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11ー3

 階下に広がる床がまず目に入る。瞬きの後、切り替わった視界に飛び込んできたのは私に手を伸ばしているくーちゃんの姿。でも無理だ、届かない。誰か、誰かが、誰かの声が。


「──鈴!」


 私の名前を、呼んだ気がした。

 それと同時に暗闇が一瞬目の前を支配する。いつか聞いた鈍い音が聞こえて、頭には衝撃。けれど痛みはなくて──受け取るべきはずの痛みは、少しも与えられなくって。

 階段を駆け降りる音にゆっくりと瞼を開ける。強打したはずの後頭部にそっと触れたけど、やっぱり何も変化はない。


「鈴、鈴!」

「極寂、頭打ったよね、親御さんに連絡して病院に」


 ううん、と。首を横に振った。

 病院に行く必要なんてない。それは、私が一番よくわかってる。


「大丈夫だよ、二人とも」

「……極寂、大丈夫って、そんなわけないでしょう。歩ける? とりあえず保健室に」

「本当に大丈夫なんだよ、くーちゃん。ほら、もう動ける。歩くこともできる。痛みもないからさ」

「そんなのちゃんと検査してもらわないとわからないでしょうが! 平気だと思ってもあとで具合が悪くなることだってあるのよ?」


 ほら、と青白い顔でくーちゃんは私を立ち上がらせようとする。

 あー、どうしよう。病院、行ったらだめでしょ、今の私。

 だからって、事実を、真実を口にしてしまうのも怖かった。頭がおかしくなったんじゃないかと思われるんじゃないかって。何よりくーちゃんに怖がられちゃうんじゃないかって。

 でも、流石に言わなきゃだめだよね、これ。


「くーちゃん、私さ」


 待って、なんて震える蝶の声が耳に届く。それを無視して、私は言葉を続けた。


「私、死んでるんだよね」

「──は?」


 意味がわからない。くーちゃんの瞳がはっきりと告げていた。


「だから、私はもう死んでるの。ここにいる私は幽霊」

「っ、そんな冗談言ってる場合じゃ」

「ごめん、でも、冗談じゃないんだよ」


 そう口にした自分の声は、自分でもぞっとしてしまうほど冷え切っていた。こんな声、出せるんだって思っちゃったほど。

 あんまりにも冷たかったからだろう。くーちゃんは顔を引き攣らせて凍りついている。

 後頭部を軽く撫でて手を下ろした。視線を階段の上へ。そこには伊好先生が立ち尽くしたまま、私たちを見つめていた。彼女は状況が飲み込めていないのかもしれない。何か言いたかったけど言葉は出てこなくて。

 ごめんなさい。

 それだけ呟いて、立ち上がった。


「行こ、くーちゃん、蝶」


 鞄を肩にかけ直して歩き出す。伊好先生に小さく会釈をして。

 くーちゃんと蝶は少しの間を置いて私を追いかけてきた。

 無言のまま保健室へと足を踏み入れて、いつものようにソファに腰を下ろす。私を追いかけて来ていた足音たちがソファの前で止まる。灰色の瞳が、真剣な眼差しを私に向けていた。


「……極寂、もう一度訊く。本当に病院には行かなくていいのね?」


 行くと言ってくれ、なんて、懇願してくるみたいな声色に思わず目を逸らしそうになる。それでもくーちゃんの顔を真っ直ぐに見つめ返して頷いた。


「うん、必要ない。さっきも言ったけど、私は二ヶ月前に死んでる。今の私は幽霊だから怪我なんてしない」

「……どうして」

「え、ああ、住宅街からちょっと離れたところに山があってさ。そこに建物があるんだけど、そっから飛び降りて──」

「──っ、そういうこと訊いてるんじゃない!」


 息が止まる。ガラスが割れたみたいって、思った。時間が止まってしまったとも思った。

 でも静かになった部屋の中、すぐにその音が耳に届く。壁にかけられた時計の針が進んでいく音が。何度も繰り返される浅い呼吸の音が。

 くーちゃん、って。呼びたかったけど、でも呼べなかった。だってなんて言えばいいかわからない、そんな顔されたら。唇を噛んで、両手を強く握りしめて、肩を小さく振るわせて。


「……そうじゃ、ない」


 何も、言えないよ。

 握りしめたままの両手を緩めることなく、くーちゃんが一歩踏み出す。重たいため息が、彼女の口から吐き出された。


「どうやって、どうして死んだのかは、そりゃ知りたいに決まってるわよ。でもさ、それ以前に、そうじゃなくてさ。わたしが訊きたかったのはどうして黙ってたのかってことよ。だってそうでしょ。極寂、なんであんた、いつもいつも一人で抱えようとするのよ。抱えきれないものまで抱えようとしないでよ」

「……ごめん。でも、気がついたのは最近だったから。それに一人じゃないよ。蝶には話したから。見せたから、死体」

「子供だけで抱えんなって言ってんのよ、馬鹿、馬鹿極寂!」


 両頬にぐっと圧力がかけられる。くーちゃんが両手で私の頬を挟み込んでいた。きっと今の私はものすごく間抜けな顔をしているに違いない。それでもくーちゃんは少しも笑わない。笑わないどころか今にも泣き出してしまいそうな顔をしていた。


「……ごめん、くーちゃん」


 くーちゃんは何も言わないままで、しばらくじっと私を見つめていた。

 私の頬を挟んでいた彼女の手が、ゆっくりと離れていく。そうして、くーちゃんは私のすぐ隣へと腰を下ろした。


「で、その幽霊の話が本当だったとして」

「くーちゃん、信じてくれるの?」

「馬鹿ね、極寂がわたしに嘘ついたこと無いでしょ。隠し事はよくされるけどね」


 それを言われると何も言い返せない。

 ごめんって、と口を尖らせながら言えば、くーちゃんは少しだけ表情を緩めた。


「だから本当だと信じるとして、どうして極寂は今もここにちゃんと存在してるわけ?」

「その、ネットで見た話なんだけどさ」


 そんな前置きをして、私は以前掲示板で見つけた話をくーちゃんに話した。成仏するためにはもう一度同じ場所、同じ方法で死ぬ必要があるということを。


「そう。それでもまだそうしてないってことは、極寂にはその前にしなきゃいけないことでもあるのかしら?」

「……ないわけじゃない、けど、どうしたらいいかはわかんないかな」

「ふーん、教えてはくれないの?」


 身体を少し傾けてくーちゃんが私の顔を覗き込む。言葉を待つようなその視線を受け止めきれず、私は蝶へと目を向けた。蝶は私と目が合うと力強く頷く。


「言ったよね、私。鈴に未練とかそういうの見つけてほしいって。本当に死ぬのはそれを解消してからにしてほしいって。だから、見つかったなら教えてほしい」

「……私、は」


 蝶からも目を逸らして床を見つめる。

 くーちゃんと蝶は黙って私の答えを待ち続けている。

 時計の針が進む音が私を急かす。

 その音に無理矢理背中を押されて、私は口を開いた。

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