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13ー6

 灰色の建物は棺桶そのものであった。

 内部は腐敗臭で満ちている。口の中を支配する酸飲み込んで、暗がりの中、携帯電話の明かりをそれに向ける。


「──ああ、やっぱり、死んでるのね」


 後ろから覗き込んできたくーちゃんが冷えた声を出した。感情をわざと滲ませないようにしているみたいな声。

 あれから時間が経ってしまった私の死体は、あの時よりもさらに酷い見た目になってしまっていた。


「……で、極寂、これからどうするの?」


 引き止めるような声に唇を噛む。でも、時間は止まらない。戻ることもない。


「とりあえず屋上に行こう、二人とも」


 言って、階段を上る。歩き出した私に、二人は少しの間を置いてついてきた。

 棺桶と化した建物を上っていく。響くのは三つの足音だけ。

 無言のまま、私たちは屋上へと辿り着いた。腐敗臭から解放されて大きく深呼吸をする。まったく、自分の死体の臭いだけはわかるというのは迷惑なものだ。

 見上げれば、頭上には紫がかった夕方の空。ゆっくりと歩みを進めてあの日と同じ場所へ。屋上の端へ。


「にしても、よく見つからなかったわね」


 呆れたようなくーちゃんの言葉に頷きを返す。


「同感。人気がないとはいえど住宅街からそう遠くはないからね。……じゃあ、そろそろ」


 振り返る。灰色の瞳と漆黒の瞳が私を見つめていた。


「……極寂、ほんとに死ぬの」

「うん、もちろん。って、最初から死んでたんだけど。……くーちゃん、後のことはよろしくね」

「よろしくって、ほんと、最後の最後に大きな迷惑かけて。あーあ、ほんと、極寂は手のかかる生徒ね!」

「何その言い方。ま、事実だけどさ」


 くーちゃんは口を開きかけて、けど、すぐに唇をかみしめて俯いてしまった。彼女は自身の身体を抱きしめるように腕を組む。震えている身体を押さえつけるように。


「蝶」


 なに、と答えた蝶はすでに涙声。それに、私の口元は自然と笑みを作る。


「蝶、大丈夫だよ」


 口にしながら、彼女へと手を伸ばした。何を言うでもなく蝶が私の胸に飛び込んでくる。ぎゅうと強く私を抱きしめる。まるで引き止めるみたいに。

 ……でも、私は。


「大丈夫って、そんなわけないでしょ! だって鈴、本当に消えちゃうんでしょ、明日からもういないんでしょ? やだよ。そんなの、やだよ──」

「……蝶はもう一人じゃない。ひとりぼっちじゃない。ほら、友達の二人がいる。くーちゃんだって、ずっと蝶の味方だもん」


 ね、とくーちゃんに顔を向ける。当たり前でしょ、なんて力強い声が返された。

 うん。なら、絶対大丈夫。

 そっと蝶から身体を離した。蝶は私の腕を掴んで離れるのを拒む。それでも。


「同盟はこれでおしまい。言ったでしょ、同盟だって。いつかは終わる関係だったんだよ」

「っ、でも友達でしょう!?」

「────」


 ああ、そうだ。そうだった。

 ただの同盟関係じゃない。友達だから、私は彼女を置いていきたくなかったんだ。ひとりぼっちに、したくなかったんだった。

 それでも、終わるんだよ。終わってるんだ、私の人生は。


「うん。うん、そうだった。ごめんね、蝶」

「そうだよ。だから、だからさ──」

「だけど、私はもう死んでる。……うん、でも友達だからさ、一つだけお願い、聞いてくれないかな」


 なに、と首を傾げた蝶に、今度は本物の笑顔を向けた。


「ちゃんと覚えててよ。私も蝶もひとりぼっちじゃないんだって、ひとりぼっちじゃなかったんだって。だって私には蝶がいて、蝶には私がいるんだから」


 言い終えて、今度こそ蝶と完全に離れた。

 柵に手をかける。あっさりと飛び越えた柵の向こうの景色はあの日の空によく似ていた。

 振り返る。二人はまだ何か言いたそうな顔をしていた。


「何その顔。まだ何かあるの?」

「っ、ある、あるわよ、あるに決まってるでしょ馬鹿。でも」


 でも、と呟いて、くーちゃんは真っ直ぐな視線を私に向ける。灰色の瞳には涙がたっぷりとためられていたけど、それでもくーちゃんは笑った。今まで見た中で一番下手くそな笑顔を浮かべた。


「いいや。何もかも全部言ってすっきりしちゃったら、次会う時の楽しみが減っちゃうもの」

「次って」

「次は次よ。いい、極寂。わたしが行くまで勝手にあの世からいなくならないでよ。ちゃんと待ってなさい。……わたしだけじゃなくて、丹吉瀬さんのことも」


 地獄かもよ、と笑えば、くーちゃんは地獄でもよ、と頷いた。そうして、くーちゃんは蝶の肩に腕を回して抱き寄せる。きっと、蝶を一人にしないために。


「……うん。待ってるよ」


 くーちゃんは歪だけど、今にも崩れてしまいそうだったけど、それでも笑顔のままだった。


「──鈴」


 漆黒の瞳が私を見る。その瞳は私がずっと見ていた彼女の瞳だった。綺麗な黒なのに暗闇ではなくて、そこには確かに光がある。


「覚えてるよ、絶対に」

「……うん。絶対だよ」


 柵から手を離す。

 ざり、と。靴と砂が擦れ合う音がした。

 くーちゃんと蝶は黙って私を見つめている。

 やだな。そんな泣きそうな顔しないでよ。


「じゃあね、蝶、くーちゃん。ごめん。それから、ありがとう」


 今だと思った。幕引きは今なのだと。

 身体が倒れる。浮遊感はほんの一瞬。空を飛ぶような錯覚。だけど空なんて飛べない。飛べるわけがない。地面に引き寄せられていく。

 くーちゃんと蝶が、柵に手をかけているのが見えた。蝶の手が私の方へと伸びている。でももう届く距離じゃない。それがわかっていながら、私は手を伸ばす。空にじゃない。蝶の手に。けど、やっぱりその手は掴めない。口からこぼれたのは笑みだったのだろうか。

 悔いは、ある。あるよ。後悔ばっかりだ。死にたくなかった。なんで死んじゃったんだろう。もっと頑張れば──でも、今じゃなくても今なんだ。今じゃない。やっぱりそれは変わってないかもしれない。それでも、今でもいいと思った。

 だから私は死を受け入れる。

 元々自分が選んだ結末だ。怖い。痛い。怖い。怖い。でも、それでも──自分が選んだ結末を拒むような真似はしないと決めていたから。

 鈍い音は、やっぱり聞こえなかった。

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