第9話:広がる異変
朝の光は柔らかく街を照らしていた。
だが、リリエルの目には、昨日よりも明らかに異常が拡大している様子が映った。
井戸の水はわずかに濁り、商店の魔力は乱れ、街灯の光が瞬きながら揺れている。
子供たちの遊ぶ声も、いつもの軽やかさを失っていた。
「……これは、確かにおかしい」
カインは城の書庫で机に突っ伏したまま呟く。
数字には異常はない。しかし、胸の奥に重く沈む焦燥感。
世界が静かに狂っていることを、彼は否応なく感じ取っていた。
「聖女を追放したせい……か?」
言葉にはできない後悔が、体の奥からじわりと湧き上がる。
騎士団長レオンハルトは、城のバルコニーから街を見下ろす。
通りを行き交う人々の表情が微妙に歪んでいる。
歩くリズム、笑い声、声の張り、すべてが少しだけ狂っている。
数値には現れない異常。
「……このままでは、手遅れになるかもしれない」
胸に焦燥と苛立ちが混ざり、言葉にならない怒りが渦巻く。
街角では、リリエルが静かに立ち止まる。
井戸の水を手で触れ、魔力を指先に通す。
濁った水面はゆっくりと清らかさを取り戻し、微かな波紋が光に反射する。
誰もその変化に気づかない。
しかし、確実に世界は修復されつつある――静かに、しかし確実に。
商店の魔力も、リリエルの微かな手の動きで安定する。
薬草は本来の力を取り戻し、街灯は以前よりわずかに明るく輝く。
人々には何も分からない。
だが、リリエルの手がある限り、世界の歪みは最小限に抑えられていた。
「まだ……間に合う」
小さく呟き、彼女は足取りを進める。
瓦が微かに揺れ、鳥の声が響く。
街の人々が日常を送るその背後で、静かな聖女の手は、今日も確実に世界を守り続けていた。




