1.初めて出会った時から
初めて彼と出会った時から、私は彼の手のひらの上で踊らされていたのかもしれない
気づいた時にはもう、私は逃げる事すらできなかった
レティシア・フォン・ヴァルグレイヴは広間の壁際でひっそりと息を潜めていた
大理石の床に反射する無数のシャンデリアの光
香水と恋心と野心のにおいが混ざり合う王都の社交界
その中心から少し外れた場所に彼女は佇んでいた
(……やっぱり、私には場違いよね)
自分でもよくわかっている
ふくよかな頬、丸みのある体つき
流行りの細身のドレスなどに合わず、仕立て屋に頼んで体系を隠すように作らせた深緑のドレスは無難で地味だった
ヴァルグレイブ家は由緒正しい貴族ではあるが、決して権勢を誇る家ではない
そして、彼女自身、社交界に向かない
人と目を合わせるのが苦手で、声をかけられれば緊張で声が詰まる
「愛らしい」と言われたことはいちどもなく「優しそう」「おっとりしてる」という遠まわしな評価だけが彼女の周囲を漂っていた
今夜は、王城で開かれる大規模な夜会
母親に「顔だけでも出しなさい」と半ば無理やり連れてこられた
(早く終わらないかな……)
そう思った、その時だった
「失礼、そこに立っていると少し危ないですよ」
低く、落ち着いた声
驚いて顔を上げると、目の前に一人の男性が立っていた
背は高く、髪は銀に近い淡い金髪を後ろで緩く束ね
アイスブルーの切れ長の瞳には余裕と知性が宿っているように見えた
年の頃は三十前後だろうか
若者の浮ついた空気はなく、どこか獣のような静かな威圧感を纏っていた
彼は私の背後、ちょうど給仕が行き交う導線をちらりと見やり、微笑む
「ワインを運ぶ者が通る
ぶつかってドレスを汚されるのは、あまり愉快ではないでしょう」
「あ……そ、そうですね
ありがとうございます」
慌てて一歩横にずれる
彼は自然な仕草で私を庇うように隣に立った
その距離の近さに心臓が跳ねた
(ち、ちかい……)
顔立ちは整っているが、それ以上に印象的なのはその眼差しだった
全てを見通すような、そして決して逃がさないそう思わせる強い眼差し
「貴女は、ヴァルグレイヴ家のご令嬢ですね」
「……え?」
名乗ってもいないのに当てられ、私は目を見開く
男性はわずかに口角を上げる
「私はこれでも社交界には強い方でしてね
令嬢のそのペンダントに施されてるのはヴァルグレイヴ家の家紋では?
控えめですが丁寧な細工ですね
一見見ただけではそう見えず美しい模様のようにも見えます」
(よく見ている……)
分析するような口調なのに不思議と嫌な感じはしなかった
「おっと、自己紹介が遅れてしまいましたね
私はアレクシス・フォン・ルーヴェンシュタインです」
その名を聞いた瞬間、わたしは息を呑んだ
策略家の……
ルーヴェンシュタイン侯爵家
王都でも屈指の実力者
政争の裏側で暗躍し、敵を笑顔のまま破滅させると噂される男
「……あ、あの、私……」
逃げた方がいい、という直感が頭をよぎる
でも足が張り付いたように動かない
彼が逃げるのを許さないかのように、穏やかな声で会話を続ける
「今夜の夜会、楽しんでいますか?」
「……正直に言えば、あまり」
ぽろりと本音がこぼれてしまった
言ってしまってから後悔する
なにを馬鹿正直に答えているのかと
こういう場合他の令嬢はなんて答ええるのだろうか?
せっかく話しかけたのに楽しくないなどと言って隣にいる彼は不快に思っていないだろか?
が、彼は意外そうに、そして少し楽しそうに笑った
「正直ですね、好感が持てます」
「そ、そんな……」
頬が熱くなる
褒められることに慣れていないわたしは、どうしたらいいのか、なんと言っていいのか分からず、所在なさげに視線を落としてしまう
「もしよければ、少しだけお話ししませんか
あちらの、もう少し静かな場所で
貴女のような方は、この喧騒から離れた場所の方が合います」
アレクシスは、レティシアをじっと見つめていた
まるで、初めて手にした宝石の価値を、誰にも気づかれぬよう確かめるように
この出会いが、二人の人生を深く絡め取る始まりだった




