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3ー1

 楽しい放課後がやってきた。

 学校中を支配するのはそんな空気。私のクラスも例外じゃない。掃除に部活動、課外授業──それぞれやることは違う。だけどみんなの表情は同じ種類のもの。明るくてキラキラしてる。


「……うらやまし」


 思ってもないけど、そんなこと。

 さっさと目を逸らして通学鞄を肩にかける。この場所から少しでも早く逃げるために。

 楽しげな空気は私を受け入れているようで受け入れていない。自分だけがその空間から切り取られて、新しく貼り直されたみたい。そんなのは私の思い込みでしかなくて、きっと自分からそういう状況を作り出してるだけなんだけど。

 ……それがわかっていながら、私は何も変えようとはしない。変えるつもりもないようだった。

 誰と会話することもなく教室を出て廊下を歩く。保健室に向かって。だって他に行くところなんてないから。他に、私が居ることを許してくれる場所なんてないから。

 ふと、足が止まった。黒いショートカットが視界に入り込んだから。


「でさぁ、そいつ、チョーカッコいいの! マッジでイケメン。アイドルじゃないの? って訊いちゃったもん」

「ウケる、そんなにヤバいの?」

「ヤバいよ。ほら、これ見て、そいつの写真」


 教室の出入り口で騒ぐ声の中、彼女は一人取り残されているようだった。その後ろ姿はなんだか寂しそうに見える。

 通り過ぎてもいい、別に。でもできなかった。かといって話しかけることもできなくて、少しだけ近くへ。なるべく自然に、人を待っているフリをして。


「でさ……って蝶、聞いてる?」

「え、あ、うん。聞いてるよ。他の学校の男の子がかっこいいって話でしょ」

「そ、蝶も見てよ。ほらこれ」

「……ほんとだ、かっこいいね」


 その返答に、丹吉瀬さんの友人らしい女子生徒が眉を寄せる。不満そうに口を尖らせた彼女はずいとその顔を丹吉瀬さんに寄せた。


「蝶、なーんかぼんやりしてない?」

「え? そんなことないけど」

「そんなことあるの! もう、カッコいいって思ってないならそう言えばいいのに。怒んないよ、あたし」

「……かっこよくないとかは思ってないよ。整った顔してると思う。でも、その、あんまり私の好みじゃなくって」


 その答えに、その子はなんだぁと安心したような笑顔を浮かべた。

 ふぅん。上手くやってるんだ。すごいね。

 なんて口の中で呟いて足を動かしかけたところで。


「じゃあさ、蝶の好みって誰?」


 また、足が止まった。丹吉瀬さんの好みが気になったから? まさか。そんなのは知ってる。じゃあなんで足を止めたの。


「それ、は」

「あっ、もしかして蝶、好きな人がいるとか!?」

「え、ちが」

「もーそれならそれで早く言ってくれれば良かったのに! 誰? 同級生? 先輩? あ、先生とか?」


 丹吉瀬さんを置いてけぼりで、彼女の友人達は盛り上がり始める。きゃあきゃあと楽しそうに騒ぎ立てる声の中、ちがう、と。誰かの声が聞こえたような気がした。


「で、誰なの?」

「そ──」


 飛び出た声は裏返っていた。彼女は何かに押されたように、いや、何かから離れるように後退りをする。その背中は。


「そんなの、いないよ」


 ……やっぱり、寂しそうに見えた。

 そんなの私の気のせいに決まってるのに。


「私はそういうの、ないから。ないっていうか、いないよ、別に」

「えー、そうなの? ほんとにぃ?」

「ほんとほんと。そういうのよくわかんなくって、だから、さっきも上手く反応できなくて。……ごめんね」

「それは別にいいけどさ。じゃあ今度他校の子に会ってみる? 中学の時の同級生なんだけどさ──」


 あと数歩。踏み出したら、手を伸ばしたら、多分届く。その手を掴める。それでここから逃がしてあげられる──でも、私にはそれができなかった。せっかく普通の中に混ざっているのに、そこから無理矢理連れ出すようなことはできない。きっと、しちゃいけない。

 肩にかけた鞄の持ち手を握りしめて、足音も立てずに彼女たちから離れる。廊下を進む。頭の中が騒がしかった。でもその言葉たちの意味が私には理解できない。理解できないまま、開け放たれた扉をくぐった。


「くーちゃ、ん」


 そうして名前を呼んだ。いつも通りに。でもそこで言葉が止まる。保健室に一歩踏み込んで、そこで足が止まってしまう。首元で結ばれた髪が小さく揺れた。

 ──見ないで。

 たとえ一瞬でもそう願ってしまった自分を恨めしく思う。でも私の気持ちは関係ない。鈍色の瞳が、私を捉えた。


「あ、極寂さん。こんにちは」


 そこに浮かぶのはいつも通りの硬い笑顔。昨日のあの笑みはどこへいってしまったのか。伊好先生はその、と何かを躊躇うように視線を彷徨わせる。私から、目を逸らして。


「ごめんなさいね、ええと、ちょっと話があって」

「……そう、でしたか。すみません、邪魔をしてしまったみたいで」

「あ、違うの。綺施池先生じゃなくて、極寂さんに」

「──へ?」


 頬が引き攣ったのが自分でもよくわかった。どうして自分の顔がそんな動きをしたのかは少しもわからないのに。かたりと、物音が耳に届く。視界の端、くーちゃんが立ち上がりかけていた。


「え、っと。綺施池先生、隣の教室をお借りしてもいいでしょうか。その、時間がどのくらいになるかはっきりとはわからないんですけど」

「……いえいえ、大丈夫ですよ! あ、良かったらコーヒー持っていきましょうか? 新しいのを昨日買ったんです。なかなか飲みやすくて美味しいですよ」

「い、いえ、遠慮しておきます、すみません。ええと、極寂さん──」


 心臓の鼓動が身体を震わせていた。先生が何を言ったのかも聞き取れないまま頷く。よかった、なんて安堵の色が滲む声が聞こえた気がした。顔を見ることができない。瞳は頼りなく揺れ動く。でもくーちゃんの顔だって見られない。だって、だって、今見ちゃったら──きっと私は、だめになる。

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