「即答ですのね」

「うん」


 木乃実が少し離れたところで、またしても面白がっている。


 普通の放課後。

 なのにたぶん、次はもう少しだけ普通じゃない。


 それでも今のところは、まだ教室は戻れる場所に見える。

 戻れるうちに、どこまで止められるか。


 それを考えながら、僕はいつものようでいて少しずつ変わっていく放課後の廊下を歩き出した。

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