第2話:「聖女はいらない」
城門の外、石畳に足を下ろすと、冷たい朝の風が頬を撫でた。
リリエルの長い髪がゆっくりと揺れる。静かな街の広場は、まだ人影も少なく、空気は清々しい。
だが、その空気の奥に、わずかな違和感が漂っているのを彼女は感じ取った。
「……もう、聖女はいらないんだよ」
カインの声は小さく、しかし城内に響き渡る。
その言葉の裏に、焦燥や迷いが隠れていることも、リリエルには分かる。
だが、彼が出した結論は揺らがない。
世界の命運を左右する聖女を、平然と追放する決定――
人々は数字だけを見ている。魔力の測定値、加護の強さ、回復力の高さ。
だが、世界の微細な歪みは数字では測れない。
小さな狂い、予兆、微かな衰退――
それらを察知するのは、聖女だけだった。
城を離れたリリエルは、風に乗る埃の匂い、遠くで鳴く鳥の声、石畳に映る淡い光に注意を払いながら歩く。
足音は静かだが、彼女が歩くたびに、街の空気が微かに震える。
誰もその震えに気づかない。
世界は、あまりにも静かに、しかし確実に崩れ始めていた。
街路を歩く人々の表情は、どこか落ち着かない。
知らず知らずに、目線は遠くを探すように泳ぐ。
魔力の流れが少し変化したことに、体は敏感に反応するのだ。
だが、誰も理由を知らない。
すべては――聖女が追放されたせいだということを。
リリエルは人々に目を向けながら、静かに歩みを進める。
足取りは軽く、だが胸の奥では世界の変化を感じ取り、警戒を解かない。
「誰も気づかない。だけど、私は知っている」
心の中でそう呟き、彼女は街を見渡す。
遠くで瓦が揺れる音。微かに傾いた噴水の水面。
小さな異変は、確実に広がっていた。
リリエルの視線が、街の奥深くまで届く。
そこには、まだ誰も気づかない、小さな異変の連鎖があった。
そして、彼女は知っている――
追放した者たちが、この異変をどう扱うか。
焦燥に駆られ、慌てふためく姿。
しかし、もう遅い。
世界は静かに、壊れ始めているのだ。
リリエルは歩みを止めず、ただ前を見据えた。
冷たい風に身を包まれながら、誰にも気づかれず、世界を守るための静かな行動を開始する。
この日から、世界の運命は、聖女の手の中で密かに動き始めた。




