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8ー4

 ソファの近くまで来ていたくーちゃんがデスクへと引き返していく。その足元を見つめながら少しずつ視線を上げる。くーちゃんはデスクに戻ると、さー仕事仕事、なんて呑気な声を出してパソコンに向かい始めた。


「鈴、その……ごめん」


 ぎこちない謝罪に顔を向けられないまま首を振る。すぐ隣からは罪悪感と気まずさがはっきりと伝わってきていた。


「いいよ、蝶は悪くない」

「でも」

「悪くないでしょ、蝶は。大丈夫、口を挟めないのもちゃんとわかってる。それに蝶の友達も、悪くない。私が単に自分の気持ちを伝えるのを放棄してただけだからさ」


 だけど、なんて泣きそうな声に目を向ける。悔しそうに歪められた顔に、作った笑顔を向けてみた。けど蝶はただ悲しそうな目をするばっかりで。そんなの受け止めきれない私は、作り笑いのまま彼女から少しだけ視線をずらした。


「ああ、そういえばさ、小学生の頃の話なんだけど」


 そうして、意味もない昔話を口にする。まだ私が周囲を拒絶していなかった頃の話。私が私自身に、世界に少しだけ違和感を覚えた時の話だった。


「ほら、よくあるじゃん、恋バナ。さっきの二人も少し聞きたそうにしてたけど。みんなそういうのって小さい頃から好きだよね」


 小学校の休み時間での出来事だった。仲の良い友人たちが好きな人の話をしようと言い出したんだ。彼女たちは同じクラスの誰が好きとか、誰がかっこいいとか、そんな、ありきたりな話をしていたと思う。


「最初は黙って聞いてたんだけど、途中でそうもいかなくなって。私たちも話したんだからお前も話せ、って、よくあるやつだよ」


 誰が好きなのか。訊ねる彼女たちに私は言葉を濁せなかった。話したくはなかった。だって照れ臭かったし。それでも私は当時好きだった人の名前を口にした。でも。


「違うよ、って。好きな人って男の子のことだよ、って」


 そう。彼女たちが求めていたのは好きな男の子の話。いくら私が女の人が好きなんだって、当時担任をしてくれてた先生のことが好きなんだって口にしても、彼女たちは最後まで認めてくれなかった。納得なんて少しもしてくれなかった。


「だからさ、まあ、わかるのはわかるんだよ。無理に言い返せないのとかさ、あるじゃんそういう空気っていうか、言い返してもわかってもらえないのとか、余計に無神経なこと言われるとか色々。だから大丈夫だよ、蝶。蝶が謝る必要はないの」


 ね、と。もう一度、彼女に笑みを向ける。自分が浮かべているそれがひどくぎこちないものだとわかっていながら。

 蝶は、わずかに視線を落としてしまう。物憂げな瞳は床へと向けられていた。


「……私もさ、あった、同じこと。小学生の時に」

「そ、っか」


 多分、それだけで十分だった。懐かしくて、ちょっと胸が痛くなるような思い出が、自分一人だけのものじゃないってわかったから。蝶と私は同じで違っていて、でもやっぱり同じところがあるって確かにわかったから。

 目の前の彼女は強くなくて、普通に馴染んでいるけれどその中で一人静かに傷ついていて、私と同じ傷も持っている。だから、一人じゃない。私も蝶もひとりぼっちじゃない。少なくとも今は、こうして二人で居られる間は、きっと。

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