第14話 放課後の寄り道は、だいたい誰かの思惑が混ざっている
放課後の寄り道、というものに、僕は少し夢を見すぎていたのかもしれない。
夢といっても大げさな話ではない。別に夕焼けの坂道を自転車で二人乗りしたいとか、そういう映像作品に怒られそうな方向ではない。もっと地味だ。もっと地味で、もっと普通で、だからこそ僕にはずっと遠かったもの。
学校が終わって。
そのまままっすぐ帰るのではなく。
友達となんとなく駅前を歩いて。
コンビニへ入って。
飲み物を買って。
どうでもいい話をして。
ついでみたいに本屋を覗いて。
気づいたら少し遅くなっている。
そういう、ごくありふれた放課後。
それが僕にとっては、ちょっとした憧れだった。
だから木乃実が、何でもない顔で「今日ちょっと駅前寄ってかない?」と言った時、僕はたぶん、表情に出さない範囲でかなり動揺していた。
「寄るって、どこへ?」
佐伯が聞く。
「んー、別に大したとこじゃないよ」
木乃実は肩をすくめる。
「コンビニでもいいし、本屋でもいいし。なんかせっかく席替えしたし、今日このまま解散もつまんなくない?」
「つまんなくない、はだいぶ強いな」
僕が言うと、
「え、神代くん、もしかして帰宅部マインド強い?」
と木乃実が返してきた。
「そういうわけじゃ」
「じゃあいいじゃん」
「良い悪いで決められるものでもないだろ」
「決められるよ。放課後なんて、だいたいノリだし」
「その“だいたいノリ”で世界が回る前提に、まだ僕が慣れてないんだよ」
「神代くんって、ほんとそういうとこ丁寧だよね」
木乃実は笑う。
「寄り道ひとつに理屈いる?」
「いるだろ」
「いらないよ」
「いらないのか」
「いらない」
「即答だなあ」
佐伯がそこで割って入った。
「でも、まあ、ちょっとならいいんじゃね?」
「だよね?」
木乃実がすかさず乗る。
「ほら、男子側の理性もそう言ってる」
「理性って言い方されると急に信用ならないな」
「ひど」
「いや実際、そこはたぶん木乃実の勢い側の発言だろ」
「勢いの何が悪い」
「悪いとは言ってない」
「じゃあいいじゃん」
「そこへ戻るのか」
そこで、少し離れた位置で鞄をまとめていたエヴァが、何でもないふうに言った。
「寄る先にもよりますわね」
全員がそちらを見る。
「え」
木乃実が目を丸くする。
「エヴァさん、来る気あるの?」
「どうしてそうなりますの」
「いや、だって今の流れで“寄る先にもよる”って、だいぶ前向き寄りの返事じゃない?」
「わたくしは、条件次第だと言っただけです」
「それを前向き寄りって言うんだよ」
「知りませんわ」
「えー、絶対ちょっと興味あるじゃん」
「ありません」
「ある」
木乃実は断言した。
「そういう時のエヴァさん、だいたいある」
「観察しないでくださいません?」
「でも分かるし」
「……あなたたち」
エヴァは少しだけ眉をひそめる。
「なぜ、わたくしが“庶民的な放課後文化”に興味を持っている前提なんですの」
「だって言い方がもう」
木乃実がにやにやする。
「完全に“本屋なら可”くらいのテンションだったし」
「……」
「黙った」
「黙りましたわね」
僕が小さく言うと、エヴァがすぐこちらを見る。
「あなた、今そこへ乗るんですの?」
「いや、なんとなく」
「“なんとなく”で人を追い詰めないでください」
「その台詞はわりと君の専売特許だと思う」
「専売していません」
その横で、朱音はすでに参加する気満々の顔をしていた。
あの顔は分かる。幼馴染としての長年の経験がなくても分かるくらい分かりやすい。口に出すより先に、“当然、恒一くんが行くならわたしも行く”が顔に書いてある。
そしてその“当然”が、たいてい一番当然ではない。
「朱音も来るよね?」
木乃実が聞くと、
「行くよ」
と朱音は一秒も迷わず答えた。
「なんでそんな即答なんだ」
僕が言う。
「だって、楽しそうだし」
「それはそうだけど」
「あと恒一くん、こういうのちょっと憧れてたでしょ」
「……」
「図星」
木乃実が嬉しそうに言う。
「え、そうなの?」
「いや、その」
「へえ」
佐伯が笑う。
「神代って、放課後寄り道イベントに憧れあるタイプなんだ」
「悪いか」
「悪くないよ」
木乃実がすぐに言う。
「むしろかわいい」
「その評価は不本意だな」
「でもちょっと分かる」
佐伯まで乗ってくる。
「神代ってさ、たまに普通の高校生イベントに対する感動が新鮮すぎるんだよな」
「それ、僕の中では結構切実な話なんだけど」
「うん」
木乃実は真面目な顔で頷いた。
「でも切実なものって、外から見るとちょっとかわいいことあるよ」
「その理屈、納得したくない」
「してなくていいって」
結局、木乃実、佐伯、僕、朱音、それからエヴァまで含めた五人で、駅前へ寄る流れになった。
なった、という言い方が正しい。僕が決めたわけでもないし、木乃実が仕切ったわけでもない。全員がなんとなく否定しきれないまま、気づいたら同じ方向へ歩いていた。
高校生の放課後というのは、たぶんこういう“なんとなく”で動くのだろう。
その“なんとなく”の中に、少しだけ憧れが混ざっていたことは認める。
駅前へ向かう道は、夕方前の光で少し柔らかく見えた。
学校帰りの生徒たち。すれ違う自転車。コンビニの看板。遠くに見える書店の文字。つくばの整った道路は、こういう時間になると急に“生活の中の風景”っぽくなる。
僕は歩きながら、それだけで少し感動していた。
もちろん表には出さない。
出さないつもりだったのだが。
「神代くん」
木乃実が言う。
「何」
「今、ちょっと嬉しそう」
「そんなに?」
「そんなに」
「顔に出るなあ」
「出るよ。今日はだいぶ分かりやすい」
「いやだって」
僕は少しだけ言いよどむ。
「こういうの、普通っぽいだろ」
「え?」
「学校帰りに、みんなでそのまま寄り道してる感じ」
「……」
木乃実は一拍黙ってから、にっと笑った。
「神代くんさ」
「何」
「やっぱりたまにすごく素直になるよね」
「悪い?」
「全然。むしろ今のはだいぶ好き」
「それを本人に言うな」
「えー、いいじゃん」
「よくない」
「でも分かるわ」
佐伯が言った。
「たしかにこういうの、ちょっと高校生っぽいよな」
「だろ」
「神代がそこに感動してるのも、なんか分かる」
「佐伯までそういう言い方するのか」
「いや、でも事実だし」
エヴァはその会話を聞きながら、前を向いたまま小さく言った。
「そんなに珍しいことですの?」
「僕にとっては少し」
「ふうん」
「何だよ、その“ふうん”は」
「いえ」
エヴァは横目で僕を見る。
「あなた、そういうところだけ妙に真っ直ぐですわね」
「どういうところ」
「憧れていたものを、ちゃんと憧れていたと言えるところです」
「……」
「別に悪い意味ではありません」
「そこ先に言ってくれない?」
「今言いましたわ」
「一拍遅いんだよ」
「わざとです」
「性格悪いなあ」
「知っています」
コンビニに入ると、木乃実が真っ先に新作スイーツコーナーへ吸い込まれていった。
「やっぱ高校生の寄り道って、まずここだよね」
「まず、の基準がよく分からない」
僕が言うと、
「神代くんさ」
木乃実が振り向く。
「今さらだけど、そこに理屈求めるのやめよう?」
「やめたいけど」
「けど?」
「まだちょっと難しい」
「素直だなあ」
「最近よく言われる」
「だってほんとだし」
佐伯は飲み物コーナーへ向かい、僕もつられてそちらへ行く。
その途中で、朱音が当然みたいに僕の横へ並んだ。
「恒一くん、今日はどれにするの?」
「今日は、って何だよ」
「いつもならお茶寄りだけど、こういう時ちょっと迷うでしょ」
「……」
「図星」
「図星だけど、それを先回りで言われると悔しい」
「でも分かるし」
「なんでそんなに分かるんだ」
「幼馴染だから」
「万能ワードだな」
「便利だからね」
「開き直るのやめてくれる?」
「やめない」
朱音は、棚の前で少しだけ首を傾けた。
「今日の気分なら、炭酸は違う気がするんだよね」
「勝手に分析を始めるな」
「だって今ちょっと浮かれてるけど、内心は静かに喜んでる感じでしょ?」
「細かいな」
「で、そういう時は甘すぎるのも違う」
「だから細かいって」
「というわけで、これ」
そう言って朱音が取ったのは、少しだけ甘い紅茶飲料だった。
「たぶん今の恒一くん、これ」
「“たぶん今の恒一くん”って何」
「気分」
「気分を飲み物で指定されるの怖いな」
「でも当たるよ?」
「そこが余計に怖い」
少し離れた位置でそのやり取りを見ていたエヴァが、静かに口を挟んだ。
「ずいぶん把握していらっしゃるんですのね」
「うん」
朱音は笑う。
「このくらいは」
「“このくらい”で済む範囲かどうか、少し疑問ですわ」
「え、そうかな?」
「ええ。かなり」
「でも外したことあんまりないよ」
「外したことがないのが余計に問題では?」
「問題かなあ」
「問題です」
僕は板挟みになりながら、結局その紅茶を手に取った。
「……いや、でもこれ好きだよ」
「ほら」
朱音が勝ち誇った顔をする。
「当たった」
「当たるのはいいけど、そこへ当然の顔でたどり着くのが怖い」
「そこまで言う?」
「そこまで言う」
「ひどいなあ」
「ひどくはない」
エヴァが横から言う。
「事実ですもの」
「なぜそこで乗るんだ」
「あなたが甘いからです」
「どこに対して」
「いろいろですわ」
木乃実が、スイーツを手に戻ってくるなり、その状況を見て吹き出した。
「ちょっと待って、もう始まってる」
「何が」
僕が言う。
「神代くんの飲み物一本で二人が空気出してる」
「空気って何だよ」
「何か出てるよ。見えないけど」
「便利な言い方だな」
「便利だから」
「木乃実までその系統に寄せるのやめて」
そのままコンビニを出て、今度は駅前の書店へ向かうことになった。
木乃実が「せっかくなら本屋も行こ」と言い出したのだが、反対したのは僕だけだった。いや、反対というより、「コンビニだけでもだいぶ放課後寄り道イベントとして成立してるのでは」と確認したかっただけだ。
だがそれは、多数決どころか木乃実の勢いに負けた。
「本屋って、何見ればいいの?」
佐伯が聞く。
「雑誌でも漫画でも新刊でもいいじゃん」
「木乃実、絶対こういう時間好きだろ」
「好きだよ?」
木乃実は即答した。
「なんか、何か買うわけじゃなくても楽しいし」
「それはちょっと分かる」
僕が言うと、
「神代くん、そこは分かるんだ」
「本屋は昔から好きだし」
「へえ」
「何だよ」
「いや、なんか妙に納得した」
「どういう意味?」
「静かな場所好きそうだから」
「それはそうかも」
「でも今日は静かじゃないよ?」
「それもそうだな……」
書店の中は、思ったより人が多かった。
学生、会社員、主婦らしい人、小さな子どもを連れた親。駅前の本屋というのは、あんなにいろいろな人が同時に存在できる空間なのかと、少しだけ感心する。
僕は新刊コーナーの前で立ち止まり、なんとなく背表紙を眺めた。これもまた、理想の放課後っぽい。制服のままで、友達とだらだら本屋を見る。たまに話しかけられて、たまに無言になる。そういう時間。
悪くない。というか、かなりいい。
「神代くん」
木乃実が横から声をかける。
「何」
「また感動してる?」
「してない」
「してる顔だよ」
「してない」
「いやしてる」
佐伯まで乗ってくる。
「なんか、今すごく“これこれ”って思ってそうだったし」
「……まあ、少しだけ」
「ほら!」
木乃実が嬉しそうに笑う。
「ほんと神代くん、こういう普通イベントに対する反応が新鮮で面白い」
「面白がるなよ」
「だって面白いもん」
「悪意なく言うのやめてくれない?」
「悪意ないからセーフ」
「その理屈、黒崎の冗談っぽさと時々似てるから気をつけて」
「うわ」
木乃実が顔をしかめた。
「それはさすがに傷つく」
「ごめん」
「いや、謝るのも違うけど」
「最近、そういう判断が難しいんだよ」
「神代くん、ちょっと繊細になってない?」
「それはあるかも」
「だよねえ」
その時、少し離れた文庫棚のあたりで、エヴァが立ち止まっているのが見えた。
手に取っているのは、旅行雑誌でも料理本でもない。普通に文芸寄りの棚だった。意外と言うべきか、納得と言うべきか迷う。
「エヴァさん、そういうの読むんだ」
木乃実が近寄る。
「何か問題でも?」
「問題っていうか、もっと海外の雑誌とか見てるのかと思ってた」
「偏見ですわね」
「そう?」
「そうです」
エヴァは本を戻しながら言った。
「それに、こういう場所の棚の並びを見ると、その国の空気が少し分かりますもの」
「おお」
佐伯が感心した顔になる。
「なんか言ってることが急にかっこいい」
「急にじゃありません」
「いやでも、今のはちょっとずるかった」
木乃実が笑う。
「え、神代くん、どう?」
「どうって」
「今の」
「たしかにちょっと格好よかった」
「……」
エヴァが一瞬だけ言葉を止める。
「あなた」
「何」
「そういうふうに、わりと真顔で言うのやめてくださいません?」
「褒めただけだけど」
「だから困るんですの」
「困るのか」
「困ります」
「へえ」
木乃実が横から顔を出す。
「エヴァさん、神代くんに褒められるとちょっと弱い?」
「違います」
「早い」
「違います」
「二回言った」
「二回必要だったのです」
「必要だったんだ」
「そこに感心しないでください」
朱音が、その会話を静かに聞いていた。
聞いていて、少しだけ笑う。
「エヴァさんって、そういう時ちゃんと困るんだね」
「何ですの、その言い方は」
「いや、もっと平気な顔で流すのかと思ってた」
「流せない時もあります」
「へえ」
「何ですの、その“へえ”は」
「別に?」
朱音はにっこりした。
「ただ、ちょっと可愛いなって思っただけ」
「……」
「どうしたの?」
「あなた、本当に人を撫でるみたいに煽りますわね」
「そんなつもりないよ?」
「あるように見えます」
「じゃあ見え方の問題かな」
「たぶん本質の問題ですわ」
僕はその二人のやり取りを聞きながら、またしても板挟みの予感に頭を抱えたくなった。
普通の放課後。
友達と寄り道。
コンビニ。
本屋。
それ自体は理想的だ。かなり理想的だ。
なのにその中で、隣の席の毒舌美少女と幼馴染が妙に自然な圧の出し合いを始める仕様までは聞いていない。
神はたぶん、願いを叶える時に細部を雑に処理するタイプなのだろう。
「神代くん」
木乃実がまた楽しそうに言う。
「何」
「今、絶対“思ってた放課後と違う”って顔してる」
「してるかも」
「でも?」
「でも、悪くはない」
「うわ」
木乃実が満足そうに頷いた。
「それ聞けると、今日誘った甲斐あるなあ」
「誘った本人が一番満足してるの、すごいな」
「だってこういうの、人数いると面白いし」
「その“面白い”の中に僕が含まれてるのが嫌なんだけど」
「含まれてるよ?」
「はっきり言うなよ」
ひと通り店内を回って、結局みんな何かしら一つだけ買ったり買わなかったりして、外へ出た。
夕方が少し濃くなっている。駅前の人通りも増えていて、帰宅途中らしい学生や会社員が視界を横切っていく。
一見すると、本当に平和な放課後だった。
笑いがあって、少しの気まずさがあって、でも全体としては楽しい。僕が思い描いていた“普通の高校生の寄り道”に、かなり近かった。
かなり近かった、のだが。
「……あれ」
佐伯が小さく言った。
少し先の歩道の向こう側。
コンビニの前。
別のグループがたむろしている。
その中に、黒崎がいた。
黒崎ひとりではない。二、三人の男子と一緒だ。こっちの五人とは別の集まり。制服姿で、笑いながら、でも笑い方が少しこちらと違う。何というか、“同じ放課後”なのに、空気の温度が違う。
黒崎も、こちらに気づいた。
気づいて、ほんの少しだけ目を細める。
それだけだ。
それだけなのに、さっきまでの放課後の軽さが、少しだけ形を変える。
「……偶然ですわね」
エヴァが言った。
「偶然だといいけど」
僕が小さく返すと、朱音は何も言わなかった。
でも、その黙り方が、たぶんいちばんいろいろ考えている黙り方だった。
木乃実はまだその意味を半分くらいしか測れていない顔をしている。
佐伯はわりと正確に嫌な気配を感じている顔だ。
僕は、少しだけ思う。
普通の放課後には、だいたい誰かの思惑が混ざっている。
今日のそれが、ただの寄り道で終わるのか。
それとも次の面倒の入口になるのか。
少なくとも、黒崎の視線がこっちを見ていた時点で、完全な平和では終わらない気がした。




