表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/12

第9話 冗談っぽく人を下げるやつは、だいたい面倒だ

 黒崎蓮司という男は、たぶん“露骨じゃない”ことに全力を注いでいる。


 露骨なら分かりやすい。分かりやすいものは、嫌われるのも早いし、止められるのも早い。だから、そういう手合いは案外長持ちしない。高校の教室というのは、狭いわりに人の目が多い場所だ。ひとつ明確にやらかせば、「あいつちょっと無理だわ」があっという間に広がる。


 けれど、黒崎はそこがうまい。


 うまいというか、嫌な方向へ器用だ。


 言葉の先端だけ丸めて投げる。

 声の調子を少し軽くする。

 最後に笑う。

 相手が反応しづらいよう、“冗談っぽさ”を薄く塗る。


 それでいて、ちゃんと刺すところには刺す。


 人として面倒くさい。

 たぶん、かなり面倒くさい。


 そんなことを、朝のホームルームの時点で僕は考えていた。


 理由は単純だ。今日は朝から、黒崎が三田村を標的にしていたからである。


「三田村、それ提出した?」

「え、まだ……」

「まだなんだ」

 黒崎が笑う。

「いや、おまえってほんと毎回ちょっと遅いよな」

「ご、ごめん」

「なんで謝るんだよ、別に怒ってねえって」

「いや……」

「ていうか逆にすごくない? あれだけ先生に言われててまだ後回しにできるの、才能じゃん」


 笑い声が、近くで少しだけ起きた。


 大きくはない。本当に、反射みたいな小さな笑いだ。気まずい時の、あの、空気を固めないための笑い。あれはたいてい、言った側より聞いてしまった側のほうが後味が悪い。


 三田村は曖昧に口元を動かした。笑った、のだと思う。たぶんそういうことにしておきたかったんだろう。でも、目が笑っていない。笑っていないどころか、完全に困っている。


 それを見て、僕は朝からだいぶ嫌な気分になった。


 まだ一限前だぞ。できればもっとこう、人間らしいことで心を削ってほしい。たとえば眠いとか、腹が減ったとか、そういう平和な理由で。


「神代くん」


 木乃実が小さく声をかけてきた。


「何」

「顔」

「え」

「出てる」

「何が」

「嫌そうな顔」

「……そんなに?」

「うん」

 木乃実は前を向いたまま、小さく言った。

「たぶん、本人より分かりやすい」

「それは嫌だな」

「でも今の、ちょっと嫌でしょ」

「ちょっと、どころではないかな」

「だよねえ」


 木乃実の声は軽い。でも軽いなりに、さっきの空気に引っかかっているのは分かった。後ろの佐伯も、何も言わないまま少しだけ顔をしかめている。


 ただ、そこで終わるのだ。


 嫌だな、で終わる。

 感じ悪いな、で止まる。

 そこから先へは進まない。


 なぜなら、黒崎はまだ“その場で止めるほどひどいこと”をしていないからだ。少なくとも表面上は。


 この“表面上は”が厄介なのである。


「あなた、顔に出ていますわよ」


 隣から、静かな声がした。


 エヴァだ。


 彼女は教科書を机の上へ出しながら、まるで天気の話でもするみたいにそう言った。僕の嫌な顔が天気と同列に扱われているのは微妙に癪だが、否定はできない。


「そんなに?」

「ええ」

「木乃実にも言われた」

「当然ですわ」

「当然なんだ」

「自覚がないのですか」

「ないわけじゃないけど、そこまで分かりやすいとは」

「分かりやすすぎます」

 エヴァは少しだけ目を細めた。

「あなた、嫌なものを見た時だけ妙に素直ですもの」

「それ、褒めてる?」

「まさか」

「だろうな」


 教室の前方では、黒崎がもう別の話題で笑っている。すぐ切り替える。切り替えが早い。さっきの“軽いいじり”は、彼の中では本当に軽口だったのかもしれない。あるいは、軽口の顔をした何かだったのかもしれない。


 どちらにしても、受け取る側の三田村は、ちゃんと傷ついていた。


 そこが嫌だった。


 ホームルームが終わって、一限、二限と授業が進むあいだも、黒崎はそういう小さな棘を何度か三田村へ向けた。


 配布物を回す時に、


「三田村、ぼーっとしてるとまた最後になるぞ」


 グループ分けの時に、


「いや、おまえ要領悪いから、そっちよりこっちじゃね?」


 教師に質問されて答えにつまった時に、


「三田村って反応ワンテンポ遅いよな。電波届いてる?」


 言い方が全部、笑いながらなのだ。


 笑いながら、人の反応の鈍さや要領の悪さを、ちょっとした持ちネタみたいに扱う。


 しかも周りも、最初の一回二回はつられて笑ってしまう。空気って怖い。笑うつもりがなくても、誰かの作った軽さに足を取られる。


 でも、その笑いの端っこに、だんだん迷いが混ざってくる。


「ねえ」

 二限と三限のあいだの休み時間、木乃実が僕の机に寄りかかった。

「黒崎くんさ」

「うん」

「なんか、ちょっと嫌じゃない?」

「ちょっと、で済んでる?」

「済んでないけど、でもさ」

 木乃実は言いづらそうに言葉を選ぶ。

「こういうのって、どこで“それはやめなよ”って言えばいいのか分かんなくない?」

「……」

「いじめってほどでもない、って言われたら、たしかにそうかもってなるし」

「でも、感じ悪い」

 佐伯が後ろから入る。

「感じ悪いし、見てて気分よくない」

「そうなんだよね」

 木乃実が頷いた。

「でも“今のはさすがに”って止めるには、全部ちょっとずつ軽いんだよ」

「軽いのが重なると普通に嫌なんだけどな」

 僕が言うと、木乃実は少しだけ笑った。

「神代くん、顔」

「また?」

「また」

「今日はよく言われるな」

「だって分かりやすすぎるし」

「そうかな」

「そう」

「そうですわ」

 エヴァまで会話へ入ってくる。

「あなた、もう少し取り繕うことを覚えた方がいいと思います」

「今その注意?」

「今だからです」

「エヴァさんも、黒崎くんのこと気になる?」

 木乃実が聞くと、エヴァは一拍だけ間を置いた。

「気になる、というより」

「うん」

「品がありませんわね」

「おっ」

 佐伯が少しだけ目を上げる。

「それ、なんか新しい切り口」

「新しくはありません」

 エヴァは淡々としていた。

「冗談の体裁で相手の立場を下げるのは、単純に品がないと言っているだけです」

「……」

「……」

「……」


 一瞬、沈黙が落ちた。


 木乃実が最初に吹き出した。


「待って、ちょっと好きかもその言い方」

「好きになる要素ありました?」

「あるでしょ。“感じ悪い”より解像度高いもん」

「解像度ってそういう使い方するんだ」

 僕が言うと、木乃実は嬉しそうに頷いた。

「するする。エヴァさん、たまに一言だけやたら強い」

「たまに、ではありません」

「毎回だ」

 僕が小さく言うと、

「よく分かっているではありませんか」

とエヴァが返した。

「嬉しくない理解だな」

「理解の価値と、うれしいかどうかは別ですもの」

「それ、すごく正しいけど、言われる側はちょっと嫌なやつだ」

「あなたにだけは言われたくありませんわ」


 そこへ、朱音が戻ってきた。


 保健委員関係の用事があったらしく、さっきまで別の教室へ呼ばれていたのだが、戻ってくるなり黒崎のいる前方を一瞥して、それから僕の顔を見た。


「……ああ」

「何」

「恒一くん、もうだいぶ嫌がってる顔してる」

「そんなに?」

「してるよ」

「今日はみんな容赦ないな」

「だって分かるし」

 朱音はあっさり言った。

「黒崎くんでしょ?」

「分かるんだ」

「分かるよ。ああいうの、昔から苦手じゃん」

「昔から、ね」

 木乃実が面白がるように繰り返した。

「朱音さん、ほんと神代くんのことよく分かってる」

「分かるよ」

 朱音は悪びれもせず言う。

「だって長いし」

「その“長い”で全部押し切るの、最近よく見るな」

 僕が言うと、朱音はにこっとした。

「便利だからね」

「開き直るなよ」

「でも本当のことだし」


 そう、本当なのだ。

 本当だから困る。


 朱音は黒崎の方をもう一度見た。ほんの一瞬。笑ってはいない。けれど、怒っているようにも見えない。ただ、覚えた、という顔だった。


 ああ、と思う。


 この人、もう完全に危険人物認定したな。


 恐ろしいのは、本人にその自覚がたぶん薄いことだ。朱音の中ではきっと、“危険人物かどうかを見極めるのは当然のこと”くらいの感覚なのだろう。普通の女子高生の顔で、物騒なことを当然のようにやる。そこがいちばん怖い。


 四限が終わり、昼休みになった。


 昼食の時間というのは、良くも悪くも人間関係が表に出る。だから今の教室の空気を観察するにはうってつけなのだが、正直、今日はそんな冷静なことを言っていられる気分ではなかった。


 黒崎は今日も、自分の周囲に小さな輪を作っていた。

 三田村も、その近くにいた。自分から寄っていったというより、同じ列、同じ机の流れの延長でそこにいる感じだ。離れる理由もないし、かといって積極的に混ざりたいわけでもない。そういう、いちばん逃げにくい位置。


「三田村、それおまえやっといてよ」


 黒崎が何気ない顔で言った。


「え?」

「係の紙。あとで職員室に出すやつ」

「いや、でも」

「俺さ、次の授業始まる前に先生んとこ行かなきゃなんだよね」

「そうなの?」

「そう。だからついでに頼むわ」

 黒崎は笑っている。

「三田村、こういう細かいの得意そうだし」


 得意そう、という言い方は便利だ。

 押しつけを好意的な評価に見せられる。


 三田村は困った顔をした。したけれど、断れない。断る理由も、うまく言葉にならない。こういう時に「嫌だ」と言えないやつを狙っているのだとしたら、黒崎はやっぱり相当面倒だ。


「それ、黒崎くんの係でしょ」

 木乃実がぽつりと言った。


 全員の視線が、少しだけそちらへ向く。


「え?」

 黒崎は笑顔を崩さない。

「いや、そうだけど。ちょっと頼んだだけじゃん」

「頼むの早くない?」

「別に強制してないって」

「……」

「な、三田村?」

「え、あ……」

 三田村は視線を泳がせる。

「べ、別に、できるけど」

「ほら」

 黒崎が肩をすくめる。

「本人がいいって言ってるし」

「それは……」

 木乃実が言いよどむ。


 そう、それだ。


 こうなると止めづらいのだ。

 本人が表向き“いい”と言ってしまったら、周囲はそれ以上踏み込みにくい。言わされたとか、断りづらいとか、そういう空気まで言語化して割って入るのは、相当エネルギーがいる。


 そして高校の教室というのは、良くも悪くも、そこまでのエネルギーを毎回出せる場所ではない。


 僕はそれが、たまらなく嫌だった。


 まだ何もしていない。

 でも、だいぶ不快だ。


 エヴァが小さく言う。


「ほら」

「ほら、って何」

「また、放っておけない顔をしていますわ」

「……」

「違いますの?」

「違わないかもしれない」

「でしょうね」

「嬉しそうに言うな」

「嬉しそうに見えますの?」

「少しだけ」

「気のせいです」


 気のせいかどうかはともかく、エヴァの目は静かだった。

 “やっぱりそうするのね”とまでは言っていない。まだそこまで行っていない。けれど、“いずれそうなる”と分かって見ている目だった。


 朱音の方はもっと露骨だった。


 何も言わない。

 でも、止める気もない。


 それは冷たいからじゃない。たぶん逆だ。朱音は、僕がこういう時どうする人間か知っている。知っているから、今は先に手を出さない。僕がどうするかを見ている。


 長い付き合いというのは、厄介なものだ。


 木乃実はまだ何か言いたそうだった。でも、三田村本人が「大丈夫」と言ってしまった以上、そこで押し切るだけの言葉が出てこない。佐伯も同じ顔をしていた。


 みんな、分かっている。

 でも、分かっているだけだ。


 それがたぶん、いちばん厄介だった。


 昼休みの終わり際、三田村は結局、黒崎に渡された紙を持って教室を出ていった。


 黒崎はもう別の話題で笑っていた。

 それが余計に腹立たしい。


「……神代くん」

 木乃実が小さく呼ぶ。

「何」

「今、だいぶスイッチ入りかけてるよね」

「そんなに分かる?」

「分かるって」

「今日はそればっかりだな」

「だって分かるんだもん」


 僕は少しだけ息を吐いた。


 まだ何もしていない。

 でも、放置できない方へ、確実に気持ちは傾いている。


 冗談っぽく人を下げるやつは、だいたい面倒だ。

 そして、そういう面倒は放っておくとだいたい大きくなる。


 それを知ってしまった以上、たぶん僕は、もう昨日までみたいには見ていられない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ