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9ー4

 顔を上げる。両親は小さく口を開いたまま動きを止めていた。まるで二人だけ時間が止まってしまったみたい。付けられたままのテレビの音がどこか遠くに聞こえていた。箸を握る手に力が籠る。

 この一秒が、いつまで続くんだろうか。

 そう思ったところでようやく父が声を出した。


「その、どういう、意味かな」

「……どうもこうもないよ、そのままの意味。私は男の人じゃなくて女の人が好き。それだけ」

「ええと、本当に?」


 母の問いかけに頷く。両親は恐る恐るお互いの顔へと視線を向けていた。なんだか目の前にいる私を否定するみたい。きゅっと締まった喉が辛い。隙間を通って出てきた声は、驚くほど頼りなくて。


「最近のことじゃないよ、昔からずっとそうだから。男の人のこと好きになったことないし、なりたいとも思わない」


 お願い。


「それは……男の人に慣れてないだけじゃないのかな。ほら、鈴はまだ高校生だ。そりゃあもちろん同級生なんかとは接する機会があるとは思うけどさ、でも」


 お願いだから。


「け、経験とか時間の問題にしないで、お父さん。じゃあ訊くけど、お父さんは男の人とたくさん接してるよね。男の人のこと好きになったことある?」


 お願いだから、認めてよ。


「いやいやいや、ないよ! だって父さんは女の子じゃないと好きになれないからさ。同性は、ちょっとなぁ」


 そういうことだよ、と告げたけど父はいまだ納得がいかないと言いたげな表情を浮かべていた。

 その、と。今度は母が口を開く。


「憧れと勘違いしてる、んじゃないかしら。よくあるでしょう、そういうの。お母さんの友達にも先輩のことが好きって言ってた子がいたけれど、結局すぐにそういうことは言わなくなって男の人と結婚したのよ。そういう年頃なのよ、今の鈴は。まだ恋と憧れの区別がつかないって言えばいいのかしら」


 なんで。


「……お母さん、それって結局男の人を好きになることが正しいって思ってるから出てくる言葉だよね」


 なんで、認めてくれないの。


「──そういうわけじゃ」

「そういうわけじゃなかったらどういう意味なのかな。だってそうでしょ。恋と憧れの区別がつかない年頃だって言うならそれは男の人のことを好きになる子にも言わなきゃいけないことでしょ。でもさ、もし私が気になる男の人がいるって言っても、お母さんはそんなこと言わないでしょ。だってそれが当たり前で、普通で、常識で、何よりお母さんたちにとって正しいことだから」


 言い終えて息を吐き出す。両親は言葉を探すように視線を彷徨わせていた。漂う空気を私は正しく読み取れない。でもなんだか、やっぱり私の方がおかしいんだって言われてるみたい。

 ……ああ、そっか、そうなんだ、やっぱり。


「……ごめん」


 それ以上は何も言えずに立ち上がる。背を向けて早足で居間を飛び出した。

 逃げた。逃げ出した。

 胸の中も頭の中も、ほらやっぱり、なんて言葉だけ。やっぱり理解なんてしてもらえない。やっぱり私が間違ってるんだ。やっぱり、こんなことに意味なんて──それでも。


「嘘なんかじゃ、ない。嘘じゃない。嘘じゃ」


 ないのに。

 私が思ってることも私自身も、たとえもう生きていないくても、それでも全部本当で、嘘なんかじゃない。

 だからさ、認めてよ、私を。

 階段を駆け上がって自室に飛び込んだ。勢いよくドアを閉めて、そのまま背を預ける。酸素が足りていない。だからこんなに息が苦しいんだ。まるで地球じゃないみたい。ううん、ここは地球だ。なら私がおかしいんだ。ここに居ることが間違ってるんだ。最初から私は違う存在で、つまりは異星人みたいなものだったんだ。


「──っ、はは、なら、仕方ないのかな、全部」


 息ができなくても。拒まれても。それでも仕方ないって思うしかないのかな。友達に避けられても、家族にさえ拒絶されても、どこにも居場所がなくても──ああ、でも。


「保健室、行きたいなぁ」


 無意識にそうこぼしてから押し寄せてくるのはどうにもならない感情たち。あそこだって永遠じゃないのに。ずっとあそこに居られるわけじゃないのに。あの部屋を出たら結局この世界に帰ってくることになるって、わかってるのに。

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