3.私にはわからない
夜会の喧騒から離れた回廊は、驚くほど静かだった
遠くからかすかに音楽が聞こえ、二人の足音が響くだけ
「……ここなら、少しは楽なのでは」
そう言って歩調を緩めたルーヴェンシュタイン様の後ろを半歩遅れて私は歩いていた
(どうして、こんなことに……)
策略家で王都の貴族なら誰もが知る名前
本来なら、目を合わせる事すら恐ろしい相手のはずなのに
なのに、不思議だった
(怖くない)
それどころが、あの喧騒から連れ出してくれた事で少し安心している
「まだ、緊張してますか?」
急に聞かれてびくりと肩を揺らした
「え……あ、はい。すこし、」
正直に答えると、ルーヴェンシュタイン様は小さく笑った
「正直なのは、美徳ですよ」
まただ
褒められるたびに心がざわつく
まるで、私の知らない、長所をルーヴェンシュタイン様だけが見つけてくれているみたい
「……私、社交は苦手なんです」
こんなこと、初対面の、それも高位貴族に言うべきではない
けれど気がつけば、そんな事を口にしていた
「そうでしょうね」
即答だった
「人の多い場所で、貴女はずっと呼吸が浅くなっていた」
……見られてた
恥ずかしさで、思わずドレスの裾を握りしめる
「すみません。貴族の娘なのに……」
「それは、謝ることですか?」
穏やかな声だった
けれど、なぜか逃げ場のない問いかけ
「向き不向きはあります
無理に演じて壊れるくらいなら、最初から演じない方が賢い」
その言葉が、胸に刺さった
私はずっと
「できない」「向いていない」「仕方ない」
そう思い社交の場から一歩引いて過ごしてきた
貴族として、愚かな行動だと思いながら
それを「賢い」と肯定されたのは、初めてだった
「……でも」
言葉を探す
「私は、綺麗でもないし、痩せてもいないし……評価されるような賢い令嬢では」
言ってしまった瞬間、胸がきゅっと縮む
改めて言葉にすると本当にその通りで、ここにいるのが場違いの様に感じてくる
ルーヴェンシュタイン様が私と同じ目線になるように、ほんの少し身を屈める
アイスブルーの瞳が私を捉える
「ヴァルグレイヴ嬢
貴女は、自分を過小評価しすぎている」
低く、断定的な声
「素直さは弱さではない
貴族は皆、偽りの姿を見せる
純粋で触れたくなる者の価値を、貴方は分かっていない」
触れたくなる
その言葉に、頭が真っ白になる
「私は、貴女のような人を好ましいと思う」
……どうして?
どうして、この人はそんなことを言うの?
私なんて
「そんな顔をしないでください」
指摘されて、初めて気づく
私は泣き出しそうな顔をしていた
「信じられませんか?」
「……はい」
正直に頷く
ルーヴェンシュタイン様は少しだけ目を細めた
「なら、今は信じなくてもいいです
分からないなら、分からないままでいいです」
……ただ」
彼は、迷いなく続けた
「私がそう思っていることだけは、覚えておいてください」
その言葉は優しいはずなのに逃げ場がなかった
否定も許されず受け取るしかない好意
胸の奥に、小さな種が落とされる
その種が私の世界を覆い尽くすほど大きくなるなんて知らないまま
「……ありがとうございます」
かろうじて、それだけ言えた
ルーヴェンシュタイン様は満足そうに微笑んだ
「今夜は無理をしなくていいですよ
私がいますから」
その「私が」という言葉が、なぜかとても重く響いた
それなのに
この人のそばにいると、安心する
そんなことを思ってしまう自分が少し怖かった
広間から聞こえる管弦楽器の音を聞きながら舞踏会の夜が静かに過ぎていく




