第5話:変わらない日常
城下町の朝は、昨日よりも少し冷たく感じられた。
日差しはいつも通りだが、人々の動きには微かな鈍さがある。
歩く足取り、笑い声、呼吸のリズム――どれも少しだけ違う。
数字では測れない、微細な狂い。それは誰の目にも見えない。
「……どうして、こんなことに」
カインは書類を握りしめ、手のひらの汗を感じた。
追放したはずの聖女の影が、今になって重くのしかかる。
世界は変わらず動いているように見える。
だが、胸の奥に、何かが確実に狂っていることを彼は感じていた。
騎士団長レオンハルトもまた、目を細めて城下町を見下ろす。
道を行き交う人々の表情が、昨日とは少し違って見える。
子供たちの笑い声は鈍く、商人の声も張りがない。
誰もその理由を知らない。
だが、リリエルはすべてを感じ取っていた。
彼女は城外の広場を静かに歩きながら、風の匂い、水面の揺れ、微かな魔力のずれを確認する。
「まだ、間に合う」
誰も気づかない異変に、彼女は小さく呟いた。
その声は、誰の耳にも届かない。
だが、行動することで確実に世界を支えていることを、リリエルは知っていた。
街では、小さな異変がちらほらと目に見え始める。
井戸の水が濁り始め、薬草の魔力が弱くなり、街灯の魔力が時折消える。
人々は戸惑い、眉をひそめるが、原因が分からず不安を胸に抱く。
そして誰も、それが追放された聖女の影響だとは思わない。
カインは書類を手放し、手で額を押さえた。
「間違っていたのか……?」
声に出さずとも、心の奥で後悔が膨れ上がる。
正しいと思った判断が、世界の狂いを止められない。
彼の焦燥は、誰にも理解されない孤独となって胸に重くのしかかる。
リリエルは噴水のそばで立ち止まり、水面に映る街を見つめる。
光が揺れ、水面に反射する影が少しずつ歪む。
世界は静かに、しかし確実に崩れ始めていた。
「誰も気づかない……でも、私は知っている」
小さく呟き、彼女は歩き続ける。
城下町の人々が日常を送るその背後で、静かに世界を救う手が、今日も動いていた。




