第七話
ロットンとの対戦が始まった。
第1ラウンド開始。
「太蔵さん、中央遮蔽帯を活かしてください。カグラは右通路から高所を確保して。私は倉庫側、左ルートで音取ります」
「はーいはーい」
「了解」
──この時点で、読みは完璧のはずだった。
足音。階段の軋み。金属を踏む硬い響き。
敵の配置が“視えた”。
「カグラ、今動くと交差する。止まって、五秒待って」
……だが、応答はない。
数秒後、唐突に響く銃声。そして──ダウンのアイコン。
「え、え、そっちに来るの!?」
慌てた声。だが、すでに遅い。
太蔵も中央で孤立していた。
「抜かれた」──短く、乾いた声。
“DEFEAT”
目に刺さる赤い文字。
読みは合ってた。けれど、それは独りよがりの“独り言”だった。
伝わらなければ、読みなんて意味がない。
試合前のインターバル。音声チャットに、混じるノイズのような声。
「空間管理もできてないのに、情報だけ飛ばしてどうするの?」
「“正解”ってさ──ちゃんと届かなきゃ、ただのノイズだよ?」
それは、相手のロットンの声だった。
「将棋盤じゃないんだよ、ここ。現実は泥だらけの床。読みたいなら、まず足元拭いたほうがいい」
熱はなかった。ただ、突き放すような確信があった。
「……でも、あんたみたいな“正解しか知らない奴”って、最初に崩れるんだよな」
言葉を投げ捨て、ロットンは通話を切った。
第2ラウンド開始。
私は手早くノートにマップを描き直し、言語を変えた。
「カグラ、右奥の足場までスライドして。そこから、対面のパイプ裏──視線が通る」
「……わかりやすい」
ほんの少し、意外そうな声だった。
私は“自分の頭の中だけの地図”を、“伝わる言葉”に変えた。
その瞬間、わずかに世界が応えた気がした。
太蔵が左から、音もなく挟み込む。
私は倉庫裏からロットンの背面を取る。
遮蔽物の影から出てきたロットン。撃つ。
一発命中──だが、倒しきれない。
「……ふーん。やっと“自分の地図”から出てきたか」
音声が返ってきた。軽い口調の中に、わずかに混ざる焦り。
即座に指示を飛ばす。
「太蔵さん、倉庫通路から回って! カグラ、そこから遮蔽出て!」
カグラの弾がロットンを撃ち抜いた。
ログに“KAGRA→ROTTEN”の文字が浮かび、その直後、最後の敵も太蔵が仕留める。
“WIN”
けれど、勝ったというより──帳尻が合っただけだった。
そして、第3ラウンド。
私はノートを再び開く。敵の足音、反響、斜線。
それらを組み替え、“伝える言葉”に変換していく。
「カグラ、右の鉄骨足場に入って。パイプの陰を抜けた敵、そこから狙える」
「分かった」
試合開始。
私は階段を上り、わざと鉄板を踏んで音を響かせる。
おとり。音で敵の視線を集める作戦。
ロットンが反応。銃口がこちらに向く。
私はすぐに姿を隠す。完璧な流れ──のはずだった。
「……太蔵さん?」
左側にいるはずの太蔵が、動いていない。
「敵の足音が消えた。ルート、ずらされてる」
──一瞬のズレ。
その刹那、ロットンが唐突に振り返る。
そこに──カグラがいた。
だが、予定より早いタイミング、違うポジション。
「撃たれた!」
遮蔽に入る前に撃ち抜かれるカグラ。“ROTTEN→KAGRA”の表示。
私が焦って覗いた瞬間、ロットンのスコープがこちらを捉えていた。
ズレた、じゃない。読まれていた。
銃声。アーマーを貫く衝撃。
「ナナミ!?」
中央から太蔵が出てくるが、すでに──待ち伏せされていた。
「……読み負けたか」
彼の低い声と共に、再び“DEFEAT”の赤。
“正しい読み”では、勝てなかった。
あの男は、こちらの“読みの言語”ごと──上から塗り替えてきた。
ロットンは、ただの強者じゃない。
彼は、“盤面そのもの”を動かせるプレイヤーだった。
私の“地図”が、閉じられていく音がした。
4ラウンド目
私はノートを見返しながら、前回の成功パターンを“逆転”して設計し直した。
「作戦は“ミラー展開”。前回と同じ初動で、逆の配置。カグラは左通路、太蔵さんは中央から。私はまた上段を踏みます」
「了解」
「動く」
私は階段を踏みながら、再び金属の音を鳴らして上段に向かう。前回と同じ誘導。相手にとっては“またか”という既視感のはず。
案の定、ロットンが再び遮蔽物の陰から姿を現した。
今度は警戒して、慎重にこちらを狙っている。
私は姿を少しだけ見せる。
ロットンが狙撃姿勢に入った瞬間、私は横に跳び、遮蔽に隠れる。
そのわずかな間に、太蔵の銃が一閃。中央通路から正確に撃ち込まれた弾が、ロットンの肩口をかすめる。
ロットンの照準がぶれた瞬間、カグラが左通路から駆け上がってきた。
斜線がクロスし、ロットンが慌てて後退したところに、カグラの弾が背後から命中する。
“KAGRA→ROTTEN”の表示が再び浮かぶ。
同じ戦法は通用しない? なら、“同じ構図”で逆に読ませる。
それが、空間を読むということ。
最終ラウンド
「最終作戦、ロットンを動かして、動線のズレを誘導します」
「了解」
「了解」
私は倉庫側の鉄板通路を小走りに移動し、射線が通る場所でリスキーだったけどあたしは陽動のために動いた。
金属が鳴り、工場の空間に反響する。
ロットンが反応する。スナイパーポジションから移動し、こちらへ向かってくる。
私はその場から動かない。
敵の意識を釘付けにしたまま、じっと息を潜める。
通路を抜けたロットンが、私に照準を合わせた。
その瞬間――左の通路からカグラが滑り込むように飛び出す。
ロットンがわずかに後退しようとしたとき、背後の遮蔽を抜けて太蔵が姿を現す。
まるで最初から、そこに“誘い込まれていた”ように。
太蔵の弾が、ロットンの背中を撃ち抜く。
ロットンの身体が弾かれるようにして倒れ込むと、続けて残りの敵も一掃された。
“VICTORY”
白い勝利の文字が、ディスプレイに浮かび上がった。
私は思わず、ヘッドセットを少しだけ外して、深く息をついた。
「っしゃああああ!」
通話越しに、カグラの声が跳ねる。
「ナナミ、今の作戦、ガチで天才じゃん!」
私は言った。
「命名、斜線クロス作戦!」
「なにそれダッサ……」
「命中したんだからいいじゃん!」
私は笑った。
私は、手元のノートを見下ろした。
ロットンからチャットが届く。
ROTTEN:“共有できる地図”か。悪くない。次は、もっと“読みにくい盤面”で待ってる。
太蔵さんからは、短いひと言。
TAIZO:一勝、おめでとう。
私はノートの余白に、丁寧に書き込む。
「“見えてても伝わらなきゃ意味ない”。次はそれも含めて読む。」
次はもっと、正確に。
もっと早く、もっと伝わるように。
この世界を、誰よりも正確に、“美しく”読んでみせる。