12ー1
弁当袋を置いたテーブルにすがったまま、ぼんやりと壁にかけられた時計を見つめる。お昼休みになってまだ数分。くーちゃんは次から次へとやってくる生徒や教師たちの相手で忙しそうだ。
すでに止まっているはずの心臓が強く脈打っていた。スカートを握りしめる。逃げ出したくて瞼を閉じてみたけど、余計に逃げ場がなくなってしまうような感覚に襲われて目を開けた。
足音が近づいてくる。出入り口、目を向ければ、ちょうど今やって来た蝶の姿があった。
「こんにちは」
いつも通りの挨拶をして蝶はテーブルの方へとやって来る。そのまま椅子に座ろうとした彼女の腕を掴んだ。動きを止めた蝶が訝しげな視線を私に向ける。
「鈴? 座れないんだけど」
一瞬、蝶の腕を掴む手が緩みかける。
でも、だめだ。
そう思い直して、握る手に力を込めた。
「蝶、ちょっと」
彼女が了承するのも聞かず歩き出す。後ろで蝶が戸惑いの声を上げるのが聞こえた。それを無視して保健室を出る。
だめなんだ、このままじゃ。
「どこ行くの鈴、お昼ご飯は?」
「うん。食べるよ、お昼。でもあそこじゃない。蝶がお昼を食べるのは保健室じゃないんだよ」
昼休みの賑やかな空気が濃くなっていく。教室のある棟へと戻ればその濃さは段違い。思わず足を止めそうになったけど、止めてやらなかった。真っ直ぐに進み続ける。蝶の教室へと。
「……鈴」
開け放たれたドアの向こう、蝶の友人たちは窓際の席に向かい合って座っている。今からお弁当を食べようか、というところらしい。
彼女たちの元に向かおうとして、後ろから強く引っ張られて足を止める。振り返れば、俯いて足を止めた蝶の姿が目に入った。
「保健室、戻ろうよ」
「戻らないよ」
「なんで、だって綺施池先生言ってくれたじゃん、居てもいいって、だからさ、いいじゃん、こんなの」
今にも泣き出しそうな声だった。胸が痛くなる。今から自分がしようとしてることは本当に蝶のためになるのか、私の我儘でしかないんじゃないか、って。
でも、私の我儘だとしても、やるべきだと思った。
「うん、でもさ、このままはだめだよ。このままだと蝶がひとりぼっちになるから。それがわかってるのに何もしないでいるのは、友達失格でしょ」
だって、言ったから。
「昨日言ったこと、もう忘れたの? 蝶はひとりぼっちにならない、蝶をひとりぼっちにはしない、絶対に」
言い切って、歩き出した。
蝶はまだ何か言いたそうにしていたけど、大人しく私に引っ張られてくれる。
教室に足を踏み入れれば数名の生徒がちらちらとこちらに視線を向けた。まあ、当然か。これでも有名人の自覚はある。そんな有名人にクラスメイトが捕まっているとなれば視線を向けざるを得ないだろう。
でも、できればあまり見ないでほしい。私は、私たちは見せ物じゃないんだから。
教室の空気が変わったことに気がついたのだろう。蝶の友人たちが顔を上げて私たちを見た。
怖い。怖さを飲み込んで、焦茶色の瞳たちを真っ直ぐに見つめる。
吐き出した声は、ひどく引き攣っていた。
「昼ごはん食べてる時にごめん、二人とも」
「え、っと、極寂さん、蝶、どうか、した?」
「あーっと、あたしらに用事、があるっぽいけど」
うん、と頷けばその瞬間から周囲の音が聞こえなくなる。周りが黙ったわけじゃない。ただ、私たちが居るこの空間だけ別の世界になっているみたいだった。
蝶の腕を握りしめる。逃げないために。
蝶が。私が。
カチリ、と。時計の針が進む音がした気がする。
鈴、なんて弱々しい声が確かに耳に届いた。
そんな些細な音が、強く私の背中を押してくれた。
「──ごめんなさい!」
口にしたのと同時に頭を下げる。誰かが息を吸い込んだ。次いで、聞こえてきたのはざわめき。野次馬どもめと言ってやりたいところだったけど、人目の多い場所を選んだのは私だった。
「え、ちょ、極寂さん!? なんで謝ってんの!?」
「いやいやいやいや、謝るのはあたしたちでしょ! 極寂さんが謝る必要は、ないって思うんだけど……」
「ある。あるよ」
ゆっくりと顔を上げる。蝶の友人たちは困惑した様子でお互いに顔を見合わせていた。周囲から様子を伺うような視線が向けられている。睨みつけたいけど、今は彼らの相手をしている場合じゃない。噂が好きならまた勝手に喋ってればいい。それが蝶のことなら許さないけど。
「私は二人にちゃんと謝らなきゃいけない。二人が話しかけてくれてたのにずっと嫌な態度を取ってた。名前すら覚えようとしてなかった。だから、ごめん」
「そ、名前は覚えて欲しかったけど、いやでもあたしたちが無神経なこと言っちゃったからさ」
「そうだよ。だからその、謝んないで。あたしらも悪かったから、ほんとに」
二人の言葉にきっぱりと首を横に振る。
私だって、正直に言えば全部私が悪いと思っているわけじゃない。それでも悪い部分は確かにあった。それは事実だから。
「二人が仲良くしたいと思って話しかけてくれてたのに、私はそれを嬉しいとも嫌だとも言わなかった。きちんとコミュニケーションを取ろうとしなかった。嫌なら嫌って言うべきだったのに、傷ついたなら傷ついたって言わなきゃいけなかったのに。何一つせずに、私は二人に自分の勝手な気持ちをぶつけた。まともに向き合おうとせずに、投げかけてくれる言葉を受け取ろうともせずに、そのくせ自分の気持ちだけぶつけた」
言葉が届いてほしいと思う前に、私は誰かの言葉をちゃんと受け止めなきゃいけなかった。周りが怖くてそれを避け続けていた。
でも避けちゃだめだったんだ。
だって相手の言葉を受け取ろうとしなかったのに、自分の言葉が届くわけがない。
「ごめんなさい。二人は私の話なんて聞きたくないとは思う。でも、ちゃんと話をさせてほしい。だって私は──」
たとえ何が届かずとも、それでもこの言葉だけは彼女たちに届いてほしい。真っ直ぐに焦茶色の瞳たちを見つめる。二人の目は、私を。
「私は、蝶をひとりぼっちにしたくないから」
ちゃんと、私を見ていてくれた。




