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トリトニアの伝説 外伝8 夜想曲

作者: 由美忽子
掲載日:2026/02/26

この作品は「トリトニアの伝説」の外伝です。


これまでのあらすじ

海人の薗トリトニアの王女であるパールを娶るため、一平は父王オスカーの提案を呑み、青の剣の守人となるべく修行の日々を送っていた。

トリトニアに来て二年で宣旨は下り、幸運にも一平はトリトン神に認められて守人となることができた。

同時にパールとの結婚の条件をクリアし、守人の就任式と二人の結婚式が行われた。

成人したとはいえ、まだまだ幼さの残るパールは結婚のなんたるかを熟知しているとは思えない。

幸福の絶頂にありなかがら一抹の不安を胸に一平はパールと新居の右宮に足を踏み入れた。


詳しくは本編第一部から第七部をお読みください。



「オレの子を生め」

そう言って見下ろす一平の顔をパールははにかみながら見つめ返した。だが、一平の視線が痛いぐらいに熱くて、パールは目を開けていられない。伏せてしまうしかない瞼に唇を寄せられてパールは息を呑んだ。

 優しく求めてくる唇を身体全体で受け止めながら、パールは微かに震えていた。

 これから自分の身に何が起ころうとしているのかは大体わかっていた。不安はあったが、一平のすることにはパールは絶対の信頼を置いている。心配することなど何一つないのだ。こうしていれば一平が全ていいように取り計らってくれる。パールはただそれを受け入れ、素直に喜べばいいのだ。なぜなら、彼はたった今言ってくれたのだから。パールの一番欲しかった言葉を。彼女の究極の望みを。


「いやだったら言え」

 彼はそうも言ってくれたが、パールには思いもよらない言葉だった。こうしてすぐ間近に一平の体温や吐息を感じているのにどうしていやなことがあろうか。大好きな彼の鼓動を聞くことは今は叶わなかったが、逆にパールに触れてくる一平の手や頬からドキドキが伝わっているのでは、と気づくことは、妙に恥ずかしくて、そのくせ快いのだった。


 そんなパールを、腫れ物を扱うようにそっと、一平は愛撫していった。

(オレのパール…。オレの宝…オレの全て。オレの…)

 何と言葉に表現したらよいのかわからない。突き上げてくる想いを伝える術を模索して炎が身体中を駆け巡る。

 こんな感情を自分はいつから身の裡に抱いていたのだろうか。もどかしく歯痒いほどのこの思い。こうして望みのものを手に入れていながら、後から後から湧いてくる尽きせぬ想い。


 ―これほど愛しく思える存在を他に知らない―と、彼は思った。

 かつて生活の全てであった父の存在も、母の遺影も、当たり前のようにいてくれた従兄弟たちも育った南紀の村も海も…。それまで一平の世界の全てだったものが、パールに遭った途端にその権利を小さな少女ひとりに譲り渡してしまった。それ以来、一平の世界はパールを中心に回り始め、巡り巡って現在に至っている。

(おまえに会えてよかった…)

 パールが一平の前に忽然と現れたのがなぜかなのか、どういうからくりなのかはいまだにわからないが、一平は運命というものを強く感じていた。

 翼に不幸な人生の終幕を引き寄せてしまったにも拘らず、あの洞窟に祠を建てようと企てた村の大人たちに感謝の気持ちすら感じる。なぜなら、あのことがなければ一平は、パールを連れてトリトニアに発とうという決心を実行に移してはいなかったかもしれないからだ。


 パールに会えて、一平は自己を確立した。近しい人々の中にあってもどこか不安定に思える大地から逸脱する勇気と決意を、ごく自然に呼び起こしていた。海こそ自分のいるべき世界なのだと、すんなりと思うことができた。

(おまえを連れて海に出て…守ってやるつもりが守られてばかりで…)

 それでも一平は幸せだった。庇護するべき存在を傍らに添わせ、トリトニアという目的地をひたすら目指した尊い日々…。一平が躍起になってパールを守ろうとすればしただけ、パールは一平を慕ってくれた。

 それは旅に出る前からわかっていた。

 だが、パールは幼かった。子どもが父親を頼るように、刷り込みをされたヒヨコのように、パールは一平に一番懐き、その後を追った。


 危険から身を守るために武術を習い、身につけた。同じ頃、パールも医術の勉強を始め、幼いばかりではないと一平の心に知らしめた。やきもちを妬いたことで決定的にもなった。自分のパールへの気持ちがただの保護者のそれではないことに。

『赤ちゃんをたくさん産みたい』と公言して憚らないパールに、その望みを叶えるのは自分だと言いたくて言えない焦ったい日々が続いた。


 目的地に辿り着いた喜びも束の間、パールの身分と本来の生活を目の当たりにして、一平がパールを望む権利はないと思い知らされた苦渋の日々。

 思いもかけないオスカー王からの申し出と、一平の求婚にあっさり応じたパールの奔放さ。

 似たもの親子の性格に翻弄されながらも、一平は再び己の精進に励んだ。真に資格を得てパールを花嫁とするために。

 だが、それらの日々も過去の出来事となった。

 パールは今成人した姿で一平の腕の中にいる。正真正銘、誰もが認める彼の妻として。

 一平は昼間の誓いを新たに思う。

(何があってもおまえを守り続ける。このトリトニアの平和と共に…)

 この先自分たちにどんな運命が待っているのか、彼にはまだ知る由もない。

 新たな運命が手ぐすね引いて二人を待ち構えていることを。

一平の心配はどうやら杞憂に終わったようです。


次回はパールの侍女のフィシスがこれまでを振り返ります。

ハラハラドキドキヤキモキし通しの二年間を。

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